出雲大社で何も感じなかった。でも、お守りは7年越しに返せた【島根・出雲大社】
ちょっと不適切?なことを言ってもいいですか?
出雲大社に行ってきたんですけど、
何も感じなかったの……。
出雲大社は
日本を代表する神社。
縁結びの聖地。
パワースポット。
高円宮家の女王殿下が嫁いだところ。
参拝した方の感想を読むと、「空気が違う」「鳥居をくぐった瞬間に涙が出た」といった言葉が並ぶ。
でも……、わたしは何も感じなかった。
すごく拒絶されたと感じた場所でもなく、「嫌だ」と感じたわけでも「不快」だったわけでもない。境内は清々しかったし、松の参道は気持ちよかった。
ただ、伊勢神宮の内宮で感じた「しん」とした神々しさに姿勢を糾される感覚や、東大寺の三月堂で不空羂索観音を見上げたときのような胸がいっぱいになる感覚も、なかった。
本当に、何も……。
😭
出雲大社にはずっと行きたいと思っていた。
さかのぼること7年前。夫は会社の研修かなにかで、サンライズ出雲に乗って松江へ行った。そのときに出雲大社に参拝して、お守りを買ってきてくれた。所願成就のお守り。
結婚前提で暮らし始めたばかりだったので、お守りは、ある意味願いが結実したのだろうか。いつか自分も行ってみたい。そして参拝したときには、このお守りを返そう。そう思って、ずっと持っていた。
出雲大社は東京から遠い。「いつか行きたい」で済ませていると、一生行かないかもしれない。伊勢神宮よりもアクセスが大変だ。だからこそ「行こう」と決めないと行けない場所だった。
ちょっと前に書いた、GW妄想旅プランの記事から、計画を考えてホテルの空き状況を調べた結果、出雲ならいけそう。ということに。さらに、マップをながめていると、出雲市駅から岡山駅まで特急列車が走っているのを知った。
なので、今回のルートは、飛行機で出雲縁結び空港へ飛び、出雲大社を参拝。そして"特急やくも"で倉敷へ移動し、岡山から新幹線で帰る、という計画にした。

初日は嵐だった。
無事飛行機は目的地に着陸できたものの、ホテルがある出雲市駅に空港からの送迎バスが到着したときには、大雨と強風。
ギャグのように傘がひっくり返るので、夫とゲラゲラ笑いながらホテルまで歩く。こういうハプニングは逆に燃えるタイプ。だって一生忘れないでしょう?

ついたのは昼だったので、駅前の出雲そばのお店でランチ。本当は到着した足で出雲大社へ参拝する計画だったけれど、こんなに足元が悪かったら、さすがに難しいね。ということで翌日の午前中に出雲大社参拝、そして倉敷へ移動する計画にした。これからの時間をどうすごそうか?と夫と相談しローカル線で松江駅まで行ってみよう、ということになった。


何度でも言います。
嵐
です。

とはいえ、松江城まで歩けるような天気ではなく、JR山陰本線のローカル線は1時間おきの発着。近場にあった古着屋さんをちょっとのぞいて、また傘をひっくり返しながら駅まで戻り、スターバックスで時間をつぶして電車を待つ。
スタバで駅のロータリーを眺められる席に座り、人の流れを見ていたら、地元テレビ局のレポーターさんがひたすら声がけしてインタビューを撮っていた。地元の方っぽい人に声がけしていたから、GWどんなふうに過ごすかを聞いていたのだろうか。

松江駅にあった、顔出しパネルはもちろんトライ。えらい上手くハマってんな……(笑)

こんな体験も非日常。出雲市駅に戻って夕飯を食べにいき、お店を出た頃にはすっかり雨も上がっていた。お店はとても美味しくて最高だったので、別の記事でレポします。
2日目はカラッと晴れた。さわやかな初夏の晴天。
ホテルをチェックアウトしたら、私鉄一畑電鉄・電鉄出雲市駅から、いざ出雲大社へ!

ローカルなかわいらしい2両編成の電車。

鋏を入れた切符なんて、いったい何年振り!?小学生以来じゃないだろうか。味わい深くてなつかしい。

座席にはキャラクターもちょこんと座る。「効率悪いっていう反対意見を押し切って、この子を座らせよう!と情熱で押し通した人がいたんだろうね」「こういうあつらえっていいね」と夫と話す。

出雲大社前駅の駅舎が、またよかった。ステンドグラスいいですよね。

参拝の前に、まずは稲佐の浜へ。
出雲大社前駅から伸びる参道の脇を抜けて、1.5キロほど歩くコース。

ところどころに古民家を改装した洗練されたカフェや雑貨屋さんがあらわれた。参道脇のお店よりも趣があり、どのお店もオリジナリティがあって素敵だった。

突然あらわれた古民家を改装したSOBA BIENというお店にフラフラと吸い込まれるように入った。

夫が先を歩いていても、わたしはこうして寄り道をする。「ちょ、ちょっと待ってー!ここ入りたい!」


出雲市駅の装飾で、雲をかたどったモチーフをよく見かけた。出雲らしいものをもちかえれたら、と思ってアイテムを探していたわたしは、雲の形の箸置きにヒトメボレして購入。

色は飴色か白かで迷ったが、白に。箸置きはかさばらないし、雰囲気を変えやすいので、旅の思い出に買うことが多い。
お店の方に写真撮影の許可を得て撮らせていただいてます。その節はありがとうございました。
さらに住宅街を歩いていくと、突然、視界の向こう側に海が見えてきた。
カラッとした空気の中に、ときおり湿った海風が交じって顔をあおる。潮風なんて何年振りだろう!

稲佐の浜に到着。浜辺からわずか数メートル離れたところに、ニョキっと巨大な岩が立っていて、小さな鳥居と祠が置かれていた。そこに列をなして参拝している人たちがいた。
この岩は、神々がはじめてこの地に降り立ったところだという。国譲り神話の舞台で、旧暦10月に全国の神々を迎える浜。(HP)
「なんでこんな場所に岩があるのかな?」と夫がつぶやいた。「たぶん、これは山の一角で、海底には大きな山が広がってるんじゃない?」と勝手な想像で言ってみる。
この浜にある砂を少し拾って、出雲大社内にある素鵞社の砂と交換して持ちかえると、ご縁や厄除けのご利益があるそうだ。
参拝を終えて、目の前の大通りをわたって、勢溜の大鳥居の方へ向かう。900mほどのみちのり。歌舞伎の創始者・出雲阿国のお墓を横目に通りながら歩いていく。この道は日陰が全く無くて暑くなってきた。

出雲大社の参拝作法は「二拝四拍手一拝」。
一般的な神社の「二拍手」ではなく「四拍手」。

御朱印は2種類で、神楽殿の御朱印の初穂料は「お気持ちで」だった。並んでいる人たちが「え、いくら出せばいいのかな」と迷われていた。早稲田の穴八幡宮の御朱印初穂料も「お気持ちで」だったなぁと思い出す。わたしは平均の500円を納めた。

大注連縄は、写真で見た通りの大きさ!写真で見た通りの大きさだった、という感想しか出てこないのが、わたしの正直なところだ。
なぜ何も感じないのかな?
参拝を終えて参道で出雲そばランチを食べながら頭のなかで考える。
東大寺で胸がいっぱいになったのは、観音という「もの」があったからだ。高山寺も安倍文殊院も、心が動いた瞬間には必ず仏像があった。造形を見て、表情を読んで、作った人の技術と意図を想像する。
もしかしたら、わたしが惹かれているのは、「神聖な場所の空気」ではなく、「人が作ったものの『力』」なのだろうか?
クリスチャンファミリーで育ったことも関係しているのかもしれない。と思ったけれど、それはないかも、とすぐ打ち消した。我が家はただ習慣として初詣に行かなかっただけで、両親は自分の信仰を押し付けることは一切しなかった。ちなみに、礼拝が始まる前の教会の礼拝堂は、それはそれは独特な空間だ。心をしずめ、静かにイエス様と向き合う時間。だから空間そのものに神聖さを感じる回路が薄いわけじゃないんだよなー。と。
単に、出雲大社とわたしの相性の問題かもしれない。わからない。でも、それも「いまの自分の感覚」なんだろうなー。と思うし、すべての場所で心が動く必要もないのかな、と思った。ひとの感覚は変化するものだから、いつかまた訪れたときは違う感覚になるだろう、と思う。
夫が7年前に買ってきてくれたお守りを「いつか返しに行く」と決め、夫と一緒にお返しし、参拝することができた。
それだけで十分だ。
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