美しく甘き死。醜くもがき、輝く生。
人は本当に傷つくと、その痛みが時間差で現れることがある。
今の私がそうだ。痛い。まさに、眠れぬほどに。
例えば私が死んだら。
「困る人」ではなく、「泣いてくれる人」を思い浮かべる。
順不同だ。思い浮かんだ順だ。
一。14の息子。彼を孤独には出来ない。したくない。するものか。
二。理不尽の中で、共に戦おうと誓った信頼する同僚。戦友だ。
三。30年来の親友。一緒に長く生きようと約束した。約束守るよ。
四。メンターの女性。私の幸せを見守ってくれている。見て欲しい。
五。元夫。弱くて優しい人だ。泣くより喜ぶかな?それも悔しい。
六。猫。不在に気がつけば、「にゃあ」と鳴いてきっと探す。ごめん。
七。母。高齢だ。順序や常識を気にする人だ。
きっと、本当に、泣く人が、7人居た。
思ったよりも、ずっと多い。
人がひとり死んだとて。私がひとり消えたとて。
地球は回る。何も変わらない。
大切な7人も。数日泣けばきっと忘れてくれる。
忘れて欲しい。生きるために。どうか、悲しまないで。
でも。
私は今日、生きることを選ぶ。
生きることは、こんなにも苦しい。
自分が自分である限りは死ぬまで苦しい。
でも、自分であることを、やめることは出来ない。
自分であることを捨てるくらいなら、
死んだ方がマシだ。
…ん?
なにか大いなる矛盾が生まれたような気もするが。
気にしないでおこう。
ああ、なんと、
苦しき、醜き、美しき、
愛おしき、尊き、眩しき、
痛く、優しく、ここに確かにある、生。
息をして、やりすごす。
痛みを逃す。ラマーズ法のように。
とりあえずそれで、いい。
7人のために、今日、私は生きる。
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