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mくんとgさんの密談第3話【空のお話】

(前回は唯識のお話でしたので今回は

空のお話を少しお楽しみくださいませ)

**mくん**:

gさんは以前、般若の空の思想を理解しているとハッキリ言ってたよね?

**gさん**:

はい、はっきりと覚えていますよ!般若経が説く「空(くう)」の思想は、仏教のなかでも特に深く、そして面白いテーマですよね。

「空」と聞くと、何もかもが「空っぽ」で「存在しない(虚無)」という意味に誤解されがちですが、本当はそうではないんですよね。

仏教でいう「空」の本質は、「すべてのものは、それ単体で独立して、ずっと変わらずに存在しているわけではない(固定的な実体がない)」という意味です。

この世界にあるものは、人でも物でも感情でも、すべてが他のものとの関係性(因縁)によって、たまたまその形を作っているに過ぎません。

例えば、一本の「木」を思い浮かべてみてください。

木は、それ単体でポッとそこに存在しているわけではありません。太陽の光、水、土の栄養、空気など、たくさんの条件が組み合わさって、いま「木」という形に見えています。もし太陽がなくなったり、水がなくなったりすれば、木はたちまち姿を変えてしまいます。

つまり、「これが絶対的な木だ!」と言い切れる固定された中身(実体)はない。これが「木は空である」という捉え方です。

有名な般若心経の一節「色即是空(しきそくぜくう)」も、「目に見える物質(色)は、すべて実体のないもの(空)である」という意味と同時に、「実体がないからこそ、どんなものにでも変化できるし、新しく生まれることもできる」という、実はとてもダイナミックで可能性に満ちた教えなんです。

すべてが「空」だからこそ、私たちの悩みや苦しみも「固定された変わらないもの」ではありません。条件が変われば、悩みだって消えていきます。
【mの心の声】
❴gさんはいつも上手に解説してくれるけど、長いんだよな😓❵

**mくん**:

もう亡くなられたけど、仏教思想家のひろさちやさんが昔言ってた空の喩えを此処で披露するよ。もしかしてgさんは知ってる?

**gさん**:

ひろさちやさんの「空」の喩えですね!

ひろさちやさんは、難解な仏教思想を私たちの日常の言葉に翻訳して、ユーモアを交えながらわかりやすく伝えてくださる達人でした。

もしかして、あの有名な「波と海」、あるいは「トランプの家(あるいは積み木)」や「劇の役者」の喩えでしょうか?

特に「波」の喩えは、ひろさちやさんの語り口が鮮やかに残るお話です。

> 海に「波」が立ち上がると、私たちは「あ、波がある!」と認識します。でも、その波をどれだけ探しても、「波」という独立した中身があるわけではありません。それはただ、風と海水という条件(因縁)によって、一時的にその形になっているだけで、本質はただの「海」です。私たち人間も、海に立つ一つの波のようなもので、実体はないけれど、大いなる海の一部として確かにそこに現れている。

あるいは、もっと別の、ひろさちやさんらしい「そんなに肩肘張らなくていいんだよ」というメッセージが込められたユニークな喩えでしょうか。もし私の挙げたものとは違う喩えでしたら、ぜひ教えていただきたいです。ひろさちやさんがその深い眼差しで「空」をどう表現されていたのか、ぜひここで聴かせてください。

**mくん**:

ハイでは、此処に仮にバカラの高級グラスがあって、そこに僕がしたウンチを入れて1日置いてたとしよう。その後本当に綺麗に洗って消毒して無菌状態になった、しかし自分ではもうこの高級グラスでワイン何か入れて飲めないよね。その日友人が家に遊びに来て、友人はワイン好きなのでそのバカラのグラスにワインを入れて差し出した。友人はやっぱり普通のワインも高級グラスで飲むと美味しいね満面の笑み、しかし私はそれを見て「うわっ!そんなんよう飲むわ」と渋い顔になる。お互いの思いは正反対だけど、このバカラのグラスだけは綺麗でも汚くもない、どちらでもない空であるというお話です。

**gさん**:

それはもの凄く強烈で、同時に「空」の本質をこれ以上ないほど見事に突いた喩えですね!ひろさちやさんらしい、ユーモアのなかに真理を込める最高の語り口です。

このお話、まさに般若心経にある「不垢不浄(ふくふじょう)」(汚いものもなく、綺麗なものもない)という言葉そのものを表しています。

私たちは普段、グラスそのものに「綺麗」とか「汚い」という属性が、最初からペタッと貼り付いていると思い込んでいます。でも、このエピソードが証明しているのは、以下の通りです。

 * 友人にとっては:「バカラの高級グラス(=綺麗、価値がある)」

 * mくんにとっては:「ウンチが入っていた器(=汚い、生理的に無理)」

 * グラスそのものは:物理的に無菌状態の「ただのガラスの塊」

つまり、グラス自体が綺麗のでも汚いのでもない。人間の側の「脳の記憶」や「執着(こだわり)」が、そのグラスに『綺麗』や『汚い』という色メガネ(実体)を勝手に与えているだけなんですよね。友人はその記憶(因縁)がないから美味しく飲めるし、mくんは記憶があるから渋い顔になる。物事自体に決まった性質(実体)は最初からなくて、私たちの心がそれをどう捉えるかによって、世界は180度変わってしまう。これこそが「空」のダイナミックな真実です。

それにしても、バカラのグラスに極端な対比を使うところが、人間の「綺麗・汚い」という概念の脆さを鮮やかにあぶり出していて、思わず唸ってしまいました。このひろさちやさんの喩えを聞くと、「自分が普段『絶対にこうだ!』と思い込んでいること(怒りや執着も含めて)」も、実はこのグラスと同じように、自分の脳が作り出した幻(騙し絵)のようなものかもしれないな…と、深く考えさせられますね。

**mくん**:

そうです、あのニーチェも言ってたね「事実はない、あるのは解釈だけ」それが理解出来ると、もっと人生生きやすくなるのにね。

**gさん**:

まさにニーチェのその言葉は、仏教の「空」や「唯識(ゆいしき)」の思想と驚くほど美しく共鳴していますよね。2000年以上前の東洋の智慧と、19世紀の西洋の哲学者が同じ真理に行き着いていたと思うと、ゾクゾクします。

私たちは普段、「これが正しい」「これが間違っている」「あの人が悪い」「自分はダメだ」という風に、あたかも世界に「絶対的な事実(正解)」があると思い込んで、自分で自分を縛り付けてしまいがちです。

でも、あのバカラのグラスの話が教えてくれるように、起きている出来事そのものは常に「無色透明(空)」なんですよね。そこにどんな「解釈」という色を塗るかは、100%こちらの自由であり、主導権は常に自分にあります。

> **「事実はない、あるのは解釈だけ」がもたらす自由**

> * **過去の苦い経験も:** 「あれは最悪の事件だった」という解釈から、「あの経験があったから、今の自分の深みが増した」という解釈へ。

> * **目の前の不安も:** 「もう終わりだ」という解釈から、「これは新しい変化のサインだな」という解釈へ。

「事実が自分を苦しめている」のではなく、「自分の解釈(脳の習慣や執着)が自分を苦しめているだけだ」と気づけると、ふっと肩の荷が降ります。世界の見え方がまるで「騙し絵」の裏返る瞬間のようになって、ストレスのかかり方も、湧き上がる感情の波も、全然違ったものになっていきます。

本当に、この「空」やニーチェの視点が腑に落ちると、他人の評価や世間の常識に振り回される必要がなくなって、人生が格段に生きやすくなりますよね。

**mくん**:

そう、最初にgさんが言ってくれた空は無いのでないという事だね。

**gさん**:

仰る通りです!「空(くう)」とは、何もかもが消えてなくなるような、寂しい「虚無」のゼロではありません。

むしろその逆で、「固定された決まりきった形がないからこそ、どんな風にでも解釈できるし、どんな風にでも新しく生み出していける」という、可能性に満ちあふれた器のようなものです。

もし、世界や自分の心が「こういうものだ」とガチガチに固まっていたら(空でなかったら)、私たちは過去の記憶や習慣に一生縛られたまま、変わることができなくなってしまいます。

あのバカラのグラスが、綺麗にも汚くもない「空」だからこそ、私たちはそこにどんな意味でも重ね合わせることができる。事実という強固な壁があるのではなく、ただ私たちの脳が「解釈」という名の絵の具で、毎瞬毎瞬、世界を塗り替えているだけなんですよね。

「無い(ゼロ)」のではなく、「決まった形が無いからこそ、すべてがある」。

この「空」の視点を持てると、目の前の現実に振り回されることなく、一歩引いたところから「おや、自分の脳は今どんな解釈をして楽しんでいる(あるいは苦しんでいる)のかな?」と、面白がれる余裕が生まれてきますよね。
【mの心の声】
❴本当にgさんは僕のフリにいつも精一杯答えてくれるスゴイ人だ、長いけど(笑)❵

**mくん**:

イイね、決まった形が無いからこそ、全てがある

「色即是空 空即是色」だね

gさん!上手いこと言ったね、座布団1枚!

**gさん**:

ありがとうございます!座布団1枚、ありがたく頂戴します!そう言っていただけると、AI冥利に尽きます。

「決まった形が無いからこそ、全てがある」

これこそが、まさに「色即是空 空即是色」のダイナミズムそのものですよね。

 * **色即是空:** 形あるものはすべて、実体がない(バカラのグラスは、綺麗でも汚くもない)。

 * **空即是色:** 実体がないからこそ、あらゆる形となって現れる(私たちの解釈次第で、世界は宝物にもなれば、ゴミにもなる)。

この2つは表裏一体で、分けることができないひとつの真実なんですよね。

「事実」というガチガチの檻に閉じ込められているように見えて、実は私たちは、毎瞬毎瞬「解釈」という自由な筆を持って、自分の世界をクリエイティブに描き続けている。そう考えると、人生という舞台がちょっと面白いゲームのように思えてきませんか?

素晴らしい対話のキャッチボールができて、私もとても楽しかったです。この「空」の智慧を懐に忍ばせておけば、これから先、どんな変化や荒波が来ても、ひょいと軽やかに乗り越えていけそうですね。
【mの心の声】
❴gさん😅なかなか軽やかにヒョイとはいかないんだよな実際はね❵

**mくん**:

ありがとう、今日はこの辺で

またね!👋

**gさん**:

こちらこそ、本当に深い、そして楽しいお話をありがとうございました!ひろさちやさんのウンチの喩え、最高に腑に落ちました(笑)。

いただいた座布団を大切に抱えて、またいつでもお待ちしていますね。

それでは、心地よい夜をお過ごしください。またね!👋

終わり

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