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愛とは、たぶん「それ取って」の回数である

長年連れ添った相手との、少し笑えて、かなり愛しい話
昔は、あなたの好きなところを聞かれたら、すぐに答えられた。

「優しいところ」
「笑顔が素敵なところ」
「一緒にいると安心できるところ」

今は少し違う。

あなたの好きなところは、
冷蔵庫を開けたまま、何を探していたか忘れているところ。

リモコンを握ったまま、
「リモコン知らない?」と聞いてくるところ。

出かける直前になって、
「今日、何かあったっけ?」と予定を確認するところ。

そして、私が同じ話を三回しても、
三回目だけ初めて聞いた顔をしてくれるところ。

たぶん、あれは優しさだ。
たぶん、たぶん。

長く一緒にいると、恋は少し形を変える。

「会いたい」は、
「帰りに牛乳買ってきて」に変わる。

「ずっとそばにいて」は、
「そこ、ちょっと詰めて」に変わる。

「あなたがいないと寂しい」は、
「静かすぎるから、何かしゃべって」に変わる。

「大好き」は、
「先にお風呂どうぞ」に変わる。

言葉だけを見れば、ずいぶん現実的だ。
でも、その一言の奥には、
「今日も一緒にいよう」がちゃんと隠れている。

あなたの寝息は、昔は少し気になった。
今では、聞こえないと気になる。

あなたのいびきは、昔は騒音だった。
今では、たまに止まると心配になる。

あなたの脱ぎっぱなしの靴下は、
何年経っても好きになれない。

けれど、そこにあなたがいることだけは、
何年経っても好きでいられる。

私たちは、記念日を忘れる。
買い物メモを忘れる。
さっき話した内容も忘れる。

それでも、相手の苦手なものだけは忘れない。

あなたは私が疲れているとき、
何も聞かずに甘いものを買ってくる。

私はあなたが落ち込んでいるとき、
何も言わずに隣でテレビをつける。

ロマンチックではない。
映画にもならない。

でも、長年連れ添うというのは、
派手な愛の言葉を交わすことではなく、
相手の沈黙が「そばにいて」の意味だとわかることなのだと思う。

あなたと私は、もう若くない。
昔の写真を見ると、二人とも少し細く、少し髪が多く、
そして何より、ずいぶん自信ありげな顔をしている。

あの頃の私たちは知らなかった。
これから先、何度も同じ話をすることも、
何度も同じ場所でつまずくことも、
何度も「もう知らない」と言いながら、
結局同じ布団に入ることも。

知らなかったけれど、
知らなかったからこそ、ここまで来られた。

あなたと過ごした年月は、
大きな出来事の連続ではない。

朝の「おはよう」。
夜の「おやすみ」。
食卓での「これ、食べる?」。
玄関での「気をつけて」。

その小さな言葉たちが、
毎日少しずつ、私たちの人生を縫い合わせてきた。

だから今日も、あなたに言う。

愛しています。

……その前に、
トイレットペーパーがないので買ってきてください。

そして帰ってきたら、
いつもの場所に座ってください。

私はたぶん、あなたの隣で、
「そこ、ちょっと詰めて」と言うでしょう。

あなたはたぶん、
「はいはい」と言うでしょう。

その「はいはい」が、
私たちの長年の愛のかたち。

派手ではないけれど、
なかなか丈夫で、
少し伸びていて、
それでもまだ、ちゃんと二人を結んでいる。

今日もまた、あなたと暮らす。

笑って、忘れて、少し怒って、
また笑って、何かを食べて、眠る。

そして明日も、たぶん同じことを言う。

「ねえ、聞いてる?」

あなたは答える。

「聞いてるよ」

たぶん、聞いていない。

でも、隣にいる。

それでいい。

それがいい。


長年連れ添った相手との毎日は、恋愛小説より地味で、コメディ映画よりリアル。でも、そのどちらよりも、ずっと長く続いてほしい。

#夫婦 #パートナー #恋愛 #エッセイ #ポエム #日常 #愛情 #note

※登場する二人は、どこにでもいる二人であり、どこにもいない二人です。たぶん。

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