写経で無になれるのか・・・
昭和のおばちゃんが日々見聞きしたこと感じたことを昭和目線で独り言ちます。
友人と写経をしに行った。場所は



日本で初めて写経が行われたこの場所で
俗世とも暑さともおさらばしてみよう。
入山料と体験料を払い、部屋に通される。
机の上には


これは俗世から離れ心穏やかな時間が過ごせそうだ・・・・。
心静かに墨をする。
筆ペンも用意されているのだが、形から入りたい。
程よい濃さになったところで書き始める。
周りの皆さんも黙々と筆を動かし、静謐とはこのことか・・・。
しかし、2行ほど書いたところで気が付いた。

たぶん、時間かかる・・・・。
いや、時間かかってもいいんや。
その方が俗世から離れる時間が長くなる。
それだけ、無になれるってことや・・・。
いやいや、思ってたのとちょっと違う・・・。
早く終わりたい・・・・
早く終わりたい・・・・・
早く終わりたい・・・・・・
どう考えても無になれんやろ・・・。
しかし写すしかない。
今の字と違うから、画数多かったり、なんかよくわからなかったりして、
ペラペラ、半紙をめくり、下の字を確認。
昔のアニメーターみたいやな、などと思いながら、結局 無 を感じることなく書き終えた。
たぶんそこにいた誰よりも早かった気がする。
これが競争なら一番を取る自信もちょっとある。
しかし正確に書けていない字の数だけ減点とかになると、途端に勝率は下がる気もする。
そんなしょうもないことを思いながら、何をお願いしようか考える。
安産祈願とか交通安全とか家内安全とか学業成就とか・・・。
おばchannelはまずは「身体健全」そして大殺界なので「開運厄除」と書いた。
持って帰れるものとばかり思っていたのだが、おいて帰ったら、仏様にちゃんとお供えして奉納してくださると住職の方がおっしゃった。
「え?なんか、効き目ありそうやん。」
そう思ったとたん「心願成就」と娘のために「良縁成就」も付け足した。

写経をしても欲まみれの自分が笑える。
人間そうは簡単に変わらぬもの。
そして神様も、そこは目をつぶって願い事をかなえてくれますようにと勝手なお願いをするおばchannelであった。
