見出し画像

#16 「原種」という、会社にとって一番大事な存在

「原種」という言葉を聞いたことはありますか。
種苗業界で働いていない人にとっては、ほとんど馴染みのない言葉だと思います。
でも、私たち種苗メーカーにとっては、会社の中でも特に大切なものの一つです。
なぜなら、農家さんが毎年使っている種をさかのぼっていくと、その元になる種や親系統にたどり着くからです。
そして、その親をつくることこそ、育種の中でも特に難しい仕事だと私は感じています。
今回は、
「原種とは何なのか」
「なぜ同じ野菜から種を採っても、来年同じ野菜になるとは限らないのか」
「なぜ野菜では民間の種苗メーカーが商売として成り立つのか」
まで、できるだけ専門用語を使わずに紹介します。

目次

1. 「原種」って、そもそも何なのか
2. 原種づくりが、育種の中でも特に難しい理由
3. スーパーの野菜から種を採っても、同じものにはならない
4. だから野菜の種苗メーカーという商売が成り立つ
5. 稲・イチゴと野菜では、品種をつくる仕組みが少し違う
6. 原種は、会社の財産だからこそ守らなければならない

1. 「原種」って、そもそも何なのか

「原種」という言葉は、作物や会社によって少し使い方が違います。
そのため、厳密な定義を最初から説明するとかなり難しくなります。
ここでは、「農家さんに販売する種をつくるための、大元になる種や系統」くらいに考えてください。
特に、スイカやメロンなどのウリ科の野菜、トマトやナスなどで多く使われているF1品種では、母親になる系統と、父親になる系統を決めて掛け合わせます(※1)。
例えば、
母親A × 父親B = 商品として販売するF1品種
というイメージです。
農家さんが購入している種は、このAとBを毎回決められた組み合わせで交配してつくられています。
つまり種苗メーカーにとって重要なのは、商品になっているF1種子だけではありません。
むしろ、そのF1種子を生み出す「親」を持っていることが非常に重要です。
親がなくなれば、同じF1種子をつくれなくなる可能性があります。
だから原種や親系統は、会社にとって非常に大切な財産なのです。


2. 原種づくりが、育種の中でも特に難しい理由

私は、育種開発の中でも、良い親をつくることが特に難しいと感じています。
例えば、人間で考えてみます。
「背が高くて、スタイルの良い子どもが欲しい」とします。
そこで、
父親はとても背が高い。
母親はスタイルが良い。
この二人から子どもが生まれたら、必ず、「背が高くて、スタイルも良い子」になるでしょうか。
もちろん、そんなに単純ではありません。
父親に似るかもしれない。
母親に似るかもしれない。
祖父母の特徴が強く出るかもしれない。
兄弟でも全然違う特徴になるかもしれない。
植物も同じです。
これはかなり簡略化した例ですが、良い特徴を持つ親同士を掛け合わせれば、欲しい特徴だけをきれいに受け継いだ子ができるというわけではありません。
例えば、
病気に強い親。
形の良い親。
を掛け合わせたとします。
育種家としては、「病気に強くて、形も良い」ものが欲しい。
でも実際には、
病気には強いけど形が悪い。
形は良いけど病気に弱い。
どちらも中途半端。
親には見えなかった特徴が出る。
ということが起こります。
そこから何百、何千という個体を見て、「これなら使えるかもしれない」というものを探します。
そしてさらに交配し、また選び、また交配し、何世代も繰り返していきます。
だから、原種づくりは「良い親を掛け合わせれば終わり」という仕事ではありません。
むしろ、「この組み合わせから、どんな子どもが出てくるか」を何年も見続ける仕事です。
私たちの会社でも、こうした重要な親系統は限られた圃場で扱っています。
誰でも自由に入れる場所ではありません。
それくらい、育種会社にとって大事なものです。


3. スーパーの野菜から種を採っても、同じものにはならない

ここで、一般の方からすると疑問が出てくると思います。
例えば農家さんが、「今年つくったスイカがすごく良かった」とします。
それなら、そのスイカから種を採って、来年また植えればいいのでは? と思いますよね。
ところがF1品種の場合、そう簡単ではありません。
農家さんが栽培しているF1品種から種を採って、その種を翌年まくと、同じ特徴がそのまま揃って出てくるとは限りません。
むしろ、かなりばらつきます。
例えば今年のスイカが、
形が良い。
病気に強い。
収量が多い。
色が良い。
という品種だったとします。
そこから種を採って翌年100株育てたら、
形が違うもの。
大きさが違うもの。
色が違うもの。
病気に弱いもの。
収量が少ないもの。
などが出てくる可能性があります。
なぜなら、F1の次の世代では、親から受け継いだ遺伝情報が再びさまざまな組み合わせに分かれるからです。
専門的には「分離」と呼びます。
一般の方は、「F1の子どもをつくると、特徴がシャッフルされる」くらいに考えると分かりやすいと思います。
もちろん、その中に元のF1に似た個体が出てくる可能性はあります。
しかし、100粒まいたら100株とも同じ。とはなりません。
農家さんが商品として野菜を出荷するときには、
形。
色。
大きさ。
収穫時期。
品質。
がある程度揃っていることが重要です。
だから、「去年の野菜から種を採れば、来年も同じ商品をつくれる」とは限らないのです。


4. だから野菜の種苗メーカーという商売が成り立つ

ここが、なぜ野菜の種苗メーカーという会社が存在するのかという話につながります。
農家さんが毎年、「去年と同じ品種をつくりたい」と思ったとします。
そのためには、去年と同じ母親。去年と同じ父親。を使って、もう一度F1種子をつくらなければなりません。
その親を持っているのが、種苗メーカーです。
つまり、種苗メーカーは「種を袋に詰めて売っている会社」ではなく、「同じ性能を持つ種を毎年再現する仕組みを持っている会社」とも言えます。
ここが非常に重要だと思います。
例えば、
病気に強い。
たくさん収穫できる。
形が揃う。
輸送しても傷みにくい。
暑さに強い。
という品種を育種家がつくったとします。
その性能を毎年同じように農家さんへ届けるためには、
親系統を維持する。
親の純度を保つ。
正しく交配する。
採れた種を検査する。
本当に同じ特徴が出るか確認する。
という作業が必要です。
野菜種子、とくにF1品種では、この仕組みが民間ビジネスとして成立しやすい理由の一つだと考えられます。
日本の種苗産業では、育種に特化した会社や個人育種家、種苗生産に携わる会社など、さまざまな主体が野菜種子の育種・生産・販売を担っています(※2)。農林水産省も、国内の新品種は種苗会社、都道府県の公設試験場、農研機構などの多様な主体が開発していると説明しています(※1)。


5. 稲・イチゴと野菜では、品種をつくる仕組みが少し違う

ここで少し面白いのが、作物によって「誰が品種をつくるのか」「どうやって種苗を増やすのか」がかなり違うことです。
新品種をつくっているのは、民間の種苗メーカーだけではありません。
農研機構。
都道府県の農業試験場。
大学。
個人育種家。
なども新品種を開発しています。
特に分かりやすいのが、稲とイチゴです。
稲は、公的機関が大きく関わってきた
稲では、国の研究機関や都道府県が新品種の育成や種子供給に大きく関わってきました。
稲は日本の主食であり、地域に合った品種を安定して供給することが、農業政策や食料供給の面でも重要だからです。
原原種や原種をもとに都道府県段階で種子を増殖し、農家へ供給する仕組みも長く整えられてきました(※1)。
また、一般的な水稲品種はF1野菜とは増え方も違います。
自分の花粉で受精しやすい作物なので、適切に種を採れば、次世代でも比較的同じ特徴を維持しやすいという特徴があります。
もちろん、種子の純度や病害、品質管理、登録品種の利用許諾などは別の問題です。
つまり、野菜のF1種子ほど「毎年まったく同じ親同士を掛け合わせなければ商品を再現できない」という構造ではないのです。
イチゴは「種」ではなく、苗をコピーして増やすことが多い
イチゴはさらに違います。
一般的なイチゴでは、親株から伸びる「ランナー」という茎の先にできる苗を使って増やします。
これは、親とほぼ同じ遺伝情報を持ったコピーを増やす方法です。
専門的には「栄養繁殖」と呼びます。
農研機構も、従来のイチゴはランナーを利用してクローン増殖する栄養繁殖型であると説明しています(※3)。
そのため、イチゴでは、「毎年F1種子を買う」というスイカやトマトとは違った種苗ビジネスになります。
県が独自品種を開発し、「この県を代表するイチゴ」として産地ブランドをつくるケースもあります。
例えば福岡県の「あまおう」など、都道府県の試験研究機関が地域農業の振興を目的に育成してきた品種があります。福岡県も、農林業総合試験場が「あまおう」や水稲「元気つくし」など多くの県独自品種を育成してきたと説明しています(※4)。
ただし最近では、「よつぼし」のように種から増やすイチゴも開発されており、イチゴでも種子繁殖型という新しい仕組みが広がっています(※3)。
つまり、「稲やイチゴは公務員、野菜は民間」と単純に分けられるわけではありません。
公的機関も野菜を育種しますし、民間企業もさまざまな作物を扱います。
ただ、
作物の増え方。
市場規模。
地域ブランドとの関係。
F1種子を毎年生産する必要があるか。
などによって、公的機関が強い分野と、民間企業が商売として展開しやすい分野が違うということです。
良い品種をつくっても、それを守れるとは限らない
そして、品種をつくるうえでもう一つ重要なのが、「つくった品種を守ること」です。
日本では長い年月をかけて優れた品種が開発されてきますが、近年、登録品種が海外に流出する事例が見られたことも報告されています。
農林水産省は、シャインマスカットやイチゴ等の種苗が海外に持ち出され、中国や韓国で産地化された上で東南アジア等にも輸出され、日本からの輸出産品と競合する問題を指摘しています(※5)。
これは、「良い品種をつくれば終わり」ではないことを示しています。
新品種をつくるには、何年もの時間。研究費。人件費。圃場。選抜。試験。が必要です。
それなのに、その品種が無断で増やされてしまえば、育成した側が開発費を回収できなくなる可能性があります。
そのため現在は、登録品種を無断で増殖することは育成者権の侵害になる場合があり、農林水産省も注意を呼びかけています(※5)。
この意味でも、品種そのものが「知的財産」なのです。


6. 原種は、会社の財産だからこそ守らなければならない

ここまで考えると、なぜ種苗メーカーが原種をそこまで大切にするのかが見えてきます。
原種や親系統は、単なる「種の在庫」ではありません。
何年もの育種。何千株もの選抜。失敗した交配。農家さんの評価。病気の試験。育種家の経験。
そうしたものが詰まっています。
仮に親系統を失ってしまえば、同じF1品種をつくれなくなる可能性があります。
そして、「前と同じ親をもう一度つくればいい」というほど簡単ではありません。
先ほどの人間の例と同じです。
同じ組み合わせをもう一度試したとしても、同じ遺伝的な組み合わせを完全に再現できるとは限りません。
だからこそ、原種や親系統は、「なくなったら買い直せばいいもの」ではないのです。
保存するだけでは終わらない
原種の管理では、
どの系統なのか。
いつ採った種なのか。
どれくらい残っているのか。
発芽するのか。
本当に元の特徴を保っているのか。
といったことを記録します。
必要に応じて増殖し、古くなりすぎないよう更新することもあります。
そして重要なものほど、複数の場所に分けて保存する。温度や湿度を管理する。誰が扱ったか記録する。といった対策が必要になります。
私自身、原種の管理に関わり始めた頃は、「そこまで細かく管理する必要があるのか」と思うこともありました。
でも今では考え方が変わりました。
原種は、「たぶんある」ではダメなのです。
どこにあるのか。どれだけあるのか。本当に使えるのか。
それを確認して初めて、「この品種を今後も生産できる」と言えます。
世界でも「種を守る」ことは重要視されている
種を守るという考え方は、企業だけの話ではありません。世界規模でも行われています。
代表的なのが、ノルウェー領スヴァールバル諸島にある「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」です。
世界各地の遺伝資源バンクが持つ種子のバックアップを保存する施設で、2026年6月には保管サンプルが140万点を超えました。ノルウェー政府、NordGen、Crop Trustが協力して運営しています(※6)。
災害。戦争。設備故障。資金不足。などで、どこかの国の種が失われても、バックアップを残しておく。
まさに、「種の保険」です。
規模はまったく違いますが、会社で原種を複数の場所に保管する考え方と、本質的には近いと思います。


まとめ

「原種」。
わずか数文字の言葉ですが、その中には、何年もの育種の積み重ねがあります。
特にF1野菜では、農家さんが栽培した野菜から種を採って、「来年もまったく同じ品種をつくる」ことは簡単ではありません。
F1の次の世代では特徴がばらつくからです。
だから種苗メーカーは、母親。父親。その親となる系統。を大切に守り、毎年同じ組み合わせで商品となる種をつくります。
私は、種苗メーカーが売っている本当の商品は、「小さな種」だけではないと思っています。
毎年同じ特徴を再現できること。農家さんが安心して同じ品種をつくれること。
その仕組みそのものに価値があります。
一方で、稲やイチゴのように、公的研究機関が品種開発や産地づくりに大きく関わっている作物もあります。
作物によって、
種で増えるのか。苗で増えるのか。F1なのか。地域ブランドとして育てるのか。
仕組みはかなり違います。
でも共通しているのは、良い品種をつくるには長い時間がかかり、その品種を守らなければ次につながらないということです。
普段、種の袋を見ても、その親がどこで守られているのかを見ることはありません。
でも、その袋のずっと奥には、何年もかけてつくられ、大切に維持されている原種や親系統があります。
それがなくなれば、次の種をつくれないかもしれない。
だから私たちにとって原種は、会社の商品というより、「会社の技術そのもの」に近い存在なのだと思います。

※1 出典:農林水産省「種苗をめぐる情勢」(令和7年8月)
  https://www.maff.go.jp/j/shokusan/hinshu/ikuseisyaken_hogo/attach/pdf/ikuseisyaken_hogo-64.pdf
※2 出典:グローバル・フード・バリューチェーン戦略検討会・(一社)日本種苗協会「種苗産業におけるバリューチェーン構築の取組」(2014年5月)
  https://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokkyo/food_value_chain/pdf/8_shubyou.pdf
※3 出典:農研機構「よつぼし」
  https://www.naro.go.jp/collab/breed/0300/0301/053780.html
※4 出典:福岡県農林産物知的財産権センター リーフレット(令和4年4月)
  https://www.farc.pref.fukuoka.jp/center/center-oshirase/leaflet2022-4-1.pdf
※5 出典:農林水産省「令和2年度 食料・農業・農村白書 トピックス6 植物新品種の海外流出対策」
  https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r2/r2_h/trend/part1/chap0/c0_6_00.html
※6 出典:Crop Trust「Svalbard Global Seed Vault Crosses Major Milestone – 1.4 Million Seed Samples Secured」
  https://www.croptrust.org/news-events/news/article/svalbard-global-seed-vault-crosses-major-milestone-14-million-seed-samples-secured
▼あわせて読みたい
・#2 種苗メーカーのブリーダーって何をしているのか?一日の流れを紹介
・#3 新品種が生まれるまでの10年。育種のリアルなスケジュール感
・#10 「病気に強い」って、どういう意味? 耐病性育種の裏側

いいなと思ったら応援しよう!

たねやのなかのひと ここまで読んでいただき、ありがとうございます! 「育種って意外と面白い」「また読んでみたい」と思っていただけたら、チップで応援していただけるとうれしいです。 これからも“たねやのなか”だからこそ書ける話を届けていきます!