自分は悪くないと言いながら事実を隠す人に、重要な仕事は任せられない
トラブルが起きた瞬間、自分の無実を証明し始める人を、私は信用しない
もちろん、本当に本人だけの責任ではないこともある。
指示が曖昧だった。
相手の対応が遅かった。
必要な情報や権限が渡されていなかった。
仕事で起きる問題の多くは、誰か一人だけを悪者にすれば説明できるほど単純ではない。
責任の所在は、事実に基づいて正確に分ける必要がある。
だから、「自分は悪くない」と主張すること自体を問題にしたいわけではない。
問題は、
事実を確認した結果として
「自分だけの責任ではない」
と結論づけるのではなく、
最初から自分に責任はないと決めてしまうことである。
その結論を守るために、相手の落ち度は詳しく説明する一方で、自分に不利な経緯を報告から外す。
それは事実の報告ではない。
自己正当化のために、事実を編集している。
「先方の返信が遅かった」は、間違いではない
例えば、ある仕事が納期に間に合わなかったとする。
担当者に理由を確認すると、こう説明した。
「先方から必要な回答が来なかったので、作業を進められませんでした」
実際、先方からの返信は遅れていた。
依頼内容にも曖昧な部分があり、
確認せずに進めれば、後から大きな手戻りが発生する可能性もあった。
担当者が回答を待った判断には、理解できる部分がある。
ここまでなら、担当者だけを責める話ではない。
しかし、経緯を確認していくと、別の論点が見えてくる。
担当者は途中の段階で、回答が来なければ期限に影響する可能性を認識していた。
それでも関係者には、「現在、確認中です」としか伝えていなかった。
本人の中では、もう少し待てば回答が来ると考えていたのだろう。
自分で解決できるうちは、周囲を巻き込みたくなかったのかもしれない。
その考え方まで否定する必要はない。
ただし、事情が理解できることと、対応に問題がなかったことは別である。
期限に影響する可能性を早く共有していれば、上司から先方へ働きかけることもできた。
作業範囲を変える、
人員を追加する、
納期を調整する
といった選択肢も残っていたはずである。
ところが、
問題が表面化した後、本人が
「先方の返信が遅れた」
という事実だけを報告し、
「自分も危険を認識しながら共有しなかった」
という経緯を外してしまえば、周囲は原因を正しく判断できない。
先方の対応が遅かった。
同時に、担当者の報告も遅かった。
この二つは両立する。
他人に問題があったからといって、自分の問題が消えるわけではない。
--
悪意がなくても、組織の判断機会は失われる
すべての情報隠蔽に、明確な悪意があるわけではない。
顧客から
「少し使いにくい」
「期待していたものと違う」
という連絡が来たとき、
担当者が正式なクレームではないと判断することがある。
自分で対応できると考え、上司には共有しない。
ところが、後になって顧客の不満が大きくなり、過去の連絡が見つかる。
担当者は、
「解約するとは言われていませんでした。あの時点では、深刻な問題だとは思いませんでした」
と説明する。
この説明も、嘘とは限らない。
本当に問題を軽く見ていた可能性がある。
ただ、ここで問題になるのは、意図的に情報を隠したかどうかだけではない。
本人の解釈だけで情報の重要性を決め、組織が判断する機会をなくしたことである。
担当者にとっては小さな違和感でも、
営業、開発、経営が見れば、継続契約や製品改善に関わる重要な兆候かもしれない。
「自分は深刻だと思わなかった」という説明は、共有しなかった理由にはなる。
しかし、共有しなかった判断が正しかった証明にはならない。
人は、自分に有利な説明を作りやすい
人は成功を自分の能力や努力によるものと考え、失敗を環境や他人の影響によるものと捉えやすい。
心理学では、自己奉仕バイアスと呼ばれる。
これは性格の悪い人だけに起きるものではない。
私自身を含め、誰にでも起こり得る。
だから、
自分に都合のいい解釈をしただけで、その人を信用できないと決めるべきではない。
見るべきなのは、自分の解釈に合わない事実が出た後の行動である。
不利な情報を質問されるまで話さない。
後から発覚すると、
「聞かれなかったから言わなかった」
と説明する。
新しい事実を示されるたびに、別の誰かの責任を持ち出す。
ここまで来れば、単なる認知の癖では済まない。
自分を守るために、周囲の判断に必要な情報を止めている。
--
ミスをした人と、事実を歪める人は違う
仕事をしていれば、判断を間違えることはある。
確認が不足することもあれば、限られた情報の中で決めた結果、予測を外すこともある。
ミスをした人が、直ちに信用を失うわけではない。
「先方の返信が遅れたことは事実ですが、自分も遅延の可能性を認識しながら報告しませんでした」
「当時は大きな問題ではないと判断しました。ただ、その判断を自分一人の中で止めてしまいました」
このように説明できれば、原因を分解できる。
相手の問題、
本人の判断、
報告基準、
組織の支援不足
を切り分け、次の運用に変えられるからである。
一方、
自分の無実を守るために事実を歪める人とは、検証が成立しない。
こちらは何が起きたのかを明らかにしたい。
しかし本人は、責められない説明を完成させようとしている。
同じ出来事について話していても、会話の目的が違う。
この状態では、原因も再発防止策も作れない。
--
信用が壊れると、管理コストが増える
信用とは、相手の言葉を前提に、次の判断へ進める状態である。
重要な情報を隠したことが一度でも分かれば、その後は本人の報告だけでは判断できなくなる。
「順調です」
と言われても、
本当に問題がないのか確認が必要になる。
「対応しました」
という報告にも、
誰に何を伝え、相手がどう反応したのかという裏取りが増える。
メールやチャットを確認し、別の関係者から事情を聞き、資料の履歴まで調べなければならない。
以前は必要なかった確認工程が増え、判断の速度も落ちていく。
本人は、細かく管理されていると感じるかもしれない。
しかし、管理が強くなったから信用が失われたのではない。
その人の言葉だけでは、事実が分からなくなったのである。
情報の正確性を担保できない人には、重要な案件を一人で持たせられない。
権限を渡すことも難しくなり、判断の影響が大きい仕事から外さざるを得なくなる。
能力や成果の問題ではない。
その人の報告を、会社の判断材料として使えないからである。
報告が遅れた時間だけ、会社の選択肢は減る
悪い情報が早く共有されていれば、まだ選択肢は残っていたかもしれない。
期限の調整、
顧客への事前説明、
人員の追加、
作業範囲の変更。
場合によっては、損失が広がる前に中止する判断もできる。
しかし、情報が止まっている間、周囲は問題がない前提で動き続ける。
事実が表面化したときには時間がなく、使える打ち手も減っている。
その結果、
上司が顧客に謝罪し、
他部署が予定を変え、
同僚が追加作業を引き受ける。
会社は信用を回復するために、本来必要のなかった時間と費用を使う。
本人が避けた責任は消えていない。
形を変えて、他人に移っているだけである。
つまり、都合の悪い情報を隠す行為は、単なる報告不足ではない。
自分を守るために、周囲へリスクと後始末を押しつける行為である。
--
悪い情報を上げられない組織も、事実を歪める人を増やす
もちろん、個人だけを責めても問題は解決しない。
悪い報告をした瞬間に怒鳴られる組織では、誰も早く報告しなくなる。
状況確認より先に犯人探しが始まり、相談した人ほど損をするなら、人は問題解決より自己防衛を優先する。
経営者やマネージャーは、
「問題を起こしたこと」
と
「問題を隠したこと」
を分けて扱わなければならない。
早く悪い情報を出した人まで無条件に処罰すれば、次から報告は遅くなる。
事実を共有したこと自体は評価し、責任の整理や再発防止は、その後に行うべきである。
一方で、
「報告しにくい環境だった」
という理由だけで、情報を止めた行為を曖昧にしてもいけない。
組織に問題があったことと、本人が他人の判断機会を奪ったことは、同時に成立する。
どちらか一方を選ぶのではなく、両方を直す必要がある。
隠す人だと分かった後は、信用ではなく運用を変える
一度情報を隠した人が
「反省しています」
と言っても、すぐに元の任せ方へ戻すべきではない。
謝罪は必要だが、謝罪だけでは報告の正確性は回復しない。
最初に行うのは、起きたことを時系列で整理することだ。
本人がいつ問題を認識し、その時点で何を知っていたのか。
誰に何を伝え、何を伝えなかったのか。
本人の記憶だけに頼らず、メール、チャット、資料、関係者の認識を照合する。
目的は本人を追い詰めることではなく、事実と解釈を切り分けることにある。
そのうえで、報告方法を変える。
「順調です」
「問題ありません」
といった主観的な表現だけで終わらせず、
当初の予定、
現在地、
想定との差、
未解決事項、
必要な支援や判断
を分けて報告させる。
一定期間は確認頻度を上げ、重要情報を一人だけに集中させない。
問題が起きてから報告期限を決めるのではなく、どの状態になったら相談するのかを先に決めておく。
これは処罰ではない。
壊れた信用を、確認できる運用によって作り直すための対応である。
それでも情報の隠蔽や自己正当化を繰り返すなら、重要な仕事から外すしかない。
短期的な成果を出していても、専門能力が高くても、事実を正確に共有できない人に大きな責任は渡せない。
自分の無実を証明したいのか、何が起きたかを明らかにしたいのか
トラブルが起きたとき、最初に置くべき問いはこれである。
自分が悪くないことを証明したいのか。
それとも、何が起きたのかを明らかにしたいのか。
自分の無実を証明することから始めれば、自分に有利な事実だけを探すようになる。
何が起きたのかを明らかにすることから始めれば、自分にとって都合の悪い事実も確認しなければならない。
信用される人は、すべての責任を自分で背負う人ではない。
相手の問題を相手の問題として整理しながら、自分の判断や行動に問題があれば、それも同じ解像度で認められる人である。
複数の人に問題があるなら、複数の問題をそのまま並べればいい。
自分を守るために、どれか一つを消す必要はない。
この記事で残したいことは、ひとつです
自分は悪くないと主張することが問題なのではない。
自分を正当化するために、不都合な情報を隠し、事実を都合よく作り変えることが問題なのである。
ミスをした人とは、もう一度仕事ができる。
判断を誤った人とも、事実を検証して運用を変えれば仕事ができる。
しかし、自分を守るために事実を歪める人に、重要な仕事は任せられない。
その人の報告を前提に、周囲が判断できなくなるからである。
信用される人は、失敗しない人ではない。
トラブルが起きたときにも、自分に都合の悪い事実を、事実として出せる人である。
悪い情報が止まり、経営が判断する時間を失うと、会社の危機は深くなっていきます。
見えていた問題が、なぜ手遅れになるまで共有されないのか。その構造については、こちらの記事にまとめています。
"『手遅れ|危機はこうして深くなる』"
最初の報告では出てこなかった事実が、確認するたびに後から出てきた。
そんな経験があるなら、どの時点で「もうこの人の報告だけでは判断できない」と感じたでしょうか。
反対に、自分に不利な情報まで早く共有してくれたことで、「この人には任せられる」と感じた経験もあると思います。
仕事の能力以上に、都合の悪い事実を出せるかどうかを重く見る方は、スキとフォローをお願いします。
