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読めているのに分からないのはなぜか——国語読解を変える「構造」という視点

「ちゃんと読んでいるのに、なぜかわかった気がしない。」

国語(小説)の読解で、この感覚を持ったことはないでしょうか。



文章の内容は追えている。

設問にもある程度は答えられる。

けれど、「本当に読めているのか」と言われると、
どこか自信が持てない。
違和感が消えない。

あせって、周辺資料や作家の生涯を調べて、なんとかしてわかろうとする。
まるで「正解」があるかのように。

それでも、なぜか読めている気がしないという違和感が残る。

この違和感は、単に読解する力がないとか資料の理解ができていないということではないのです。
むしろ、かなり本質的な問題から生じています。


問題は「意味の取り方」ではない

一般的に、読解とは

  • 筆者の言いたいことを読み取る

  • 登場人物の気持ちを考える

  • テーマや主題をまとめる

といった作業だと考えられています。
国語の授業の多くで行われているテーマ読解もこの一つです。

もちろん、これらが無意味というわけではありません。
ただし、ここに一つ大きな前提があります。

それは、

「すでに正しく読めている」ことが前提になっている

という点です。

つまり、

  • 正しく読めている → 解釈する
    という順序です。

特に作家の言いたいこと(意図)を読み取ろうとする場合、周辺資料や作家の生涯についての知識も踏まえます。
そうすると「正しく読める」ということは、小説に書いてないことまでも「正しく」理解していないと「読める」ということになりません。

しかし実際には、

そもそも「何を読んでいるのか」が曖昧なまま、解釈だけをしている

ということが起きています。

これが、「読めているのに分からない」状態の正体です。

それは、

「意味を考えている時点で、すでにズレている」

という可能性がある状態なのです。


読解には「見えていない層」がある

文章は、一見するとただの内容の集まりに見えます。

しかし実際には、

  • 誰が語っているのか

  • どのように語られているのか

  • 何が語られていて、何が語られていないのか

といった構造によって成り立っています。

この構造が見えていないまま読むと、どうなるか。

たとえば、

  • 心理描写だと思っていたものが、実は推測だった

  • 客観的な事実だと思っていたものが、語り手の視点だった

  • 登場人物そのものだと思っていたものが、「語られた像」だった

というズレが生まれます。

このズレを埋めるために、周辺資料を持ってくることがあります。

「ほら、ここにこう書いてある」

「この作家はこういう生い立ちだった。だからこの小説はこのように解釈できる」

この時忘れがちなのは、その周辺資料が、
小説を理解するために持ってこられた断片」であるということです。
言い換えると、その断片は、
小説理解に役立つものとして解釈されたものになっているのです。

作家の人生の出来事は、
作家が一人の人間として生きた証
であることは言うまでもありません。

しかし、小説を理解するために
都合よく切り出されるものではありません。
それを忘れて、小説理解に役立つものにするのは、
解釈する者の都合に他なりません。

では、このズレは、丁寧に読めば埋まるかと言うと、
登場人物の心理や自分が共感できるかといった点を読んでいる限り、
いくら丁寧に読んでも埋まらないのです。

読む対象そのものを取り違えているからです。


ここで一つ確認してみて欲しいのです。

あなたは小説を読むとき、
「誰の言葉」を読んでいますか?

登場人物でしょうか。

それとも、

その人物を語っている何かでしょうか。


いつも目覚めていたいのは、

どういう対象を読んでいるか

ということ点です。


「構造的に読む」とはどういうことか

では、一体どうすればよいのか。

必要なのは、「意味を取る」前に、

その文章が

「どのように成り立っているのか」

を捉えること

です。

これを「構造的読解」と呼びます。

構造的に読むとは、例えば次のような問いを立てることです。

  • 誰が語っているのか?

  • その語りはどこまで信頼できるのか?

  • 情報はどのように選ばれているのか?

  • 読者は何を直接知ることができているのか?

こうした問いを通して、

「語られている内容」ではなく「語りの仕組み」

を見ていきます。
つまり、丁寧に読むとは、その語りがどういう「仕組み」なのかを
見極めることなのです。


読み方が変わると、作品そのものが変わる

この読み方は、単なるテクニックではありません。

一度この視点を持つと、同じ文章でも、

  • まったく違うものとして立ち上がる

  • これまで当然だと思っていた解釈が揺らぐ

  • 「読めていたつもり」が崩れる

といった変化が起こります。

たとえば、定番教材として知られる作品でも、
語りの構造に注目するだけで、読みは大きく変わります。


それは、「解釈が変わる」というよりも、

そもそも見えているものが変わる

と言った方が正確かもしれません。
「語りの仕組み」が、まさしく構造としてとらえられるからです。


関連記事(理解を深めたい方へ)

構造的読解については、以下の記事でも詳しく扱っています。

  • 「構造的読解とは何か」


  • 「なぜ『読めているのに分からない』のか」


  • 「問題は意見ではない——議論がずれるとき」


✨ 他にも複数の記事で、読み方の前提を整理しています。


本格的な読解へ(羅生門)

ここまで読んで、「読み方が違うかもしれない」と感じた方へ。

この読み方は、概念として理解するだけでは不十分です。
実際の小説でどう機能するのかを見てはじめて、
「読める」という感覚に変わります。

この読み方を知らないままでは、
どれだけ丁寧に読んでも「読めている感覚」は手に入りません。

逆に言えば、構造が見えた瞬間に、
同じ文章がまったく別のものとして立ち上がります。
それこそが、「読める」という状態です。

そのために用意しているのが、
芥川龍之介「羅生門」を題材にした読解シリーズです。
「羅生門」では、
「下人の心理」は本当に語られているのか、
というところから、これまで当たり前だと思っていた読みが崩れていきます。

この読解シリーズでは「作者が語る」という構造を軸に、

  • 下人の心理はどのように語られているのか

  • なぜ老婆は外見でしか語られないのか

  • 読者が直接読めていたのは何か

といった点を、周辺資料を一切使わずに、
本文の言葉だけを根拠に徹底的に分析しています。

▶︎『羅生門』読解シリーズ(全4回)


おそらくこれまでの「羅生門」の読みとは、
まったく違うものが見えてくるはずです。
一線を画す読み方は手に入ります。

特に授業で、「羅生門」を扱ったことがある場合は、
授業の読み方を踏まえた上で、それを捉え直す新しい読解に至るはずです。
まさにメタ認知的な読み方になるでしょう。

扱う前であるならば、授業を受けながら、
その内容を相対化する視点を持つことができます。
読解の精度は一段と深まるはずです。

まずは第1回だけでも読んでみてください。
▶︎『羅生門』読解:真の主人公は「作者」?表現構造から読み解く新解釈①


「物語を読む」とはどういうことか、その前提が変わると思います。
その手応えを、本文で確かめてみてください。

構造は、実際のテキストの中でしか立ち上がらない

ということがきっとわかってきます。

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