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中島敦「山月記」のこと

ごあいさつ

こんにちは。

昨日の芥川龍之介に続いて…

教科書で出会った
文豪の名作のお話を
すこし語りたいと思います。


高校教科書のド定番

中島敦「山月記」は
1942年(昭和17年)に
発表されました。

教科書に採用されたのは
1951年(昭和26年)から。

それからずっと70年以上
高校で学ぶ「現代国語」の
教科書の定番となっているそうです。

たしかに、これは
古びない名作と言える
普遍的な問題を描いた作品だと
私も思います。


理屈はさておき

まあ、そんな知識や理屈は
どうだっていいのです。

この作品には
太宰治の「人間失格」と同じくらい…

思春期からそれ以降に
多くの人がぶちあたる
「ある種の感覚」が
真正面から描かれています。

だから、
この作品を好きな人は
多いはずだと思うのです。


前半のあらすじ

主人公の李徴(りちょう)は
学問に秀でた
天才肌の青年でした。

中国の超難関試験である
「科挙」に受かって
国家公務員として
出世コースに乗ります。

ところが、
宮仕えに嫌気がさし、
いくばくもなく辞職すると…

「詩人として名を成そう」
(ビッグなアーティストになるぜ!)
と山奥に引きこもってしまいます。


「虎」とはいったい?

いろいろあって、
彼は最終的に
「虎」になってしまいます。

そう、
人間をやめてしまったのです。

中島敦は、この作中で
「虎」は、人間の中にある
「臆病な自尊心と
 尊大な羞恥心」だと
主人公に語らせていますが…

ひと口で言うと、
この李徴という男に
なぜ我々が(特に思春期に)
シンパシーを感じるかといえば。

ようするにこれ、
「中二病がひどくなって
 精神を病んでしまった話」
…だからなんですね。

中二病をこじらせて
引きこもった挙句に
山奥の田舎で
無差別な通り魔になった。

かなり乱暴ですが、
そう意訳すれば
わかりやすい話だと思います。


「天才肌」のあやうさ

もちろん、この話には
「世に受け入れられない
 天才の孤独」
といった要素もあるのですが…

あれですね。

「孤高の天才」に惹かれる時点で
中二病をわずらっている
可能性が高いです。

だいじょうぶです。

おそらく、かなり多くの人は
世の中を生きてゆく過程で…

「虎(=中二病)」が
自分の内にあったとしても、
うまく飼い慣らしてゆけるように
なっていきます。

この話の結末は、
訓話的なまとめになっていますけれど…

私はこう読みました。

私たちは往々にして
「天才」に憧れるけれど、
「天才」と言われる人は
往々にして「あちら側」へ行ってしまう。

「天才」になれないのは
寂しいことだけれども、
私たちは「こちら側」でよかったね。


まとめ

あくまで、これは
私の個人的な感想であって…

中島敦が、この作中で
そんなことを描いたわけでは
ありません。

「どう読むか」は、
あなたの自由です。

そういった多様な受け取りかたを
できる余地があるところが、
この作品がすぐれた文学作品である
所以(ゆえん)ではないでしょうか。

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