日本のデジタル敗戦は、どこから始まったのか
読売新聞の「検証デジタル」で、西和彦氏と中島聡氏のインタビューが続けて掲載されていた。
西氏の記事は、
「なぜ日本はソフトウェアで後れを取ったのか。ハードを作らなくなったからだ」
という話。
一方、中島氏の記事は、
「日本のソフトウェア文化が根本的に間違っている。原因は多重下請け構造にある」
という話だった。
一見すると別々の話に見える。
しかし、私はこの2つはかなりきれいにつながっていると思う。
昔の日本は、半導体もパソコンもテレビも携帯電話も自分たちで作っていた。
ハードを作れば、それを動かすためのソフトウェアが必ず必要になる。
OS、ドライバ、通信、組み込みソフト、UI、制御。
つまり、ハードウェア産業そのものがソフトウェア技術者を育てる巨大な現場でもあった。
ところが日本企業は、価格競争の中で少しずつハードウェアを作らなくなった。
西氏は、日本がゲームで今も強い理由として任天堂やソニーがゲーム機というハードを持っていることを挙げている。
これは重要な指摘だと思う。
ハードを持てば、ソフトウェアを他人事にはできない。
自分たちで考え、自分たちで作り、ハードとソフトを一体で最適化しなければ製品にならないからだ。
一方で、日本のソフトウェア産業では別の構造が大きくなった。
SIerを頂点とする多重下請け構造だ。
上に行くほどコードを書かなくなり、仕様書を書き、工程を管理し、実際にプログラムを書く仕事は下請けへ流していく。
中島氏はこれを、
「自分で料理をしない料理長がレシピを書いているようなもの」
と表現している。
この問題はAIが出てきて急に始まった話ではない。
中島氏は20年以上前から指摘していた。
AIによって、これまで隠れていた問題が一気に顕在化しただけだと思う。
生成AIを使えば、一人の技術者が、
要件を考える
設計する
コードを書く
テストする
修正する
ところまで高速に回せるようになった。
そうなると、何層にも人を挟む多重下請け構造そのものが巨大なオーバーヘッドになる。
しかもAIを本当に使いこなせるのは、結局のところ自分で手を動かしてきた人だ。
AIが出したコードがおかしいのか。
設計がおかしいのか。
データ構造がおかしいのか。
そこを判断できなければ、AIに仕事を任せることもできない。
つまりAI時代になって、
「コードを書かない上流エンジニア」より、「自分で考え、自分で作れるエンジニア」の価値が再び大きくなった。
ここまで考えると、西氏と中島氏の話は一つの流れとして見えてくる。
日本はハードを作らなくなった。
その結果、製品としてソフトウェアを作る現場が減った。
一方でソフトウェア産業は、受託開発と人月商売が中心になった。
そしてその中で、実際に作る技術者よりも、管理する人間の地位が高くなっていった。
要するに日本は、
「作る人」を軽視し、同時に「作るもの」まで失っていった。
のではないか。
この話は、これからのAIやロボットにもそのままつながる。
AI、半導体、ロボットを別々の産業として考えていてはいけないと思う。
ヒューマノイドを本気で作ろうとすれば、モーターや減速機だけでは済まない。
センサー、半導体、OS、リアルタイム制御、AIモデル、学習基盤、クラウド、データセンターまで必要になる。
つまり、ロボットという「作るもの」を持つことで、ソフトウェアも半導体もAIも鍛えられる。
TeslaもNVIDIAもAppleも、今やハード会社なのかソフト会社なのか簡単には分けられない。
全部をつないで製品を作っている。
日本も本来、そこを目指すべきなのだと思う。
AI時代に必要なのは、「AI人材を増やそう」「半導体を支援しよう」「ロボット産業を育てよう」と別々に考えることではない。
実際に何かを作る産業を中心に、ハード、ソフト、AI、半導体をもう一度つなぎ直すこと。
そして、その中心には管理者ではなく、実際に手を動かす技術者がいるべきだ。
中島氏が20年以上前から指摘していた問題と、西氏が指摘する日本のハード衰退。
この2つを並べると、日本の「デジタル敗戦」がなぜ起きたのかがかなり見えやすくなる。
そしてAIは、その答えをさらに残酷なくらいはっきり見せ始めている。

