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エスカレータは街から消えるのか

桜木町駅前からランドマークタワーにかけてはエスカレータと動く歩道が連絡通路として連なっているが、その最後のパートであるランドマークタワー入り口前のエスカレータが2021年に実は撤去されていたことを皆さんはご存じだろうか。

「老朽化で修理が困難」が理由である。だったら、新品に付け替えればいいのではないかと私は思うのだが、いつの間にかウッドデッキ調のスロープに切り替わってしまったのだ。

ランドマークタワーといえば建設当時日本一の高さを誇ったビルであり、多くのオフィスや商業店舗が入居する400万都市の横浜の金字塔だ。国内外から観光客も集まる施設である。つまり黙っていてもヒトとカネが集まる空間であり、「赤字」を理由にエスカレータが外されるような場所には思えない。

にもかかわらず、街の一番の玄関さえダウングレードしてしまうというのが、今の横浜の現実だということを、神奈川県民の私は恥ずかしく思う。そしてこれはただのプライドの問題ではない。車いすの人や高齢者、小さい子連れなどの弱者にとっては、ちょっとの距離でも健常者の我々以上に少しでも自力移動の距離を短くすることは重要なことだ。

横浜市は福祉都市を標榜しているし、ただでさえ日本は今後高齢化社会になり、ますますこうした設備が重要になることは目に見えている。時代に逆行する、明らかな「公共後退」の悪い例である。

動く歩道をやめた那覇空港

動く歩道の撤去問題は沖縄にもある。沖縄は、那覇空港からゆいレールの駅までの動く歩道が老朽化によって3年半休止され、結局片方(下り側)が撤去されてしまったそうだ。

筆者はこれがギリ壊れる前に利用していて、空港と駅は微妙に距離が離れており、スーツケースを引いての移動で助かった記憶がある。人気観光地であることに加え離島県である沖縄では空港利用は欠かせず、みんな大荷物を持っているのだからあってしかるべき装置だ。なのに、費用を理由に両側の更新を渋り、「下り坂だから転がすのも楽だろう」と下り側はなくされてしまったのだ。

こういうことがまかり通るようになると、公共の福祉は後退していく。「コスパが悪いから」「なくても困らないから」と言う理由でだまって撤去されていった設備は、日本の街中、公共空間にはいくらでもある。ゴミ箱もその1つである。

日本では駅や街中にゴミ箱がほとんど存在しない。これほどゴミ箱がない国は異常だ。しかし以前は確実に存在した。なくす側はいつだって屁理屈を掲げるし、市民の反対がないことを理由にシレッと勝手に撤去するのである。

2000年代のゴミ箱問題と同じことが、いまエスカレータ問題意図して起きている。横浜ランドマークタワーや那覇空港と言う特定の施設の問題でも、特定の地域に限った問題でもない。

私やあなたの地元だって、いつの間にかエスカレータは消えている可能性は高い。そのことをしっかりと意識しなければいけないのだ。

埼玉のJR駅から消えるエスカレータ

駅構内でもエスカレータ撤去の動きが進む。特にJR東日本では埼玉県内を中心に撤去を推進。戸田駅(戸田市)、南越谷駅(越谷市)、東川口駅(川口市)などで、エスカレーターはなくなり続けている。一部は台風被害の浸水が理由とも指摘があるが、だったら新しいものに取り換えればいいのである。

廃線寸前の赤字ローカル線ならいざしらず、埼玉のベッドタウンの鉄道なんて毎朝晩のラッシュは死ぬほど混雑するから、儲からないわけがない。JR東日本という会社が貧乏すぎて更新費用がないから撤去するのではなく、批判がないから撤去するだけなのである。百歩譲って仮にJRがそこまで経営に困窮しているとしても、国が支援するなり、駅の地元自治体が予算を組んで支援する、それが政治だ。

もともとJRの駅にエスカレーターは元々ほとんどなかった。36歳の筆者が子どもの頃であれば、地元湘南の東海道線のホームでエスカレータがあるのは藤沢駅くらいで、誰もが階段移動を余儀なくされるのが普通だった。しかし、2006年のバリアフリー法あたりを契機に、辻堂、茅ヶ崎、平塚の各駅ホームで完備が進んだ。平塚駅では2022年に北口の上り方面しかなかったエスカレータに下りが新設されるなど、推進が進む。埼玉とは逆だ。

しかしもし声を上げなければ、「埼玉で許されたなら神奈川でも」と神奈川県の駅構内のエスカレータの撤去が進みかねないことは想像に難くない。現にランドマークタワーの一等地でさえ、まったく問題にならなかったのだから。

駅にエスカレータが広まった時代と比べ、今の方が団塊世代を中心に高齢化ははるかに進み、バリアフリーが進んだおかげもあって障がい者の社会進出も進んでいる。にもかかわらず、時代を逆行させる撤去が起きるというのは、あってはならないことなのだ。

これが許されればなんだって許されることになる。ゴミ箱はもうなくなったし、駅のトイレだって「経費だけかかってカネを生まない」からと撤去されるかもしれない。通勤中に腹痛に見舞われても、駆け込む場所もない。白昼堂々排泄物をぶちまけて恥をかいても自己責任の社会になりかねない。ディストピアである。

自治体、交通事業者、民間の商業施設問わず、「以前よりも「公共」を改善・改良し、よりよい未来と社会を築いていく」という意思を持つべきだし、その気がないのなら市民が声を上げて尻を叩いて変えていくしかないのである。









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