謝ることは負けではない、勝つための一歩目
謝る
謝れない人を、何人も見てきた。
賢い人ほど、謝れないことがある。
事情の説明がうまい。
相手にも落ち度があることを、論理的に示せてしまう。
自分だけが悪いわけではないと、正しく言えてしまう。
でも、結果として人が離れていく。
不思議なことに、失敗そのものより、その後の態度で信用は削れていく。
なぜ人は謝れないのか。
たぶん、謝った瞬間に「負けた」と感じるからだ。
自分の非を認めたら、立場が弱くなる。
相手に主導権を渡すことになる。
周囲から「あの人が悪かった」と見られる気がする。
これまでの判断まで、全部否定される気がする。
だから謝らない。
黙る。
説明を増やす。
相手の問題を先に指摘する。
時間が過ぎるのを待つ。
でも、その瞬間に守っているのは信用ではない。
プライドだ。
自分も、最初から謝れる側の人間だったわけではない
以前、仕事で相手先との認識がズレたことがあった。
こちらの確認も甘かったし、伝え方も足りなかった。
相手に余計な不安を与えた部分もあった。
でも同時に、相手側にも確認不足はあった。こちらだけが悪いわけではなかった。
だから自分は、まず説明しようとした。
「こちらにも不足はありました。ただ、そちらでもこの点は確認いただいていたはずです」
言っていることは、間違っていなかったと思う。
でも、その場の空気は一気に固くなった。
相手の表情が変わった。
こちらの言葉を聞く姿勢ではなくなった。
そこから先は、何を言っても言い訳のように聞こえていたと思う。
結局、その場では話が進まなかった。
後日、改めてこちらの確認不足を先に認めて、謝った。
そのうえで、次に同じことを起こさないために、双方でどこを確認するかを話した。
関係が完全に壊れたわけではない。
でも、一度固くなった空気はすぐには戻らなかった。
返信の温度も変わった。
こちらの言葉に対する信頼が、少し落ちたのが分かった。
そのときに痛感した。
正しい内容でも、順番を間違えると届かない
相手の落ち度を伝えること自体が間違っていたわけではない。
問題は、先にこちらの負い目を認めなかったことだった。
怒っている相手に、最初から論点整理を持ち込んでも届かない。
相手の中では、理屈より感情が先に立っている。
こちらがどれだけ冷静でも、どれだけ正しくても、相手の感情が高いままでは、説明は説明として受け取られない。
言い訳に聞こえる。
責任逃れに見える。
自分の受けた影響を軽く扱われたように感じる。
だから、まず謝る。
これは感情で負けているわけではない。
論理として、まず謝る
それ以来、自分の基準はかなりシンプルになった。
ごくわずかでもこちらに負い目があるなら、まずそこを認める。
全面的にこちらが悪かったと言う必要はない。
相手の言い分をすべて受け入れる必要もない。
理不尽まで背負う必要もない。
ただ、確認が甘かったなら、そこは謝る。
伝え方が足りなかったなら、そこは認める。
判断が遅れて相手に不安を与えたなら、まずその不安に対して謝る。
「その点はこちらが足りていませんでした」
この一言があるだけで、相手との対話のハードルは下がる。
人は、最初から反論されると構える。
怒っているときに正論を返されると、さらに怒る。
自分が受けた影響を認められていないと感じるからだ。
謝ることは、相手に屈することではない。
対話できる状態をつくることだ。
相手の怒りが少し下がる。
理性が戻る。
そこで初めて、こちらの言い分や相手側の問題も伝えられる。
「一方で、今回はこちらだけの問題ではなく、この点の認識違いもあったと思っています」
「次に同じことを起こさないために、双方でここを揃えたいです」
この順番なら、相手も聞ける。
最初から相手の落ち度を指摘すれば、対立になる。
先にこちらの負い目を認めてから伝えれば、整理になる。
この違いは大きい。
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仕事で謝れない人は、謝罪を「個人の敗北」として捉えている
仕事で守るべきものは、自分の面子ではない。
顧客が怒っているとき、
取引先との関係が壊れかけているとき、
現場が止まっているとき、
本当に守るべきなのは会社の信用であり、
相手との関係であり、
次に進める状態である。
個人としては謝りたくない場面がある。
それは分かる。
責められたくない。
評価を下げられたくない。
弱く見られたくない。
相手に押し切られたくない。
でも、個人として謝りたくないことと、法人として謝るべきことは違う。
この区別ができていない人は、自分を守っているつもりで会社を傷つける。
会社のために戦っているように見えて、実際には会社のことを見ていない
謝罪は、全部を背負うためのものではない。
責任範囲を曖昧にするためでも、相手の理不尽を受け入れるためでもない。
むしろ逆だと思っている。
先に謝るからこそ、冷静に整理できる。
何がこちらの問題だったのか。
何が相手側の問題だったのか。
どこで認識がズレたのか。
次に同じことを起こさないために、双方で何を揃えるべきなのか。
そこまで話すために、まず謝る。
謝れない人は、この整理に入れない。
自分を守ることに意識が向きすぎて、相手の感情を下げられない。
相手の不満を受け止められない。
対話の入口を作れない。
結果として、本来なら解けた問題までこじれる。
人が離れるのは、失敗したからではない。
失敗したあとに、向き合わなかったから離れる。
怒られること、
間違いを認めること、
謝ること、
そしてもう一度関係を作り直すことを、
仕事に使える形で覚えてこなかった人もいるのだと思う。
謝ったら負け。
間違いを認めたら下に見られる。
責められたら自分を守るしかない。
そういう感覚のまま仕事をすると、問題が起きるたびに、防衛が先に出る。
でも、仕事で守るべきものは自分の面子ではない。
会社の信用であり、相手との関係であり、次に進める状態であり、まだ残せる未来だ。
そこを守るために、謝る。
謝ることは、感情の敗北ではない。
相手の感情を下げ、
理性を戻し、
もう一度話せる状態をつくるための最初の一手である。
自分の正しさを守った結果、関係が壊れることがある
あのとき、先に謝っていれば。
あのとき、相手の怒りを受け止めてから話していれば。
あのとき、自分の説明より、相手との関係を先に置けていれば。
そう思う場面は、誰にでもあると思う。
だから、今は先に謝る。
負けたくないからではない。
これ以上、壊さないために。
そして、もう一度ちゃんと話すために。
謝ることは負けではない。
勝つための一歩目だ。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
失敗した後、謝れた人と謝れなかった人で、その後の信用は大きく変わると思っています。
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今後も、危機時の経営、組織、信用、再起について書いていくので、よければフォローしてください。
