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短編小説『その花は、誰が』

——私の家は、県道沿いに建っている。少し先に大きなスーパーや銀行などがある繁華街があり、生活道路という事もあってか、毎日車の往来があって賑やかだ。
 ただ、家の前は見通しが良くない緩いカーブという事もあって、事故もそこそこ多い。ガードレールはすでに何度も曲がり、補修の跡が白く残っている。ここに越してきて二十三年。事故の回数はある時からもう数えていない。数えていたらギネスに申請できるレベルだと思うと、眠れなくなる。

——昨夜も、けたたましいブレーキ音と衝突音が響いた。

 布団の中で「まただ……」そう思い、潜って無理やり眠りについた。朝になると、パトカーが来ていて、現場を見ながら何やら話をしていた。その横を通り抜けて、私は出社した。

 会社から帰ると、いくつかの花束がガードレールに立てかけられていた。赤いリボンが風に揺れている。若い女の子の字で「ごめんね、お父さん」と書かれた小さなカードが挟まっていた。

 私は家に入るとコーヒーを淹れながら、ため息をついた。

——三日後、花は少し増えていたが、すっかり傷んでいた。

 白い菊は茶色く縮み、百合は首を折り、甘ったるい腐臭が朝の風に乗って庭まで漂ってきていた。カラスが二羽、周りを伺いながら包装を突っついている。もう誰も来なくなったようだ。

 遺族はもう、二度とこの場所を見たくないだろう。それはわかる。痛いほどわかるのだが……

 そう思いながら、私はゴミ袋を手に外へ出た。六十手前で腰がだいぶ重く、膝も痛む。でも、放っておけば放っておいたで、近所が文句を言うのだから仕方がない。

 子どもが「死んだ人の花だ」と怖がるだとか、犬が臭いを嗅いで吐くだとか……役所の清掃車は「個人の供養物」だと言って回収してやくれない。

 私は深いため息を吐きつつ、痛む膝に鞭打ってしゃがみ、花束を一つずつ拾う。水を含んで重くなった茎が、手の中でぐにゃりと曲がる。そしてぬるりとした感触。指に付いた緑の汁と臭いが、なかなか落ちない。

 前に若い男がバイクで死んだ年は、花が山のように積まれた。それから一週間、腐臭が漂い続けた。結局、私が全部片付けたのだが、近所の主婦が「臭くて洗濯物が干せない」と怒鳴り込んできたのには驚いた。

 そんなこと、私に言われても困る。……が、無言でただ頷いた。もう怒る気力もなかったからだった。

 花をゴミ袋に詰めながら、ふと思う。この花を供える人たちは、きっと「自分の気持ち」を置いていくだけなのだろう。置いたら終わり。

 でも、ここに住んでいる私たちは、終わらない。その後があるのだ。ゴミ袋が二つ目に入りかけたとき、車のエンジン音が近づいてきた。若いカップルがゆっくりとカーブを曲がりながら、こちらを見ていた。
 女の方が窓からスマホを向けている。きっと「事故現場」として撮っているのだろう。人が死んでるというのに、それを面白がる心理がわからない。

 私は背を伸ばし、痛む腰に手を当てて彼らグッと睨んだ。カップルの車は慌てて走り去った。馬鹿どもめ……。

 最後の花束をゴミ袋に入れ、口を固く結ぶ。これがとても重い。物理的に重いというのもあるが、まるで誰かの人生を背負っているみたいな重さを感じるのだ。

 とりあえず、明日が燃えるゴミの日で良かった。この重さごと、全部燃やしてしまえると思うと少しは気が軽くなった。家に戻り、玄関で靴を脱いだ瞬間、ふと足が止まった。

 リビングの窓から見えるガードレールは傷だらけだが、少しするとまたまっさらになるのだろう。そして明日も、明後日も、このカーブがある限り、ブレーキもまた鳴るに違いない。

——そして、花もまた置かれる。

 私は台所で手を洗いながら、小さく呟いた。

「……もう、疲れた」
 その嘆きともいえる言葉は、水音に掻き消された。ただ、仏壇に飾られた妻の遺影だけが、静かにそれを受け止めるようにほほ笑んでいた。



——翌月、また事故があった。

 今度は深夜に軽トラックがガードレールに激突したらしい。そういえば音がしていたなと、朝の県内ニュースで報じられているのを眺めて、思い出していた。

 死者一名。名前は出なかった。

 私はリビングの窓から、いつものように白い花束が置かれていくのをぼんやりと見ていた。大きなユリの花束が雨に濡れて、すでに少し色が落ち始めている。

「……もう、うんざりだ。なあ、信子……」声に出して呟いた。

 体が重い。腰痛は慢性化しているし、膝の関節も雨の日は特に痛む。それでも、私がやらなければ誰もやらない。このカーブの住人として、二十三年間、そうやって生きてきた。

 少し雨が強くなってきた。アスファルトに当たる音が、苛立たしく耳に突き刺さる。花は水を吸って重くなり、腐りやすくもなっている。放っておけば、またあの臭いが家の中にまで入ってくる。そして苦情も。

 私は大きなため息をつき、レインコートを羽織った。フードを深く被り、ゴミ袋と軍手を手に外へ出る。冷たい雨がパタパタとレインコートに当たる。やる気など欠片もない。ただ、義務感だけが足を動かしていた。

 花束は思ったより少なかった。三つ。

 しかし問題はその大きさだった。豪華な籠に入った大きなユリは、ゴミ袋の口を大きく広げても入らない。仕方なく、膝をついてユリの茎を折った。ぷちっ、という小さな音が、雨音に混じり、濡れた花弁が指に張り付く。甘い腐敗の匂いが、鼻の奥にまで染み込んでくる。

「これで……最後か」
 折った花を無理やり袋に詰め込んでいる時だった。突然、後ろから急ブレーキの音が響き、振り向いた瞬間、視界が横に滑った。

 黒い乗用車がカーブを曲がりきれず、目の前にまで迫っていた。衝撃は想像していた以上に柔らかかった。体が浮き、ぐるぐると視界が回る。自分のものか、他人のものかわからない痛みが、遅れて全身に広がったと思ったら、地面にバシャリとひどく叩きつけられた。呼吸が、出来なかった。

——ああ、私はようやく開放されるのだ。

 最期に、そんなことを思った。……しかし、薄れていく意識の中で、ふと別の考えが浮かんだ。

 私の献花は……誰が片付けるのだろうか?

 雨の中で、唇の端がわずかに歪んだ。
 笑ったのか、泣いたのか、自分でもわからない。

 まあ……いいか。
 雨の音も、花の臭いも、妻の笑顔も……すべてが遠のいていった。