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【鹿島アントラーズ背番号2】受け継がれる系譜と背負う覚悟

鹿島アントラーズには、ただの背番号ではない数字がいくつも存在する。

「10」ならジーコ。

「6」なら本田泰人、小笠原満男へと続く中盤の象徴。

そして、右サイドバックの系譜として特別な意味を持つのが――背番号2だ。

現在、その2番を背負うのは『安西幸輝。

だが、安西が背負っているのは、単なる「2」という数字ではない。

ジョルジーニョ、名良橋晃、内田篤人という、鹿島の歴史を彩った3人の右サイドバックの記憶が重なっている。


なぜ鹿島の2番は、ここまで特別なのか。

1.すべての原点は「ジョルジーニョ」

鹿島の2番を語るなら、まずこの男から始めなければならない。

ブラジル代表として1994年アメリカW杯優勝を経験した世界的右サイドバック。

鹿島に加入した1995年、背番号2を与えられた。

しかも鹿島では、右サイドバックだけではなくボランチとしてもプレー。

1996年には鹿島のJリーグ初優勝に大きく貢献し、自身もJリーグMVPとベストイレブンを獲得した。

つまり鹿島の2番は、最初から普通の右サイドバックの番号ではなかった。

世界王者が背負い、チームを勝たせるために戦う番号。

これが鹿島の2番の原点だった。


2.ジョルジーニョに憧れた男――名良橋晃

ジョルジーニョの次に2番を背負ったのが、名良橋晃。

名良橋は1997年にベルマーレ平塚から鹿島へ加入。ただし、加入直後から2番だったわけではない。

ジョルジーニョが在籍していたため、最初は32番、22番を背負った。そしてジョルジーニョが鹿島を去った後、2番を受け継いだ。

ここが鹿島の2番の面白いところだ。

名良橋自身がジョルジーニョに憧れていた。

だからこそ、クラブから「2番をつけてくれ」と言われたとき、「この番号にふさわしい選手にならなければならない」という思いがあったという。

名良橋は攻撃的な右サイドバックとして鹿島の黄金時代を支えた。

そして日本代表として1998年フランスW杯にも出場。

ジョルジーニョから受け取った2番を、日本サッカー界を代表する右サイドバックへと育て上げた。


3.名良橋が「次の2番」に選んだ男――内田篤人

そして鹿島の2番の歴史を決定的なものにしたのが、内田篤人だ。

名良橋が鹿島を離れる2006年。クラブに対して、こんな思いを伝えた。

「2番は篤人につけてもらいたい」

中途半端な選手には、この番号をつけてほしくない。そう考えた名良橋が後継者として選んだのが、当時まだ若かった内田だった。

内田は2007年から2番を背負う。

そして――鹿島の右サイドバックとして、リーグ3連覇を含む黄金時代を支えた。

さらにドイツへ渡り、シャルケでもプレー。

日本代表でも2番を背負う存在へ成長した。

ジョルジーニョ→名良橋→内田

この流れによって、鹿島の2番は完全に「右サイドバックの象徴」となった。


4.内田が鹿島を離れても「2番」は空いていた

内田が2010年にドイツへ移籍すると、鹿島の2番は空席になった。普通なら、新しい選手に与えても不思議ではない。しかし鹿島はそうしなかった。内田が海外にいる間、鹿島の2番は空席のまま。

そして2018年。
内田が鹿島へ復帰すると――再び2番を背負った。

背番号2を「次にふさわしい選手が現れるまで空けていた」という鹿島の判断は、この番号が単なる選手番号ではないことを象徴している。

そして2020年8月23日。内田篤人は現役最後の試合を終えた。鹿島の2番も、再び空くことになった。


5.そして、安西幸輝へ

2021年。ポルトガルから鹿島へ復帰した安西幸輝に与えられた背番号は――「2」だった。

ここにも、偶然ではない物語がある。
安西は2018年に鹿島へ加入したとき、32番。2019年には22番を背負った。

そしてポルトガルから鹿島へ復帰するとき、内田篤人から直接「2番をつけろ」と伝えられた。

安西自身、最初は2番を背負うことに迷いがあった。当然だ。ジョルジーニョ。名良橋。内田。
その3人の名前が背中に重なる。

しかし内田から託された言葉が、安西の覚悟を決めた。「鹿島の2番は、安西としてつけろ」

安西は2番を受け継いだ。そして現在まで、その背番号を背負い続けている。


6.実は「2番を背負った選手」は少ない

ここは鹿島ファンなら押さえておきたい。
固定背番号制となった1997年以降、鹿島の2番を受け継いだのは、

名良橋晃→内田篤人→安西幸輝
この3人だけ。

鹿島の背番号2は、頻繁に人が入れ替わる番号ではない。そして固定背番号制以前にはジョルジーニョがいる。つまり鹿島の2番には、

ジョルジーニョ → 名良橋 → 内田 → 安西
という、非常に強い一本の線が存在する。


7.4人に共通するもの

面白いのは、この4人が単純に「右サイドバック」というだけではないことだ。

ジョルジーニョは世界王者。

名良橋は日本代表。

内田は日本代表で、ドイツ・ブンデスリーガへ。

安西も日本代表を経験し、ポルトガルへ海外挑戦した。

つまり鹿島の2番は、
「鹿島の右サイドバック」から「日本代表、そして世界へ挑戦する選手」という物語を持っている。

もちろん、これは背番号そのものが選手を成長させるわけではない。

しかし、前任者の姿を見て、「自分もこの番号にふさわしい選手にならなければ」と思わせる力が、鹿島の2番にはある。


8.安西幸輝が背負う「2番」の意味

そして今。鹿島の2番は安西幸輝だ。2026年もクラブ公式登録では背番号2。

安西の特徴は、ジョルジーニョ、名良橋、内田とは少し違う。

歴代の2番が強烈な右サイドバックのイメージを持っていたのに対し、安西は左右両サイドでプレーできる。

だからこそ、安西の2番は「伝統をそのまま再現する」ものではない。自分のスタイルで2番の歴史を更新している。

伝統とは、過去をコピーすることではない。
ジョルジーニョがジョルジーニョらしく。
名良橋が名良橋らしく。
内田が内田らしく。
そして安西が安西らしく。
それぞれが2番を背負ってきた。


9.背番号2は「バトン」だ

鹿島の背番号2を見ていると、一つの言葉が浮かぶ。

「次世代に繋ぐ鹿島を象徴するバトン」


しかも、このバトンはクラブが機械的に渡しているわけではない。
前任者が後継者を認める。
後継者が、その重みを理解する。
そしてピッチで結果を出して、次の世代へ渡す。だから鹿島の2番には、年月以上の歴史がある。


10.次に2番を背負う選手は誰なのか

ここからは未来の話になる。安西の次に鹿島の2番を背負う選手は誰なのか。これはまだ分からない。
ただ、一つだけ言える。鹿島の2番は、
「空いているから誰かにつけさせる番号」ではない。

ジョルジーニョが作り、名良橋が育て、内田が伝説にし、安西が現在進行形で受け継いでいる。

だから次の2番には、当然大きな期待がかかる。

そして鹿島サポーターが見たいのは、単なる「後継者」ではない。

「この選手なら2番を託せる」そう思わせる選手の登場だ。

鹿島の背番号2――それは歴史そのもの

鹿島アントラーズの背番号2。

数字だけを見れば、たった一つの番号だ。

しかし、その背中には30年以上にわたる鹿島の歴史がある。

ジョルジーニョが世界王者として背負った2番。

名良橋が憧れを胸に受け継いだ2番。

内田が鹿島の象徴へと押し上げた2番。

そして安西幸輝が現在進行形で背負っている2番。
鹿島が大切にしてきた「勝者のDNA」の一つだ。

だから、鹿島サポーターにとって背番号2は単なる数字ではない。

「お前が、この番号の続きを作れ」

そう託される番号だ。

そして安西幸輝には、その続きをまだまだ見せてほしい。

鹿島の2番の物語は――まだ終わっていない。


8月14日鹿島アントラーズホームゲーム
安西幸輝の姿は発表された選手のなかには無かった。
前回負った怪我の再発により治療中。
だが選手、スタッフはユニフォームの背番号を『2』を着用し、サポーターは『安西コール』を叫ぶ!
後ろ向きな気持ちになる安西幸輝選手を全員でサポートするクラブ一同
1日も早く戻ることを待ってるぞ!!


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