見出し画像

ぞっとする未来を、先取りするのをやめた

こんにちは、キャンディです。

この度、みのりさんから
#エッセイしりとり
のバトンを受け取りました。

回ってきたみのりさんの記事はこちら

ということで、私は「ぞ」から始まるこのタイトルで今日は書きたいと思います!


「ぞっとする未来を、受け取るのをやめた」


最近、89歳の義母を見ていて、
ふと思うことがあります。

私はこれまで、
80代、90代というのは、
死がだんだん近づいてきて、

「いつお迎えが来るんだろう」

そんなことを考えながら、
少し不安で、
少し怖くて、
どこか落ち着かない時間を過ごすものだと
勝手に想像していました。

ところが。

目の前で一緒に暮らしている89歳の義母は、
私が想像している姿とは、
ちょっと違うんです。

もちろん、
「なんか膝が痛いわ、どうしよう、どうしよう」など
日常でたびたび心配することはあります。

でも昔より、
全体的にどんどん穏やかになっているように見える。

死について、
毎日怖がっている様子もない。

病気のことを四六時中心配しているわけでもない。

そして最近、
その姿を見ながら、
こんなことを思ったんです。

私はひょっとして、

55歳の「今の感覚のまま」
89歳の自分を想像しているんじゃないか、と。

私は今、
死ぬことそのものが
ものすごく寂しいわけではありません。

自分がこの世からいなくなることに対しても、
「絶対に嫌だー」と強く思っているわけではない。

でも怖いものはあります。

死へ一歩一歩近づいていく途中の、
痛みや苦しみ。

そして、
そのとき自分はどれほど怖いんだろう、
その恐怖に耐えられるんだろうか、

ということです。

でも義母を見ていると、

人間は体だけが老いていくわけではないのかもしれない、
と思うようになりました。

記憶も、
感情も、
心配する力も、
いろんなものへの反応も、

いい具合に、
少しずつ変わっていく。

もちろん、
老化には不便なことも、
寂しいことも、
たくさんあると思います。

でもその一方で、

若いころと同じ感度のまま
ハラハラとすべてを受け止め続けないで済むように、

人間には何か、
うまい調整?が備わっているのかもしれない。

そんなふうにも思えてきました。

だとしたら。

私は今、
まだ起きてもいない未来の恐怖を、

今の私の感度で
勝手に先取りしているのかもしれません。

80代になったら怖いだろうな。

病気になったらつらいだろうな。

体が思うように動かなくなったら、
きっと耐えられないだろうな、って。

でも。

きっと「そのときの私」は、
今の私ではない。

その年齢になった自分には、
その年齢なりの感じ方になっていて、

そのときの身体があって、
そのときの心があって、

今とは違う受け止め方をしているかもしれない。

89歳の義母を見ていると、

未来の自分の気持ちまで、
55歳の私が今から決めなくていいんだな、

と思ったんです。

89歳の私が何を怖がって、
何を怖がらなくなっているのか。

それは
89歳の私にしかわからない。

だったら、

まだ会ったこともない未来の自分の感情まで、

今の私が
先取りしなくてもいいのだ。

そんなことを、
89歳の義母の穏やかな横顔を見ながら
思い始めた今日この頃です。

(終)


さて、

ここからは
#エッセイしりとりのバトンを次の方へ

この企画は、前の人の記事タイトルの最後の一文字から始まるタイトルをつけ、140文字以上のエッセイを書くというものだそうです。

私のタイトルは
「ぞっとする未来を先取りするのをやめた」

なので、次の一文字は……

「た」。

次は、Toffeeさんへバトンをお渡ししたいと思います。


もちろん、ご都合が悪ければスルーしてくださいね。

そして、この楽しい企画を考えてくださったマイキーさんの記事をご紹介します。



こういう企画を思いつく発想って、素敵ですね✨

ありがとうございました♪





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集