エゴをデバッグする
動画でしゃべった内容はこちら↓
まず、このおしゃべりの前提です。
デカルトの二元論(心身二元論)では、
自分の心 ↔ 自分の身体
をふたつにわけて、その間にある橋として脳内の
「松果体」を置きました(接続ポイントとして)。
この仕組みを、↑上のおしゃべりでは
「対象化の魔術」と呼んでいます。
この力は、人類の文明そのものを築き上げた偉大な能力です。言語も、数学も、科学も、法律も、テクノロジーも、すべて「名前をつけて切り分ける」という一つの原理の上に成り立っています。病気を治し、宇宙を観測し、地球の裏側にいる人と瞬時に言葉を交わせるのは、この力のおかげです。
けれど、この技には見えにくい副作用(バグ)があります。
あまりにも上手に使いすぎたために、僕たちはこの技「しか」使えなくなってしまいました。名前をつけて切り分けられるものだけが「あるもの」であり、名前をつけられないものは「ないもの」になった。対象にできるものだけが現実で、対象にできないものは主観(個人の勝手な感想)であって、この現実には存在しないもの、と。
対象化の技の中で、最も根本的な切り分けがあります。
それは「私」と「世界」の分離です。
「私がいる。世界がある。私は世界の中にいる」
この感覚が確立された瞬間に「エゴ」が設定されます。
エゴとは、対象化の技が自分自身に適用されたときに生まれる仮想の主体です。世界を「あちら側」に置いたとき、自動的に「こちら側」が設定されます。外側を定義した瞬間に、内側が生まれる。「見られているもの」を切り出した瞬間に、「見ているもの」が設定される。
このとき「あちら側」に対して「こちら側」に立つものがエゴの正体です。
対象化によって、自動的に生成された仮想の主体。
それがエゴです。
リンゴを「あれ」と指さしたとき、指さしている「これ」が自然と立ち上がる。その「これ」が、やがて名前をもらい、記憶を蓄積し、性格を持ち、物語を紡ぎ始めて、僕たちが「これが私だ」と信じているものになっていきます。

エゴは結果として最後につけられたものであるけれども……
そのバーチャルな構造から抜け出すことができなくなってしまうのが、エゴのバグになっています。では、そのエゴのデバッグ(バグを取り去る)はどんなふうに実行できるのでしょうか?
(カスタネダのいう「集合点」を動かすとは?)
ここで登場するのが「うしろの正面」です。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。
