『無職という名の素晴らしい冒険』マーク・トウェイン風
さて、齋藤豪という男の話をしよう。五十歳にもなって無職だというから、近所のおせっかいな連中は「人生の落伍者だ」なんて陰口を叩く。だが、彼らはとんでもない間違いをしている。彼らは、人生という大河を、ただ言われた通りの小舟に乗って流されているだけの連中なんだからな。
齋藤豪は、その小舟からわざと飛び降りて、岸辺でコーヒーをすすりながら、流れていく連中を眺めて笑っているような男だ。彼は今、夜の静寂という名の特等席に座り、妻の文の寝顔を眺めている。彼女が眠っているとき——それ以外のときもそうだが——彼女は、この世のどんなお偉いさんよりも高貴で、見ていて飽きないものだ。彼はその額にキスをする。それは、世界中のどの銀行にある金よりも価値のある通貨のようなものだ。
世の中には「働く」ことが美徳だと信じ込んでいる哀れな人間たちがごまんといる。だが、豪は知っている。本当の美徳は、自分が何者でもないことを堂々と認め、この素晴らしい不条理な世界を、最前列の席で観戦することにあるということを。
明日の予定? そんなものは、川に浮かんだ枯れ葉にでも聞いてくれ。豪にとっての明日は、まだ誰も読んでいない物語の真っ白なページだ。彼はペンを執るだろう。そして、自分の無職ぶりを、これでもかというほど面白おかしく書き記すに違いない。
なぜかって? それこそが、この退屈な世界に対する、もっとも上等な仕返しだからさ。
