生まれ出づる時空、私を金継ぎする私(1)
バタさんとフライさんへ
ヤク君たち、そろそろ手元に届いた頃でしょうか?
届いてるといいな、と思いながらこれを書いてます。
バタフライさんたちは、いかがお過すごしですか?
今年ももう半年が過ぎようとしているのですから、驚きですよね。
まずは最初に、気になり続けていたことがあるんです。
去年の暮のハガキに、意味云々のことを書いて送ったじゃないですか。
あれだと、意味を”考える”という方向に真っ先に思考が働くな、って、投函した後に気づいたんです。
だからこれを書いています。
届けたかったニュアンスは、意味を”感じる”なんです。
“意を感じる“ “意なるものを感じる“ の方が良いかもしれません。
意味というとやはり内容になるので言葉として考えてしまうでしょうから。
「ここには自分にとって大切な何かが必ずある」という意のもと、その感覚を身体全体で感じるのです。
この意が既にあるので、頭は空っぽでいてください。
身体全体が発するゆらぎのようなものを感じると思います。
そのまま そのゆらぎを感じ続けていると、自然に身体の中心に感覚が行き着きます。
きっとそこがゆらぎの源だからでしょう。
中心が源に定まったら、体感覚をそこに据えたまま問うのです。
「この出来事を通して私はどんな自分を自分の世界に産み出したいのだろう?」って。
少しずつ満ちてくる源
力を備えもった自分
その力を身体全体で感じる
ここまで来たら、想像力の出番です。
受け取るのは、未来の自分が送ってきているシグナル。
体現したい自分。
体現すべき自分。
この自分を頭の中にくっきりと思い描いて、生命を吹き込んで下さい。

私ね、ヤクという動物のこと、このキーホルダーを買うまで全く知らなかったんです。
仕事先でネパール製の手作りフェルトの作品を扱っているのですが、そのうちのひとつなんです。
〜ヤク〜
ヒマラヤ山脈の標高三千〜五千メートル以上の高地という過酷な環境に適応し生息する牛科の大型動物。
トレッキングの荷物を運ぶ貴重な山の運搬役でもあり、ミルクや肉、毛皮など、現地の人々の生活を支える貴重な家畜でもある。
キーホルダーの毛がウールである事は確かなので、ヤクの毛なのだろうと思われます。
春に抜け落ちる毛で作られたのではないかな、と。
今考えると、なぜ選んだのかもよく分からないのですが、
バタさんとフライさんのおふたり、どうしてるかな?という想いのもと、目に入ってきたのがこのヤク君たちだったんです。
自分にも買いました。
私たちが取り組んでるのはいつも "自分づくり”という創作だから。
その仲間として。
「過酷な環境に適応し」ってところ、私たちを結びつけるのにぴったりだと思いませんか?
いやもちろん、この歳になると表からは分からないだけで、世の人みんな色々とあるでしょう。
それでも、「どうしても枠にはまれない」「自分をあきらめたくない」という意味で。
ねっ
一頭ずつじっくり顔を見て選びました。
選び終わる頃にはヤク君が背負ってる丸められた毛布が、知恵の巻物に見える様になっていました。笑
知恵の巻物が三巻もですよ。
なんてありがたい。
どちらのヤク君がどちらのもとに行ったのか気になります。
私の中で、こうだろうな、ってのはあるのですが。
そのうちまた教えてくださいね。
私のヤク君は机の上にいます。
失いたくないのでキーホルダーとしては使わず、金具の部分は取りました。
巻物にはベルガモットの精油をときおり染み込ませています。
ところでバタフライさんたちから頂いた、
平等院鳳凰堂の雲中菩薩のしおりと、祓戸大神をお祀りする佐久奈度神社の瀬織津姫のお守り、大切にしています。

雲に乗りながら舞い踊る、まぁるい世界である極楽浄土に導く力を持つ雲中菩薩
あらゆる災厄や穢れを川から大海原に洗い流す力強い祓えの力を持つ瀬織津姫
おふたりのそれぞれの核なる姿なんだろうな、っていつも思っています。
普段はお財布に入れているのですが時々取り出して日光浴していただき、お財布にしまう時には、そのお力をいただいています。
私の中では、しおりとお守りを通しておふたりから。
この力を、この力が無いと感じている、言うなれば負の状況、負の状態にある時にこそ発揮するのですぞ。
自らのうちにおいて。
お見せしたいものがあります。
おふたりのことを思いヤク君たちを選び、お手紙を書き始めたちょうどその頃、出勤してパソコンを立ち上げるとWindowsのスポットライトが、

平等院鳳凰堂。
驚きでしょう。
「え、こんな事って。」と、一瞬ドキッとしたのですが、同時に深いところで「そうだよね。」って納得感も。
ヤク君たち、少しばかり傾いているじゃないですか。
まるで地球の傾きの様ですよね。
約46億年前に惑星がぶつかって傾いた自転軸。
衝突の勢いで飛び散った破片が集まって出来たと考えられる月。
傾きがある事によって私たちは四季の変化を楽しみ、夜空に浮かぶ月を見上げ、自らのうちにある何とも言えない混じり気のない気持ちや思い触れることが出来る。
傾きのある人生。
傾きのある自分。
「まさか今起きているこの出来事は、こうなってみたい自分を形作る為のきっかけとして起きているのではないか?」
傾きは自分自身に対する抱負です。
出来事に対する意味づけは、自分次第です。
なぜならそこにある意味は、自分以外の誰にも気づきようがないのですから。
自分であることの意味合い。
傾きの中で、自分という作品(アートワーク)を生涯一緒に産み出し続けていきましょうね。
甲斐の国の住人として。
可能性を秘めた未来からの旅人として。
自分であり続けること。
それは今の自分を超えてゆくこと。
超えた先の未知の自分からのシグナルを逃さないこと。
全ては巡り会いたい自分自身とのご縁を結ぶために。
私の事をふたつばかり書いて最後にしようと思います。
バタさん、更年期を迎えた私の身体、かなり色々とあります。
でもこの制限こそが、人生で本当に何を大切にしたいか、日々何に焦点を当てるべきか、をより一層明確にする事を助けてくれています。
念のため、身体のあれこれの症状はどうでもいいという意味でなく。
こちらはこちらでそれなりに日々取り組みもしています。
戻ります。
気になってしまうけれど、大半のどうでもいい流していいこと。
つい流しそうになるけれど、絶対に適当に流しちゃいけない集中すべきこと。
制限によって、限られた人生を生きているという紛れもない事実を突き付けられたことにより、日々の選択の精度があがっています。
それを根底で支えているのは、祓えをより強力に行う様になった精神構造です。
フライさん、この前一泊だけ家に帰ってきた子どもから、予期せずこんな言葉をもらいました。
「あの頃はまだ子どもで一体どれだけのことをお母さんがしてくれていたか分かっていなかった。
それにお母さんの大変さや辛さに気付いていてあげれてなくて、ごめんね。」
聞いた瞬間、様々な記憶が鮮明に甦り、駆け巡り、涙が頬を伝っていました。
いつか真意が届けばいい。
でも届かなくてもいい。
そんな思いを秘めてやってきた、数えきれないほどのあの時、あの瞬間という行為の数々。
言葉でなかったものが、子どもからの言葉として形が与えられました
私がその日受け取ったのは、そこにあったのは、「過去の、未来であるいつかが、今になった瞬間」でした。
時間差が消えた結ばれたまぁるい世界でした。
それでは、おやすみなさい。
追伸
以前も一緒に話した上賀茂神社の玉依比売命の御神話、登場する全ての物や人を自分だと設定して改めて読み返してみてください。
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