『僕だけが知っている君』第6話
入社して三週間。
○○は、会社でのいろはとの距離感にも慣れ始めていた。
いや。
正確には――。
慣れなければならなかった。
会社では、いろははただの先輩。
○○にとっても、それ以上ではない。
そう見せなければいけない。
朝。
○○「おはようございます」
いろは「……おはようございます」
それだけ。
昨夜は同じ布団で眠った二人なのに。
今は、目を合わせることすらしない。
○○は自分の席に座り、パソコンを立ち上げる。
すると小川が話しかけてきた。
小川「○○さん」
○○「ん?」
小川「奥田さんと一緒に住んでたりします?」
○○「……え?」
一瞬、心臓が跳ねた。
○○「なんで?」
小川「なんとなくです」
○○「……住んでないよ」
小川「そうですか」
小川はそれ以上聞かなかった。
けれど――。
○○は少しだけ冷や汗をかいていた。
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昼休み。
○○は食堂へ向かった。
いろははいつものように一人で席に残っている。
目が合う。
ほんの一瞬だけ。
いろはの目が笑った。
でも、すぐに視線を逸らす。
○○「……」
本当は一緒に食べたい。
昨日の夜だって、
いろは『明日のお昼、一緒に食べられたらいいのに』
と言っていた。
でも、それはできない。
○○は小川たちと食堂へ向かった。
その背中を、いろはは誰にも気づかれないように見つめていた。
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午後。
梅澤「奥田」
いろは「……はい」
梅澤「これ、○○くんと一緒にやって」
いろは「……分かりました」
○○「はい」
二人で資料を確認する。
周囲に人がいるため、必要なことしか話さない。
○○「ここはどうしますか?」
いろは「……こちらでいいと思います」
○○「分かりました」
いろは「……」
仕事は順調に進んでいった。
ところが。
○○が資料を取りに席を離れた直後。
菅原「奥田さん」
いろは「……はい」
菅原「○○さんと、結構一緒に仕事してますよね」
いろは「……はい」
菅原「大丈夫なんですか?」
いろは「……何がですか?」
菅原「いや……」
菅原は少し笑った。
菅原「○○さん、まだ入社したばかりですよね」
いろは「……」
菅原「奥田さんと一緒にいると、仕事大変そうだなって」
いろは「……すみません」
菅原「別に謝らなくても」
いろは「……」
菅原はそのまま席を離れた。
いろはは小さく息を吐く。
そして、○○が戻ってくる。
○○「お待たせしました」
いろは「……はい」
いつも通り。
何もなかったように仕事を続ける。
でも。
○○には分かっていた。
いろはが、少しだけ手を震わせていることを。
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仕事が終わる。
○○「お疲れ様です」
いろは「……お疲れ様です」
会社を出る。
いつも通り、別々に帰る。
そして――。
家。
○○「ただいま」
いろは「おかえり!」
いつもの笑顔。
○○「今日、菅原さんに何か言われた?」
いろは「……」
いろはの動きが止まる。
いろは「なんで?」
○○「見てたから」
いろは「……そっか」
○○「何言われた?」
いろは「別に……」
○○「いろは」
いろは「……」
しばらく黙っていた。
そして。
いろは「○○くんと一緒にいると、仕事大変そうって」
○○「……」
いろは「だから……」
いろは「もっと距離を取らないとって思った」
○○「それで?」
いろは「明日から、もっと冷たくする」
○○「……は?」
いろは「○○くんのためだから」
○○「いろは」
いろは「私と仲良くしてるって思われたら、○○くんまで嫌われる」
○○「俺は気にしない」
いろは「私は気にする」
○○「……」
いろは「○○くんが会社で一人になるの、嫌だから」
○○「俺には同期もいる」
いろは「でも……」
いろはの目に涙が浮かぶ。
いろは「私がいるせいで、○○くんの会社生活まで壊したくない」
○○「……」
いろは「だから……お願い」
○○は何も言えなかった。
いろはは俯く。
いろは「……ごめん」
○○「謝らなくていい」
いろは「でも……」
○○「分かった」
いろは「……え?」
○○「会社では、今まで以上に距離を取ろう」
いろは「……うん」
○○「でも」
いろは「?」
○○「家に帰ってきたら、今まで通りな」
いろは「……うん」
○○「それだけは変えない」
いろはは涙を拭う。
そして、少しだけ笑った。
いろは「……ありがとう」
○○「うん」
いろは「○○くん、大好き」
○○「俺も」
会社では、言えない言葉。
誰にも聞かせられない言葉。
二人だけの秘密。
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翌朝。
○○が会社に着く。
いつものように、
○○「おはようございます」
いろは「……おはようございます」
昨日よりも、さらに距離がある。
○○は自分の席へ向かう。
すると小川が、
小川「○○さん、今日ちょっと顔怖くないですか?」
○○「そう?」
小川「はい」
○○「……気のせいだよ」
そう答えながら、○○は思った。
――これでいい。
いろはが望んでいるなら。
俺は、会社では他人でいる。
それが二人の秘密を守るためなら。
しかし。
その日の午後。
○○は、思いもよらない言葉を耳にする。
「奥田さんって、○○くんのこと嫌ってるよね」
「そう見える」
「教育係なのに、ほとんど話してないし」
「○○くんも可哀想」
○○は何も言わずに通り過ぎた。
その言葉が――。
胸に刺さった。
そして。
もっと苦しい思いをしているのは、きっといろはの方なのだと。
○○は知っていた。
