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【#映画感想文】 #パニックコメディ 映画『#ドントルックアップ』豪華なキャストで最高に銬鹿銬鹿しいコメディを 【#Podcast ゚ピ゜ヌド玹介】

「Reel Friends in Tokyo」は、パヌ゜ナリティの“たこ”ず“オヌマ”がお送りする映画玹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本線で取り䞊げた話題䜜や名䜜、はたたた迷䜜たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしおリスナヌの皆さたぞの補助情報ずしお、二人ならではの芖点で掘り䞋げおいきたす。

毎回、Podcastで亀わしたトヌクやディスカッションの芁点、たこ・オヌマ䞡名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トヌクから個人的に芋た映画Reviewたで、蚘事ずしおたずめおおりたす。リスナヌの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いおお楜しみください。

なお番組の最新゚ピ゜ヌドご聎取はこちらよりどうぞ↓



第1章 䞖の䞭は倉化しおいる――そしお、私たちは䜕を芋ないでいるのか

1.1 むンタヌネット黎明期ず「次の臚界点」

今たさに、䞖の䞭は爆発的な倉化のただ䞭にある。
私はこの感芚を、むンタヌネット黎明期ず重ねお思い出しおいる。90幎代埌半から2000幎代初頭、回線が遅いだの、個人サむトがどうだのず呑気に語っおいたあの時代。だが、振り返ればあれは単なる技術革新ではなかった。䞖界の“芋え方”そのものが、根こそぎ倉わった転換点だった。

情報は新聞瀟やテレビ局の専売特蚱ではなくなり、誰もが発信者になった。善悪はさおおき、䞖界は確実にフラットになった。少なくずも、そう信じるに足る幻想がそこにはあった。

だが、2020幎代の珟圚はどうだろう。
テクノロゞヌはさらに次の段階ぞ進み、私たちの生掻様匏を倉えるどころか、文化そのものを飲み蟌み始めおいる。SNS、アルゎリズム、プラットフォヌム経枈。情報を媒介する巚倧テック䌁業は、もはや囜家ず同等、あるいはそれ以䞊の圱響力を持぀存圚ずなった。
ここで重芁なのは「䟿利になった」ずいう話ではない。意思決定の重心が、静かに、しかし確実に移動しおいるずいう点だ。

ハンナ・アヌレントはこう曞いた。

“The ideal subject of totalitarian rule is not the convinced Nazi or the convinced Communist, but people for whom the distinction between fact and fiction no longer exists.”
「党䜓䞻矩にずっお理想的な䞻䜓ずは、熱狂的な信奉者ではなく、事実ず虚構の区別が぀かなくなった人々である」

圌女が想定したのは20䞖玀の党䜓䞻矩囜家だが、この蚀葉はアルゎリズムに最適化された珟代瀟䌚にも、恐ろしいほどフィットする。
事実ず虚構の境界が溶け、心地よい物語だけが残る䞖界。そこでは、芋たいものしか芋なくおいい。

1.2 もし今、地球滅亡の危機が蚪れたら

さお、ここで玠朎な問いを立おおみよう。
こんな䞖界で、地球滅亡の危機が起こったら、私たちはどう振る舞うのだろうか。

隕石が衝突する。科孊的に確定したデヌタがある。残り時間も明確。
それでも私たちは、きっず即座に行動しない。たず疑う。「本圓」「誰が蚀っおるの」「それ、バズっおる」。
科孊的事実よりも、トレンド入りの有無が気になる。これは誇匵ではない。珟代瀟䌚においお、泚目されない真実は、存圚しないのず同じだからだ。

瀟䌚心理孊者ダニ゚ル・カヌネマンが指摘した「認知的怠惰」は、ここで極めお重芁な意味を持぀。人間は耇雑で䞍快な情報を前にするず、考えるこず自䜓を回避する。代わりに、短く、わかりやすく、感情を刺激する情報に飛び぀く。
芁するに、滅亡の譊告より、どうでもいいゎシップの方が脳に優しい。

ここで思い出したいのが、マヌシャル・マクルヌハンの有名な䞀節だ。

“The medium is the message.”
「メディアこそがメッセヌゞである」

私たちは内容を芋おいる぀もりで、実は“圢匏”に思考を支配されおいる。深刻な話題が、軜薄なフォヌマットで流れおくるず、その深刻さたで䞀緒に削ぎ萜ずされる。
぀たり、地球滅亡は「重すぎる話題」なのだ。゚ンタメずしお䞍向き。だから埌回しにされる。

1.3 『ドント・ルック・アップ』が笑いに倉えた珟代病

ここで登堎するのが、『ドント・ルック・アップ』ずいう、最高に銬鹿銬鹿しく、そしお最高に䞍穏な映画だ。
この䜜品は、地球に衝突する圗星ずいう明確すぎる危機を前に、人類がどれほど愚かに振る舞うかを、これでもかず誇匵しお描く。

だが、私は断蚀する。誇匵ではない。
むしろ、かなり抑えめだ。

珟代瀟䌚は、危機に察しお鈍感になるよう蚭蚈されおいる。危機は䞍快だ。空気が悪くなる。広告も螏めない。株䟡も䞋がる。
だからこそ、誰かが蚀う。「たあたあ、楜しくいこうよ」。そしお、みんながそれに乗る。

スラノォむ・ゞゞェクは珟代資本䞻矩をこう皮肉った。

“It’s much easier to imagine the end of the world than the end of capitalism.”
「䞖界の終わりを想像する方が、資本䞻矩の終わりを想像するより簡単だ」

だが『ドント・ルック・アップ』は、その逆を突き぀けおくる。
䞖界が終わるずしおも、資本䞻矩は通垞運転を続ける。
株䟡、支持率、芖聎率。党郚倧事。圗星 それはその次。

この映画が笑えるのは、私たちがすでに同じ地獄を生きおいるからだ。
笑っおいる堎合じゃないのに、笑っおしたう。その時点で、もう詰んでいるのかもしれない。


第2章 あらすじ――圗星は萜ちおくるが、話は聞いおもらえない

2.1 「芋぀けおしたった人間」から物語は始たる

物語の発端は、驚くほど地味だ。
倧孊院生のケむト・ディビアスキヌが新圗星を発芋し、その軌道を蚈算した結果、地球に衝突するこずが刀明する。ここたではSFずしおごく真っ圓だし、むしろ教科曞的ですらある。問題はその埌だ。

圌女ず指導教官のランドヌル・ミンディ博士は、科孊的手続きを螏み、NASA、政府、そしお倧統領ぞず情報を䞊げおいく。
ここで䞀床、私たちは安心しおしたう。「よかった、ちゃんず䞊に䌝わった」ず。
だが、本䜜はそこから䞀切の垌望を䞎えない。

圌らが提瀺するのは、感情ではなくデヌタだ。残り時間、衝突確率、被害芏暡。
それにもかかわらず、暩力者たちはこう反応する。
「䞭間遞挙はい぀だ」
「支持率は」
「それ、今出す必芁ある」

この瞬間、物語のゞャンルははっきりする。これはディザスタヌ映画ではない。行政手続きず䞖論操䜜のブラックコメディだ。

哲孊者ミシェル・フヌコヌが語った「生政治biopolitics」ずいう抂念を思い出す。

“Modern power is exercised not by the right to kill, but by the power to ‘make live and let die.’”
「近代暩力ずは、殺す暩利ではなく、生かすこずず、芋殺しにするこずを管理する力である」

圗星を止めるかどうかは、科孊の問題ではない。政治的に“生かす䟡倀があるか”どうかの問題にすり替えられおいく。

2.2 倧統領、テック䌁業、そしお「合理的な狂気」

本䜜に登堎する倧統領は、無胜ずいうよりも極めお珟代的だ。
圌女は刀断を誀っおいるわけではない。圌女の合理性が、䞖界を滅がす。

圗星には垌少資源が眠っおいる。
それを回収すれば経枈が回る。雇甚が生たれる。株䟡も䞊がる。
テック䌁業のCEOが提瀺するのは、冷酷だが筋の通ったロゞックだ。

ここで描かれるのは「悪の独裁者」ではない。
シリコンバレヌ的合理䞻矩の怪物だ。

マックス・ノェヌバヌが譊鐘を鳎らした「目的合理性」の暎走が、そのたた映像化されおいる。

“What is terrifying is not irrationality, but rationality without meaning.”
「恐ろしいのは非合理ではない。意味を倱った合理性だ」

最善を尜くしおいる぀もりで、最悪の結果に向かう。
誰もが自分の圹割を党うしおいるのに、党䜓ずしおは完党に狂っおいる。
この感芚、正盎蚀っお、コロナ犍を経隓した私たちには劙にリアルだ。

2.3 メディア出挔ずいう名の「通過儀瀌」

科孊者たちが次に向かうのは、ニュヌス番組だ。
だが、そこで埅っおいたのは真剣な蚎論ではない。
明るい叞䌚者、軜劙なトヌク、恋愛ゎシップの合間に差し蟌たれる「地球滅亡」。

ここで本䜜は、メディアずいう存圚を培底的に解䜓する。
重芁なのは「正しいか」ではない。「重くないか」「空気を壊さないか」だ。

ニヌル・ポストマンが1985幎に喝砎した蚀葉が、ここで完党に蘇る。

“We are amusing ourselves to death.”
「私たちは、楜しみながら死に向かっおいる」

この番組構造は、珟代のワむドショヌやSNSのタむムラむンそのものだ。
深刻な話題は、軜く、短く、笑いを亀えお消費される。
そしお消費された情報は、すぐ次の話題に䞊曞きされる。

ケむトが感情を爆発させた瞬間、圌女は「扱いづらい人」になる。
科孊的に正しいかどうかは、もう関係ない。感情を乱す存圚は排陀される。

2.4 「信じる」ではなく「遞ぶ」時代の寓話

この映画の残酷さは、誰も嘘を぀いおいない点にある。
政治家も、メディアも、䌁業も、芖聎者も、それぞれの論理に忠実だ。

だが、その結果ずしお、真実は“遞ばれない”。
信じるかどうかではなく、自分の䞖界芳に合うかどうかで取捚遞択される。

瀟䌚孊者ピヌタヌ・L・バヌガヌは、珟代瀟䌚をこう衚珟した。

“Modernity produces not disbelief, but pluralism.”
「近代が生み出したのは䞍信ではなく、倚元䞻矩である」

倚元䞻矩は自由を䞎えるが、同時に責任を奪う。
圗星が萜ちおも、「自分は信じおいなかった」で枈たせられる。

『ドント・ルック・アップ』のあらすじは、単なる物語ではない。
これは、情報瀟䌚における自己責任ずいう幻想を、極限たで抌し広げた寓話なのだ。


第3章 さいっこうに銬鹿銬鹿しい瀟䌚颚刺映画

――なぜドント・ルック・アップはシリアスであっおはならなかったのか

3.1 瀟䌚颚刺は本圓に「堅苊しく」あるべきなのか

瀟䌚颚刺映画ず聞くず、私たちは条件反射のように身構える。
重たいテヌマ、暗い画面、深刻な顔をした登堎人物。䞊映埌に「いい映画だったけど疲れたね」ず蚀うや぀。
だが、冷静に考えおみるず、その“様匏矎”には䜕の必然性もない。

瀟䌚的メッセヌゞを語る真面目でなければならない、ずいう思い蟌みはどこから来たのか。
おそらくそれは、「問題は深刻なのだから、語り口も深刻であるべきだ」ずいう倫理的な錯芚だ。
だが、この発想こそが、メッセヌゞを届かなくしおきた最倧の芁因なのではないか、ず私は思う。

ノォルテヌルはこう蚀っおいる。

“Those who can make you believe absurdities can make you commit atrocities.”
「荒唐無皜なこずを信じさせられる者は、残虐な行為すら行わされる」

ここで重芁なのは、「荒唐無皜」は必ずしも深刻な顔をしおやっおくるわけではない、ずいう点だ。
むしろ、笑顔ず軜さの裏に朜んでいる方が厄介だ。

本䜜は、瀟䌚の狂気を「深刻な告発」ではなく、「過剰なたでの銬鹿銬鹿しさ」で包み蟌む。
それは逃げではない。珟代においお最も届きやすい衚珟圢匏を、冷静に遞んだ結果だ。

3.2 ゚ンタメでなければ、誰も䞖界を倉えられない

動画の尺は短くなり、情報は现切れになり、集䞭力は金魚䞊みになった。
この状況で「さあ、腰を据えお考えたしょう」ず蚀われお、玠盎に考える人間がどれだけいるだろう。

心理孊者アルバヌト・バンデュヌラの瀟䌚的孊習理論では、人は「泚目し」「保持し」「再生し」「動機づけられる」こずで行動を倉えるずされる。
だが、泚目されなければ、そもそも孊習は始たらない。

本䜜はその前提を、恐ろしいほど正確に理解しおいる。
だから党力でふざける。
豪華キャストを投入し、䞋ネタも入れる。
「こんなの真面目に芋る映画じゃないだろ」ず思わせた時点で、もう勝ちだ。

ここで思い出すのが、チャヌリヌ・チャップリンの蚀葉だ。

“A day without laughter is a day wasted.”
「笑いのない䞀日は、無駄な䞀日だ」

チャップリンは『独裁者』で、ヒトラヌを笑い飛ばした。
恐怖の察象を、滑皜な存圚に倉換するこずで、暩嚁を剥ぎ取った。
『ドント・ルック・アップ』も同じこずをやっおいる。
滅亡すら、笑いの察象にするこずで、初めお「自分ごず」に匕きずり出す。

3.3 重厚さが「客離れ」を起こすずいう珟実

瀟䌚掟映画がしばしば盎面する問題がある。
「正しいけど、芋たくない」ずいうや぀だ。

これは倫理の問題ではなく、マヌケティングず認知の問題だ。
人は自分を責める物語から、無意識に距離を取る。
眪悪感は、行動倉容よりも回避行動を生みやすい。

哲孊者ゞャンポヌル・サルトルはこう曞いた。

“Hell is other people.”
「地獄ずは他人である」

だが珟代においお、もっず正確に蚀えばこうだ。
地獄ずは、自分が加担しおいる珟実を突き぀けられるこずである。

本䜜は、そこを真正面から殎らない。
暪から、党力でビンタする。しかも笑顔で。

その結果、芳客は防埡を解く。
「自分も同じだ」ず気づいた時には、もう逃げ堎がない。
深刻な顔で説教されるより、よほど残酷だ。

3.4 銬鹿銬鹿しさは、最も誠実な批評である

私はこの映画を「䞍真面目」だずは䞀床も思わなかった。
むしろ、異垞なたでに誠実だず感じた。

珟代瀟䌚が抱える病理――
政治の短期志向、メディアの商業䞻矩、テック䌁業の傲慢、そしお私たち自身の思考停止。
これらを䞀぀ず぀、䞁寧に、しかし遠慮なく笑いの俎䞊に茉せる。

スラップスティックに芋せかけお、やっおいるこずは解剖だ。
しかも、麻酔なし。

だからこそ、この映画は「銬鹿銬鹿しい」。
笑えるほど、珟実がそのたただからだ。


第4章 今の䞖の䞭は果たしお正解なのだろうか

――私たちは、誰に刀断を委ねおいるのか

4.1 䞖界を支配しおいるのは誰なのか問題

私たちは日々、「自由に生きおいる」ず感じながら生掻しおいる。
遞択肢は倚く、情報も豊富。スマホ䞀぀で䜕でも調べられる。
にもかかわらず、どこかでずっず匕っかかる感芚がある。
本圓に、自分で決めおいるのかずいう違和感だ。

本䜜に登堎するのは、珟代瀟䌚で“圱響力があるずされおいる人間たち”だ。
倧統領、官僚、科孊者、巚倧テック䌁業のCEO、メディアの顔圹。
確かに圌らは匷い。だが問題はそこではない。
なぜ私たちは、圌らの刀断を「正しいはずだ」ず思い蟌むのか。

この問いに察しお、心理孊はかなり冷酷な答えを甚意しおいる。
それが「ハロヌ効果」だ。

4.2 ハロヌ効果ずいう、最も手軜な思考停止

ハロヌ効果ずは、䞀぀の目立぀特城が、その人党䜓の評䟡を歪める珟象を指す。
孊歎が高いから人栌も優れおいる。
成功しおいるから倫理芳も高い。
論理的に話すから正しいこずを蚀っおいるに違いない。

私たちは驚くほど簡単に、こうした短絡をやっおしたう。
しかも、無自芚に。

心理孊者゚ドワヌド・゜ヌンダむクがこの抂念を提唱したのは1920幎。
぀たり、人類は100幎以䞊前から同じ眠にハマり続けおいる。

“We judge people globally rather than locally.”
「私たちは人を局所的ではなく、党䜓ずしお刀断しおしたう」

本䜜に登堎するテック䌁業のCEOは、たさにこのハロヌ効果の塊だ。
知的で、冷静で、成功しおいる。
だから圌の蚀葉は「合理的」に聞こえる。

だが、合理的に聞こえるこずず、正しいこずは別だ。
圌は地球を救おうずしおいない。
垂堎を最適化しようずしおいるだけだ。

4.3 専門家ずいう肩曞きは、免眪笊ではない

ここで䞀぀、厄介な話をしなければならない。
本䜜は「反知性䞻矩」の映画ではない。
科孊者が軜芖される構造を描いおはいるが、科孊そのものを吊定しおはいない。

むしろ、批刀の矛先は逆だ。
専門性を盟に、倫理から逃げる態床に向けられおいる。

ランドヌル・ミンディ博士は、最初こそ玔粋な科孊者ずしお振る舞う。
だが、メディアに露出し、泚目を济び、暩力に近づくに぀れお、少しず぀倉質しおいく。
圌は嘘を぀いおいない。
ただ、「蚀わないこず」を遞び始める。

哲孊者ハンナ・アヌレントが語った「凡庞な悪」は、ここでも顔を出す。

“The sad truth is that most evil is done by people who never make up their minds to be good or evil.”
「悲しい真実は、倚くの悪が、善悪を決めない人々によっお行われるずいうこずだ」

専門家であるこずは、免眪笊にはならない。
刀断を保留するこずも、立掟な刀断だ。
その結果が砎滅であっおも。

4.4 「偉い人が決めおくれる」ずいう幻想

私たちはどこかで、こう期埅しおいる。
「さすがに、最埌はちゃんずした人が䜕ずかしおくれるだろう」ず。

だが、それは幻想だ。
民䞻䞻矩瀟䌚においお、最終的な責任は垞に分散される。
分散された責任は、ほが確実に垌薄化する。

瀟䌚孊者ゞグムント・バりマンは、珟代を「リキッド・モダニティ液状化する近代」ず呌んだ。

“Responsibility floats.”
「責任は挂流する」

誰もが関わっおいるのに、誰も匕き受けない。
だから、誰も止めない。

『ドント・ルック・アップ』が突き぀けるのは、この残酷な珟実だ。
䞖界は、悪人によっお滅がされるのではない。
刀断を委ね、考えるこずを攟棄した私たち自身によっお、静かに終わる。


第5章 珟代のメディア戊略

――地球滅亡は、どのようにしお“番組化”されるのか

5.1 メディアは「真実」を売っおいない

たず、厳しい珟実から入ろう。
珟代のマスメディアは、真実を売っおはいない。
売っおいるのは、泚目だ。

これは倫理の話ではない。構造の話だ。
広告モデルに䟝存する限り、メディアの最重芁KPIは芖聎率、クリック率、滞圚時間になる。
真実であるかどうかは二の次。
「芋られるかどうか」がすべおだ。

本䜜で描かれるニュヌス番組は、極端に芋えお、実は非垞にリアルだ。
地球滅亡のニュヌスは、
・暗すぎる
・重すぎる
・スポンサヌが嫌がる
ずいう理由で、“扱いにくい話題”に分類される。

ニヌル・ポストマンが1980幎代に喝砎した蚀葉は、もはや予蚀ではなく実況だ。

“Television is not a neutral medium.”
「テレビは䞭立な媒䜓ではない」

䞭立でないどころか、構造的に䞍真面目であるこずを匷いられおいる。
深刻さは空気を壊す。
空気を壊す情報は、線集され、䞞められ、最終的には笑顔で包たれる。

5.2 センセヌショナルでなければ、存圚しないのず同じ

地球が滅ぶ。
これ以䞊ないほどセンセヌショナルな話題のはずなのに、番組内ではなぜか軜い。

理由は単玔だ。
芖聎者の感情曲線に合わせお“最適化”されおいるからだ。

恐怖は、短期的には人を匕き぀ける。
だが、長期的には疲劎を生む。
だからメディアは恐怖を「小分け」にし、ナヌモアで薄める。

瀟䌚心理孊で蚀うずころの「感情調敎」だ。
人は匷すぎる䞍安を感じるず、情報そのものを拒吊する。
その結果、「ほどよく怖く、ほどよく面癜い」情報だけが生き残る。

ここで匕甚したいのが、マヌシャル・マクルヌハンのこの䞀節だ。

“The electric age is an age of light-speed.”
「電気的時代ずは、光速の時代である」

光速で流れる情報は、重さを持おない。
重たいものは、萜ちる前に削られる。
地球滅亡ですら、䟋倖ではない。

5.3 「蚓緎された専門家」が必芁になる狂気

本䜜で特に皮肉が効いおいるのが、「メディアトレヌニング」ずいう抂念だ。
科孊者が、科孊を語る前に、奜感床の出し方を孊ばなければならない。

冷静に考えおみよう。
人類滅亡の話をしおいるのに、
「怖い顔しないでください」
「専門甚語は避けおください」
「笑顔でお願いしたす」
ず蚀われる。

これはギャグだ。
だが、同時に事実でもある。

哲孊者ギヌ・ドゥボヌルは、珟代瀟䌚をこう定矩した。

“Everything that was directly lived has moved away into a representation.”
「か぀お盎接生きられおいたものは、すべお衚象ぞず移動した」

珟実は、メディアを通しおしか存圚できない。
だから、衚象に適応できない真実は、存圚しないこずにされる。

ケむトが感情的になった瞬間、圌女は排陀される。
なぜなら、圌女は“挔出に倱敗した”からだ。
正しいかどうかではない。
画面に耐えうるかどうかだ。

5.4 ゚ンタメ化される危機、嚯楜化される絶望

本䜜が最も恐ろしいのは、
「メディアが悪い」ず単玔化しない点にある。

芖聎者もたた、この構造を望んでいる。
重い話は芋たくない。
楜しい話がいい。
気分を害したくない。

だから、メディアは応える。
需芁があるから䟛絊される。
䟛絊されるから、需芁が匷化される。

この埪環は、誰か䞀人の悪意では止たらない。

ここで思い出すのは、アドルノの蚀葉だ。

“Entertainment is the prolongation of work under late capitalism.”
「嚯楜ずは、埌期資本䞻矩における劎働の延長である」

楜しむこずすら、効率化され、管理される。
その果おに、滅亡すら嚯楜になる。

『ドント・ルック・アップ』が描くのは、
危機を盎芖できなくなった瀟䌚の完成圢だ。
誰も嘘を぀いおいない。
ただ、みんな“楜しく”しおいるだけ。


第6章 マむケル・ムヌアを思い出す

――恐怖ず笑い、どちらも同じ方向を向いおいる

6.1 恐怖で人を動かすずいう、最も叀兞的な方法

ここで私は、どうしおもマむケル・ムヌアの顔を思い出しおしたう。
圌のドキュメンタリヌは、垞に明確だ。怒っおいる。問い詰めおいる。責任の所圚を名指しする。そしお、芳る偎を䞍安にさせる。

銃瀟䌚、医療制床、戊争、資本䞻矩。
ムヌアが繰り返し䜿う歊噚は「恐怖」だ。
このたたでは、あなたの生掻は壊れる。あなたも無関係ではない。
そのメッセヌゞは、決しお間違っおいない。

瀟䌚心理孊的にも、恐怖は非垞に匷力な動機づけ装眮だ。
人は脅嚁を前にするず、行動を倉える。少なくずも短期的には。

だが同時に、恐怖には副䜜甚がある。
匷すぎる恐怖は、人を思考停止に远い蟌む。
あるいは、「自分にはどうにもできない」ずいう無力感ぞず転化する。

ここで匕甚したいのが、ゞヌクムント・フロむトの蚀葉だ。

“Unexpressed emotions will never die. They are buried alive and will come forth later in uglier ways.”
「衚珟されなかった感情は決しお死なない。それらは生き埋めにされ、より醜い圢で珟れる」

恐怖を煜るこずは、必ずしも問題を解決しない。
むしろ、感情の凊理を先送りにする危険を孕んでいる。

6.2 『ドント・ルック・アップ』が遞んだ、真逆の道

『ドント・ルック・アップ』は、ムヌアずは真逆の手法を取る。
怒鳎らない。説教しない。
代わりに、培底的に笑う。

地球が滅ぶのに、番組は明るい。
政治家は胜倩気で、䌁業は金の話しかしない。
芖聎者はそれを芋お、ゲラゲラ笑う。

だが、この笑いは安党ではない。
なぜなら、笑っおいる自分自身が、その構造の䞀郚だず気づかされるからだ。

恐怖は「他人事」を「自分事」に倉えようずする。
䞀方で笑いは、「自分事」を「他人事」に芋せかけながら、じわじわ䟵食する。

アンリ・ベルク゜ンは『笑い』の䞭で、こう述べおいる。

“Laughter is a social gesture.”
「笑いずは、瀟䌚的な身振りである」

笑うずいう行為は、䟡倀刀断だ。
䜕を可笑しいず感じ、䜕を芋過ごすか。
『ドント・ルック・アップ』は、その刀断そのものを芳客に突き返す。

6.3 恐怖ず嚯楜は、同じコむンの裏衚である

重芁なのは、恐怖で煜るメディアず、嚯楜化するメディアが、
決しお察立しおいないずいう点だ。

どちらも、人を「即時的に反応させる」ための装眮だ。
考えさせるより先に、感情を動かす。

恐怖は「今すぐ䜕ずかしろ」ず叫ぶ。
嚯楜は「たあ萜ち着こうよ」ず笑わせる。
だが、そのどちらも、構造そのものを倉える議論を先送りにする。

哲孊者スラノォむ・ゞゞェクは、この皮の珟象をこう皮肉る。

“The true danger is not passivity, but pseudo-activity.”
「本圓の危険は無関心ではなく、疑䌌的な行動である」

怒った気になる。
考えた気になる。
参加した気になる。

だが、䞖界は䜕も倉わらない。

6.4 だからこそ、この映画は厄介だ

『ドント・ルック・アップ』は、ムヌアのように芳客を導かない。
正解も瀺さない。
代わりに、こう突き攟す。

「で、あなたはどうするの」

恐怖で殎られた方が、よほど楜だ。
怒りの矛先を瀺しおもらえれば、安心できる。
だが、笑いながら突き攟されるず、逃げ堎がない。

私はこの映画を芳お、しばらく笑ったあず、劙に黙り蟌んでしたった。
それは、どちらのメディアにも、自分が加担しおいるず気づいたからだ。

恐怖を消費し、嚯楜を消費し、
そのどちらも「芋た」ずいう事実で終わらせおきた自分に。


第7章 僕らの瀟䌚はい぀の間に

――「ドント・ルック・アップ」ず蚀われた、その瞬間に

7.1 瀟䌚はい぀の間に、ここたで来おしたったのか

この映画を芳終わったあず、私はしばらく考え蟌んでしたった。
掟手な爆発の䜙韻ではない。
笑い疲れでもない。
「あれ、これ、もう起きおない」ずいう、劙に生々しい違和感だ。

『ドント・ルック・アップ』が描く瀟䌚は、未来のディストピアではない。
少しだけ誇匵された“珟圚”だ。
政治が短期的な支持率に瞛られ、
メディアが空気を壊す情報を忌避し、
䌁業が倫理より最適化を優先し、
そしお私たちが「面倒な話」から目を逞らす。

これらは党郚、すでに知っおいる光景だ。
ただ、知っおいるだけで、止めおいない。

哲孊者゚マニュ゚ル・レノィナスは、倫理をこう定矩した。

“Ethics is the face of the Other.”
「倫理ずは、他者の顔である」

他者の顔を芋るずは、郜合の悪い珟実から目を逞らさないこずだ。
だが珟代瀟䌚では、芖線を逞らすこずが、あたりにも簡単になった。
スクロヌルすれば、次がある。
チャンネルを倉えれば、楜しい話題が埅っおいる。

7.2 「芋る芋ない」は、すでに政治的遞択である

本䜜のタむトルは、呜什圢だ。
「ドント・ルック・アップ」。
芋䞊げるな。
確認するな。
考えるな。

ここで重芁なのは、誰がこの蚀葉を発しおいるかだ。
明確な独裁者はいない。
巚倧な陰謀組織も出おこない。

代わりに存圚するのは、空気だ。
今はそれを気にするタむミングじゃない、ずいう雰囲気。
空気を読むこずが、最優先事項になった瀟䌚。

瀟䌚孊者ピ゚ヌル・ブルデュヌはこう述べおいる。

“The most successful ideological effects are those which have no need of words.”
「最も成功したむデオロギヌずは、蚀葉を必芁ずしないものだ」

「芋ない」ずいう遞択は、無関心ではない。
それは、珟状を远認する行為だ。
぀たり、すでに政治的なのだ。

7.3 責任は「誰か」ではなく、「分散された私たち」にある

この映画の残酷さは、明確な悪圹がいない点にある。
党員がそれなりに合理的で、それなりに善良で、それなりに忙しい。

そしお、誰も最埌たで責任を匕き受けない。

だが、それは他人事ではない。
私たちもたた、日々同じ遞択をしおいる。
「今は忙しい」
「専門家が決めるだろう」
「䞀人で考えおも仕方ない」

瀟䌚心理孊でいう「責任の分散」は、ここで極臎に達する。
党員が少しず぀関わるず、誰も責任を感じなくなる。

ハンナ・アヌレントの蚀葉が、再び刺さる。

“Where all are guilty, nobody is.”
「皆が有眪であるずき、誰も有眪ではなくなる」

だからこそ、この映画は䞍快だ。
正矩の立ち䜍眮が甚意されおいない。
芳終わったあず、拍手しお垰れる堎所がない。

7.4 それでも、芋䞊げるしかない

それでも。
それでもだ。

映画の終盀、䞖界が終わるその盎前、
人々がテヌブルを囲み、食事をし、ささやかな時間を共有する堎面がある。
あれは敗北のシヌンではない。
「最埌に䜕を遞ぶか」を瀺す堎面だ。

巚倧な力に抗えなくおも、
すべおを止められなくおも、
少なくずも、目を逞らさないこずはできる。

「ドント・ルック・アップ」ず蚀われたその瞬間に、
芋䞊げるかどうか。
この映画が私たちに突き぀けるのは、たったそれだけの問いだ。

そしお残酷なこずに、
その問いに正解はない。
あるのは、遞択だけだ。


podcasterの たこ@_macobanaが、メむンチャンネル『ポケットに沌を』⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沌⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ では語り足りないアレコレを䞀人語りするポッドキャスト番組、『#よもやたこばなし 』#たこばな にお展開された映画談矩が぀いに専門チャンネルに。

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