『僕だけが知っている君』第2話
翌朝。
○○が会社に到着すると、すでに何人かの社員が席についていた。
その中に、いろはの姿もある。
○○「おはようございます」
いろは「……おはようございます」
昨日と同じ。
目も合わせない。
それどころか、○○が席の近くを通っても、まるで存在していないかのようにパソコン画面を見つめている。
○○はそんな彼女を見て、小さく笑った。
昨日の夜。
いろは「○○くん、明日も会社では知らない人だからね」
○○「分かってるって」
いろは「絶対だよ?」
○○「はいはい」
いろは「……返事が軽い」
そんな会話をしていた。
だから今の態度も分かっている。
――これが、いろはなりの自分を守る方法なのだ。
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「奥田さん、これお願い」
いろは「……はい」
梅澤から資料を渡される。
いろはは小さく頭を下げ、作業を始めた。
○○も自分の仕事に取りかかる。
しかし、少しすると――。
梅澤「奥田」
いろは「……はい」
梅澤「これ、数字違うよ」
いろは「……え?」
梅澤「ここの数字。昨日も同じところ間違えてたよね?」
いろは「……すみません」
梅澤「確認してから出してって言ったよね?」
いろは「……はい」
梅澤「じゃあ、なんで間違えるの?」
いろは「……」
答えられない。
梅澤「もういい。私が直すから」
いろは「……すみません」
梅澤は資料を取り上げ、そのまま自分の席へ戻っていった。
○○は思わずいろはを見る。
いろはは何事もなかったかのように、次の仕事を始めていた。
○○「……」
――まただ。
怒られているのに、何も言わない。
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昼休み。
○○が食堂へ向かおうとすると、小川が声をかけてきた。
小川「○○さん、一緒に行きません?」
○○「うん」
二人で食堂へ向かう。
小川「そういえば、奥田さんが教育係なんですよね?」
○○「そうだよ」
小川「……大丈夫ですか?」
○○「何が?」
小川「奥田さんって、ちょっと……」
小川は言葉を濁す。
○○「人見知り?」
小川「それもありますけど……仕事が、あまり……」
○○「そうかな」
小川「え?」
○○「いや、まだ二日目だから分からないけど」
小川「……○○さんって、優しいですね」
○○「そう?」
小川「私だったら、あんなに無視されたら苦手になっちゃいます」
○○は少しだけ黙った。
○○「……まあ、そうかもね」
小川「ですよね」
その頃。
食堂の隅では、いろはが一人で昼食を取っていた。
誰かと話すこともない。
スマホを見ることもない。
ただ静かに食事をしている。
そこへ菅原が通りかかった。
菅原「……奥田さん、今日も一人ですか?」
いろは「……はい」
菅原「まあ、いいですけど」
それだけ言って去っていく。
いろはは何も言わなかった。
ただ、少しだけ俯いた。
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仕事が終わる。
○○が会社を出ようとすると、いろはが後ろから声をかけた。
いろは「……○○さん」
○○「はい」
会社では、あくまで先輩と後輩。
○○「何でしょうか」
いろは「……これ」
いろはが資料を渡す。
いろは「確認しておいてください」
○○「分かりました」
それだけ。
周囲に人がいるから、二人ともそれ以上話さない。
○○「では、お疲れ様でした」
いろは「……お疲れ様です」
会社を出る。
駅へ向かう道の途中。
スマホが震えた。
『先に帰ってるね』
○○「……ふっ」
昨日と同じメッセージ。
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家に帰ると――。
いろは「おかえり!」
○○「ただいま」
いろは「今日もお疲れ様!」
○○「いろはもね」
いろは「うん!」
さっきまで会社でほとんど声を出していなかった人とは思えない。
いろは「今日ね、○○くんが食堂に行ったとき……」
○○「うん」
いろは「ちょっと寂しかった」
○○「……え?」
いろは「一緒に行きたかった」
○○「会社じゃ無理だろ」
いろは「分かってる」
いろはは頬を膨らませる。
いろは「でも、寂しいものは寂しい」
○○「……ごめん」
いろは「○○くんが謝ることじゃないよ」
○○「でも――」
いろは「明日は一緒に帰ろ?」
○○「それも会社では別々な」
いろは「うん」
いろはは笑った。
○○「……本当に会社と家で別人だな」
いろは「そう?」
○○「うん」
いろは「じゃあ……」
いろはが○○の隣に座る。
そして、肩を寄せる。
いろは「家では、○○くんの前だけでいられる私でいたい」
○○「……」
いろは「会社では、誰にも必要とされてない気がするけど」
いろは「家に帰ったら、○○くんがいるから」
○○「俺はずっといるよ」
いろは「……約束?」
○○「約束」
いろは「ふふっ」
小さく笑う。
その笑い声を聞きながら、○○は思った。
――この笑顔を、会社の誰も知らない。
そして。
――俺だけが知っている。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
ただ、その頃会社では。
梅澤が今日のいろはの仕事を確認していた。
梅澤「……また間違ってる」
菅原「本当に仕事できないですよね」
梅澤「……」
梅澤は資料を見つめる。
そして、ため息をついた。
梅澤「明日、もう一度ちゃんと話さないと」
いろはにとって――。
明日は、今日より厳しい一日になりそうだった。
