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カーテンの向こう側の日常 ―なぜ私たちは「秘密」に蓋をするのか―

23歳、大学を卒業して2年目。
トレードと旅とSNSに明け暮れる日々の中で、ふと思うことがある。
朝起きて顔を洗い、メイクをして、外出して、帰ってきてメイクを落とす。
そんな日常の営みの中に、誰にだって「性」の瞬間があるはずだ。
オナニー、セルフプレジャー、自慰行為。呼び方はどうであれ、あれほど普遍的で、自然な身体の欲求が、どうしてこうも「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」として扱われるのだろうか。
正直、私も「恥ずかしい」と思っていた。
自分の身体の欲求を認めることが、どこか恥ずべきこと、少し汚いことのような気がしていた。
それはきっと、学校の授業でも、友達との会話でも、性の話題は「おふざけ」か「隠し事」として扱われてきたからだと思う。
特に女性の場合、性に対して能動的であることは、どこか「はしたない」という古い価値観が、空気のように染み付いている気がする。
でも、大人になって、自分の身体と向き合う時間が増えて、その考えは変わった。
セルフプレジャーは、単なる快感の追求じゃない。
自分の身体のどこに触れたら心地いいのか、今、どんな気分なのかを知る、自分自身との対話のひとときだ。
これによって血流が良くなったり、心が落ち着いたり、自分をもっと愛おしく思えたりする。これって、すごく健康的で前向きなセルフケアだと思う。
なのに、なぜ「恥」がつきまとうのか。
それはおそらく、社会が「性=誰かと共有するもの(かつ恥ずべき行為)」という概念を押し付けているからだ。
一人で完結する性の話は、あまりに私的で、公の場では口にできないタブーとされている。
私たちが感じている恥ずかしさは、自分の本音じゃなくて、社会から「そう思わされている」だけなんじゃないか。
「今日もオナニーしちゃった」なんて、友達に言える人は少ない。
でも、もしそれが「毎日ヨガをしてリフレッシュした」という会話と同じくらい、フラットに語れる場所があったら、どれほど楽だろう。
恥ずかしいと感じるのは、私たちがそれを「隠された秘密」にしているからだ。
カーテンを閉めて、誰にも見られない場所で、自分のためだけに行う行為。
それは、恥ずかしいことなんかじゃない。
自分の身体を生きている、確かな証拠だ。
23歳の私は、もう自分の欲望に蓋をするつもりはない。
今日もカーテンの向こう側で、私は私自身を大切にする。
それが、私にとっての日常だから。

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