【植物×アート】#11 アルチンボルドの《四季》と16世紀の奇想
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ルーヴル美術館に足を踏み入れ、デノン翼の一室にさしかかったとき、ある絵画の前で足が止まります。
遠目には、どこかの貴族の肖像画のように見えます。しかし近づくにつれて、その「顔」が無数の花々で出来ていることに気づく。これは果たして、人の顔なのでしょうか。それとも花々の集合体なのでしょうか。
ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo, 1526/27–1593)の《四季》。春・夏・秋・冬の4点からなるこの連作は、500年近くの時を超えて、見る人を驚かせ続けています。
この途方もない発想は、いったいどこから生まれたのか。
本記事では、アルチンボルドの《四季》を植物という視点から読み解きながら、この作品が生まれた16世紀ヨーロッパの知的文化的背景――博物学ブームとマニエリスムの奇想(カプリッチョ)という二つの潮流を探ります。
アルチンボルドとは何者か
ミラノからウィーンへ

ジュゼッペ・アルチンボルドは、1526年頃にミラノで生まれました。父はミラノ大聖堂のステンドグラス制作に関わった職人で、アルチンボルドもはじめ大聖堂の装飾仕事に携わっています。
転機は1562年に訪れます。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の宮廷画家としてウィーンに招かれたのです。以降、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と、三代の皇帝に仕えることになります。
宮廷における彼の仕事は多岐にわたりました。肖像画や宗教画の制作だけでなく、宮廷の祝典や仮面舞踏会の演出、衣装デザイン、タペストリーの下絵制作など、今日で言う「トータルディレクター」的な役割を担っていました。
そのような多彩な才能を持つアルチンボルドが、宮廷で絶大な人気を博したのが「寄せ絵」の肖像画シリーズでした。
《四季》の誕生

《四季》の最初の連作は、1563年にマクシミリアン2世への贈り物として制作されたとされ、その後、画家本人によって同じテーマで繰り返し描かれました。そのため、ウィーン美術史美術館に《夏》と《冬》の2点、サン・フェルナンド王立美術アカデミー(マドリード)に《春》が1点、この他にも、アルチンボルドの工房や後世の画家による模倣品・派生作品が世界中に30点以上確認されています。
唯一、《四季》4点セットで現存するルーヴル美術館所蔵の作品は、1573年にマクシミリアン2世がザクセン選帝侯アウグストへの外交的な贈り物として注文したもの(あるいはその後に制作された複製・バリアント)とされており、制作年や来歴については研究者の間で現在も議論が続いています。
《四季》は単独の作品群ではなく、《四大元素》(火・水・土・空気)の連作と対をなすものとして構想されていました。四季と四元素を組み合わせると、ハプスブルク家の権威が宇宙の秩序そのものと結びつく――そのような壮大な宮廷的メッセージが込められていたと考えられています。
ジュゼッペ・アルチンボルド《四季》については、春・夏・秋・冬の4点を、これから1点ずつ詳しく解説していきます。
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