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性について

先日出されたGEZANのフロントマン、マヒトゥザピーポーの声明を読んで。

詳しくはXの本人のポストを読んで欲しいのだが、要約するとマヒトが過去複数回に渡って性加害を行っていたという内容だ。

正直かなり混乱しているし、まだ認めたくない気持ちもある為ここに書いて色々と整理したいと思う。

なお100%マヒトが悪くて、ここから何を書いてもマヒトを擁護する気持ちは一切ないことを断っておく。

まず当の本人マヒトについて。

俺はマヒトの創る音楽を愛してきたし、メッセージに共感してきたし、パフォーマンスに熱狂してきた。

そして彼の溢れ出るカリスマ性から、崇敬にも似た感情を抱いてきたことも事実である。

しかし、彼の人間性について。

これも結局はイメージというか、予想に過ぎないのだが、聖人君子では全くないだろうなとは思っていた。

彼の創作は、彼が持つ狂気や攻撃性、暴力性を根底にしてなされてきたので、それらが必ずしも人に向けられないとは考えられないからだ。

けれどそんな危うさや自己陶酔感もまた、魅力的に映っていたのも事実だ。

何年も前に読んだので記憶は曖昧だが、マヒトが書いた小説のセックスの描写が妙に生々しかったのを覚えている。

それはマヒト自身が、生々しさやいやらしさを理解しているからこそ露悪的に書いているのかなと俺は思っていた。

だが実情は、そういった行為をなん度も繰り返してきたことからくるリアリティだったのかもしれない。

あれだけ人の尊厳を高らかにうたっていた人間が、他者の尊厳を平気で踏みにみっていた事には、強い怒りと深い悲しみを覚える。

俺はよくアイドルとかに「裏切られました」とか言ってるファンを見ると「最初からそんな奴信じんなよ」と思ってしまうのだが、今回は俺も完全に裏切られたような気持ちだ。

ここからは話をマヒトから性の話全体へ広げようと思う。

まず俺は有名人の女遊びが激しいとか、そんなことはどうでもいい。

そんな事言い出したらドビュッシーや坂本龍一、あらゆるバンドの曲が聴けなくなってしまうし、あらゆる芸人のネタが見れなくなってしまう。

英雄色を好むという言葉もあるが、そもそも性欲というのは「エネルギー」と言い換えることもできて、そのエネルギーがなければ何も成すことはできないだろう。

バリバリ社会で活動してる男が、全然セックスしていなかったら逆に不健全だと思うし心配になる。

なのでマヒトから感じる異様とも言える並々ならぬエネルギーは、性欲の強さの証明だと俺は思う。

というかもっと言ってしまうと、人によって性欲の多寡はあれど男は基本的に(もちろん俺も含めて)セックスがしたい存在だ。

ただ芸能人やバンドマンというのは、それが出来る環境が整いすぎているという問題があると俺は思う。

自分がもしそういう環境に置かれたら、その快楽を絶対享受しないとは言い切れなし、それを繰り返していたら性や女性に対する認識が歪んでいくのも無理はないだろう。

この件を男性、中でもシス男性(体と心の性認識が一致)のヘテロセクシャル(異性愛者)全体や構造の問題にしてマヒトの罪を矮小化するつもりはないが、ただマヒトが特別異常性欲者で、特別女性差別主義者だったわけではないと俺は思う。

どれだけ自動車の運転がうまい人でも100%交通事故を起こさないとは言えないように、どれだけ性に対し平等な意識を持ち、自己のコントロールができる(と思っていても)、100%加害者側にならないと言い切れる人間なんていない。

ミシェル・ウェルベックが『闘争領域の拡大』で看破したように、資本主義が進んでいくにつれその倫理は性の領域まで拡大する。

つまり成功した人間がセックスをほしいままに出来るというのは、この社会において自明の理ということだ。

では全てのそういったセックスが悪なのだろうか?

そこに関しては実情を知らないのでなんとも言えないが、ただここで一つ言えるのが、有名人とセックスしたいという女性側の欲求も少なからずあるということだ。

とにかく芸人やバンドマンと寝たいという女性も世の中には一定数存在する。

なので、同意がある上での(その同意というの定義がなく判然としないものではあるが)性交は、男女共に責任があると思う。

おそらく現代では、性交をした後にやっぱり嫌でしたといってハメられるようなケースもあると思うので、即座に男をレイプ魔として糾弾するのもちょっと抵抗があるが、マヒトは場合避妊具を付けずに性交したということなので、言うまでもなく最低である。

しかしこのセックスをめぐる問題は、全ての人間が無関心でいるわけにはいかないと俺は思う。

何故ならセックスというのは、人間にとって物凄く重要なファクターだからだ。

俺は以前からセックスそのものというより、人の性愛について強い関心を持っているのだが、特にこの動画からその重要さを感じた。

この動画では性について驚くほどポジティブに、なんの後ろめたさもなく語られている。

そして最も印象に残るのが、あそどっく氏の「行為後に相手がギューっと抱きしめてくれた。その時一人の人になれた。」という言葉だ。

性交というのは、例え外側だけであっても相手を「受け入れる・受け入れてもらう」というプロセスがある。

なのでセックスは、ただの性欲の解消以上の意味を持っていると思う。

そもそもが命を繋ぐという神聖な営為だしね。

というわけで、間違った形で放出しなければ性欲というもの自体は悪いものではない。

よく性犯罪者は去勢しろという人がいるが、そんな単純な問題ではない。

釈迦の弟子で、情欲に悩める少年僧がいた。

彼が苦悩の果てについに自身のペニスを斧で切断しようとした時、釈迦はその行為を制止したという。

本当に大事なのは、自分の心を自分で制御することなのだから、そんなことをしても本末転倒だと釈迦は言ったそうである。

性欲というのは誰もが持つものなのだから、その根源を絶っても仕方がないだろう。

まあ中には本当に異常な性欲を持つ人間だったり、ペドフェリアで幼い子供に手をだしてしまうような人間には去勢が必要かもしれないが。


さてここからは、俺たちのこれからについて考えていく。

少し前、友人と一緒にNetflixのこんなシリーズを見た。


俺が見たのはドイツ編じゃないけど

これは(超絶)セクシーな男女が集められて、性的な行為を我慢するという番組。

最初はエロい男女がおッぱじめるのを馬鹿にする為に見始めて、番組もそういうおバカな感じで進んでいくのだが、途中で番組の雰囲気が変わる。

この番組に出てくる男たちは、もう完全に女性を性の対象としか見ていなく、毎日違う女とヤってることを自慢するような連中だ。

そんな彼らが、考え方を変えていくエピソードがある。

紙に自分の弱さを全て書き出し、それをお互いに見せ合い、最終的にその紙を槍で突き刺すという、ある種儀式めいた行為をするのだ。

この弱さっていうのが結構リアルで、俺はこんな筋肉もりもりマッチョマンの変態たちにも弱さがあるのかとカルチャーショックを受けた。

そして彼らは、女性と向き合ってこなかったのは自身の弱さのせいだと認め、女性を一人の主体性を持った人格として扱うことを誓う。

実際に彼らが変われたのかは番組終了後のことはわからないけど、少なくとも前よりは意識が高まったのではないかと思う。

このように人は自分の弱さを認め、考え方を改め、行動を変えていくことができる。

マヒトが行ったことは、完全にマヒトの弱さからの行動だと思う。

今回の文章は、おそらく悪いのはマヒトだけじゃないと、100%マヒトを悪として非難できてないと思う。

それはやっぱり、今まで好きだったというバイアスがかかっているせいもある。

ただ、マヒトには変わってほしい。

俺は間違ってしまった人を、「はいお前ダメだったね。終わったな。」で切り捨てたくはない。

確かに被害者のことを考えれば、もう表舞台に出てこないという選択肢も、もしかしたら正しいものかもしれない。

当たり前だけど、マヒトがまた活動を再開しても今まで通りの見方はできない。

けれど、性犯罪者の言うことは聞かないと言って耳を塞ぐこともしたくない。

マヒトには大いに反省してもらい、その上で思ったことや考えたことを伝える責任があるとまで思う。

だからと言って赦すとかそういう話ではないんだけどね。

そしてこの文章で一番書きたいのは、これはマヒトだけの問題ではないということだ。

たまたまマヒトの件が明るみになったけど、こういった不同意性交というのは有名人のみならず、至る所で実際に起きていることだと思う。

社会全体に女性差別的な価値観が蔓延っているのも事実だ。

そういったものを全員で変えていく必要がある。

これで最後になるかもしれないが、マヒトの言葉を引用して終わろうと思う。

俺たちは今、変わらなければいけない

GEZAN 『赤曜日』


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