座敷犬と蝶〜「役に立たない」は本当に役に立ってなのか?
1年後のウーマンドリプラのために
支援会が始まりました。
支援会と言うのは1年後、私がウーマンドリプラで発表するために応援をしてくれる人たちとの会。
その中でね
「役に立たなければならない」と言う思い込みを、ほんとに無意識に持ってるんだなぁって話になったんです。
この「役に立つ」がいろんな判断基準になっている。
きっと将来役に立ちそうだから参加する。
これは役に立たないから捨てちゃおう。
こんなことしたって無駄なのにな。
そう、
役に立たなければ無駄だと思っている。
私自身、「椅子」の件から
自分でやり方やノウハウに気がついて、
構築できたら、
これをいろんな人にやり方を伝えたいなぁって思ったんです。
そこで、
「え?本当にいろんな人に役に立たなきゃいけないのかな?」という話になったんです。
「バタフライ効果」って
聞いたことがありますか?
南米で蝶が羽をパタパタさせると、
そこから風が起き、いろんなことを引き起こし、
やがて大きな嵐になる。
もともとは気象の研究の中で発表された「バタフライエフェクト」が発祥で、やがて因果の話になっているもの。
という事は、ということはですよ
蝶は嵐を起こそうと思って羽ばたいてるんじゃなくて、
ただ蝶としているだけ。
でも回るべきように世界は回る、という話も出て。
良かれと思っても良いようにならないこともあれば、
こんなの無駄だと思ったり、
1人の人間の思考の範囲の中では無駄に見えることでも、
実はそれがものすごく大きな働きになることって
いくらでもあるんだなぁと思ったんです。
私、座敷犬の話ってよくするんですね。
すごくお馬鹿な座敷犬がいて、
もう嬉しすぎると尻尾振っておしっこちびってしまうんですよ。
冷暖房の効いた部屋で、お腹天井に向けて
スピーって寝ちゃう、溺愛されてる犬です。
シェパードみたいに、犯罪防止もできなければ、
災害救助犬や盲導犬みたいに社会の役にも立たない。
要するに、何もできないちっちゃな犬です。
でも、仮に、例えば
その飼い主が、ものすごく大きな社長で、
従業員何万人もの生活に影響する判断をしなくてはいけない立場だとして
家に帰ったときに、
そのちっちゃな座敷犬が嬉しすぎて、尻尾を振りながらおしっこちびってたとしたら
どれだけ癒されるかと思ったんですね。
その犬は、その犬として、ただ嬉しいだけ。
でも、その存在がものすごく大きな影響を与えている。
そんなことって、
きっとあると思うんです。
そう思ったときに
役に立つか立たないかという「個」としての私の判断は
なんか本当は
どうでもいいんだろうなぁって思ったんです。
もちろん役に立ったらいいなとは思うし、
効率よく生きていきたいなとも思う。
でも、ひょっとしたら
「役に立つかどうか」を
物事を決めるときの、自分の優先順位の上の方に持って来なくてもいいんじゃないのかな?
「役に立つかどうか」を優先事項にしなかったらどうなるのかな?
けっこう無責任?
でも、
そういう世界への組み込まれ方も
ひょっとしたらアリなんじゃないのかなあと
今日は思ってます。
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