生きていくかぎり悩みは尽きない
私がかつて、調理の仕事をしていたあるホテルの
厨房に、少しくせのある男の調理師がいた。
普段は、虫1匹たりとて殺せもしないほどに
気の小さい男なのだが、どういう理由か
給料日になると、いきなり大きな声で
叫び出す。
朝から昼頃までは、いつものように
黙ってもくもくと仕事をしているのだが
そろそろ始まるな!と思っていると
頭を左右に振りながら、ワーって言う叫び声が
響きわたる。
私も最初の頃は、いったいどうなってしまった
のかと思ったものだが、他の同僚が言うには
みんな、まったく意味がわからないと言って
不思議がっているそうだ。
ただ、ひとつだけ考えられるとしたら
給料の振り込み日なので、本人にとって
みれば、嬉しいはずであるにもかかわらず
かえってそれが、この男をその様に
させてしまう何かの原因が
あったのであろうか。
まあ、その理由についてはわからないままで
そっとしておくしかないとのことである。
それにしても、その調理師はなかなかに
腕も良かったし、普段においては正直者で
親切心もあって私としては、結構に気に
いっていた。
私の仕事が遅れても、黙って助けてくれたし
重い食材が入ったダンボール箱なども
嫌な顔ひとつしないで、運んでくれたりして
随分助けてくれていた。
こういった職場では、自分から言いださない限り
プライベートのことに、触れることはまずない。
私が思うには
この人にかぎらず、誰でも心の中に重い石の
ような物を抱えて生きているのだと思う。
人生は、生きていくかぎり悩みの連続で
あって、悩みが尽きることはない。
今となってみれば、いい経験をさせて
いただいたと思う。
