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カクレテルノ?

 蒸し暑い夏のお散歩は、冬より時間帯が早い。そして、必ずわんこ連れに行き交う。

 うちの元・豆柴、小次郎は人より犬が好きだ。自分のことをちゃんと犬だと認識しているフシがある。向こうにわんこがやってくると見ると、どんなに私たちが急いでいても、伏せをして待つ。ただ、あちらが相手をしてくれるかどうかは、その時の運による。
 今朝は白地に薄い茶が混ざった美しい毛皮をもつチワワと行き合った。すかさず伏せをして待つが、チワワは足がすくんで一定の距離を保ったまま動かない。なにぶん、ウエイトが違う。こちらはライト級、あちらは間違いなくフェザー級だ。

 それでもしつこく小次郎がはあはあ遊びに誘ったのだが、チワワは笑顔の飼い主さんにほら、と促されても尻込みしている。やがて、道端の雑草にそっと駆け寄った。・・・たぶん、その頼りない雑草に隠れているつもりになっている。かわいい。隠れてるの?と言いながら、笑顔でお互い、わんこを引っ張った。

 カクレテルノ?で唐突に彼女を思い出す。
 私がもう少し若かった、白亜紀のことだ。

 仁美さん(仮)は過多月経と貧血で受診してきた、恰幅のいいマダムだ。術前検査で糖尿病が見つかってしまった。
 明るくて人柄のいい彼女はどこに行っても人気者で、糖尿病の教育入院が始まってまもなく、その大部屋はあっという間に「仁美サロン」になった。皆、それぞれの理由で入院していたが、仁美さんの人懐こさとウィットに富んだ会話術できっと病状が良くなっていたと思う。

 仁美さんの糖尿病は、まあまあ重症だったから、担当の内科の先生は彼女に側から見ても厳しく当たっていた。内科の先生も彼女と同様、恰幅がよく自分も同じように糖尿病を患っていた。得てして人は自分のことは棚に上げる生き物なのだ。もちろん、そのうち手術をしなければならない仁美さんと、手術の予定のない彼とでは、糖尿病のコントロールに差があるのだが、そんなこと、一般人にはわからない。

 「何せ、お腹が空くのよねえ」

 仁美さんは嘆いた。病院食として供される食事では、仁美さんの威風堂々たる体格は絶対に維持できない。とにかく空腹が我慢できなくて、病院に一つだけある小さな売店に、禁断のおやつをこっそり買いに行ったらしい。大部屋に皆とおしゃべりするのにも、ちょっとしたおやつは欠かせない。
 だが、運悪く、ちょうどその時売店に来ていた内科医の彼に見つかってしまった。

 「しこたま、叱られてしまった・・・」

 人のいい彼女の顔を見に行くと、内科医に叱責されたとしょんぼりしている。隣のベッドの整形外科入院のマダムが「あの先生だって、絶対糖尿病だよ」と憎々しげに呟いている。明かせないが、その通りである。
 
 「先生だって、おやつを買いに来てたと思うんだよね。だって、右手にあんぱんさげてたんだもの」

 どうやら売店のレジでばったり会ってしまったようだ。不幸なことだ。

 昼ごはんの後にたとえあんぱんを追加で食べようとも、糖尿病専門医である彼は、血糖コントロールにかけてはすこぶる腕がよく、仁美さんもすっかり血糖が落ち着いて、一旦退院して行った。いくら医者でも婦人科医は糖尿病にはズブの素人だから、こうやって分業できることはとてもありがたいことだ。だから、私は彼に仁美さんが怖がってますよとは言わなかった。

 仁美さんはしばらくして、今度は子宮摘出をしに来た。

 整形外科の術後はしばらくリハビリをするから入院期間が長い。また同じ大部屋に入れてもらい、仲良くしていた友達と再会して、仁美さんは元気よく入院生活に入った。
 彼女の手術のことは覚えていないから、きっとすんなり終わったと思う。難渋した手術は思い出したくなくてもいつまでも鮮やかだが、何も事件がない手術など、私のフォルダは上書き保存だ。

 あとは退院だけとなって昼下がり。笑いながら糖尿病内科医が私に近づいてきた。ニヒルな彼が、いつになくニコニコしている。

 「先生、あの患者さん、僕の顔見たら、点滴台の後ろで隠れたつもりになってましたよ」
 術後はしばらく抗生物質の点滴がある。それをわんこのように引き連れ、早速売店に繰り出したらしい。点滴が終わってから行けばいいのに、我慢できなかったか。
 「売店の袋を下げて、点滴台の影でやり過ごそうとしてました。完全にはみ出てるのに」
 ヒイヒイ言いながら彼が笑っている。

 見かけはともかく、心は小さなチワワのようである仁美さんは、もちろん順調に回復した。婦人科の術後は6ヶ月しか経過観察はしないから、その後は一度も彼女に会えていない。便りのないのは良い便り。明るくて楽しい仁美さんのことだ。人生がどんな荒波に揉まれたとしても、あのユーモアと人を惹きつける素晴らしい笑顔で、今も元気に過ごしている。そう、私は信じる。

 
 

 

 

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