50代主婦、待ちに待った「寝込める日」
こんにちは、キャンディです。
数日前から、咳が出ています。
熱もない。
喉がものすごく痛いわけでもない。
でも、むせるような咳が出る。
これがなんとも不快なんです。
体も不快。
そして、気分も不快。
でも今回、その「不快」の中身をじーっと見ていたら、ふと気づいたことがありました。
私がしんどかったのは、咳そのものだけではなかったんだ、と。
ここ数日は、咳が出ているにもかかわらず、大切な会議や接客が重なっていました。
人前で咳き込んだらどうしよう。
相手に不快な思いをさせたらどうしよう。
万が一、誰かに迷惑をかけたらどうしよう。
そう思うと、咳の不快感に、さらに「今は倒れられない」という緊張感がどんどん上乗せされていったのです。
そして、すべての予定が終わった日の夜。
「あーーー、やっと思う存分ぶっ倒れられるーー!」
そう思った瞬間、体はまだ咳をしているのに、なぜか心だけがふっと軽くなったのです。
思えば、こんな感覚は過去にもありました。
娘の受験が終わった日。
それまで少し喉が痛かったり、体調が怪しかったりしても、私はどこかで「今だけは寝込んだらあかん!」と緊張しながら踏ん張っていました。
そして受験が終わった瞬間、
「あー、やっと風邪が引けるー」
と、謎の解放感に包まれたのです(笑)
さらに面白かったのは、実家の高齢の両親。
娘の受験が終わった日、冗談半分、本気半分でこう言いました。
「あーーー、やっと死ねるーー!」
いやいや、死なんといて(笑)
でも、その言葉の奥にあったものも、きっと同じだったのだと思います。
もし受験中に自分たちに何かあったら、私たちに迷惑をかける。
孫の受験に響くかもしれない。
そんな恐れと緊迫感を、両親なりに抱えていたのでしょう。
人は、体調不良そのものより、
「今、自分が崩れたら誰かに迷惑をかけるかもしれない」
という不安に、案外大きく苦しんでいるのかもしれません。
そう考えた時、ふと、世の中で活躍している人たちのことを思いました。
政治の場に立つ人。
会社を背負う人。
大勢のスタッフと観客を前にするアーティスト…
たとえば私がずっとファンである玉置浩二さんは、昨日までオーケストラをバックに歌う全国ツアーをされていました。
以前、
「自分の体調で万が一公演を中止にしてしまったら、団員の皆さんの家族にまで迷惑をかけてしまうから」
と、体調管理に命をかけているというエピソードを聞いたことがあります。
その話を思い出した時、胸がぐっとなりました。
私の咳ひとつでも、これだけ心がざわつくのに。
多くの人の期待や生活を背負っている人たちは、どれほどの緊張の中でいつも体調を管理しているんだろう、と。
「今は倒れられない」
その言葉には、責任感の美しささえあります。
でも同時に、自分の身体の声を後回しにしてしまう危うさもある。
実際、責任を優先するあまり、自分の大病に気づかなかったり、気づいていても検査や手術を後回しにしてしまったりする人もいます。
役割を果たすことは尊い。
でも、その裏側には、外からは見えない緊張や不安や体調管理がある。
そんなことを、コホコホ咳をしながら考えていました。
世界で活躍している皆さま。
大きな責任と戦っている皆さま。
そして、身近な場所で「今は倒れられない」と踏ん張っている皆さま。
本当に、尊敬申し上げます。
……と、家の片隅で咳き込みながら思った、
50代主婦キャンディなのでした。
