【日記】作家の業
おどろおどろしいタイトルですが、最近小説や詩を書いて思うことについて。
人間なので、やはり書いていると反応や読者数やコメントやいいねの数に意識を引っ張られる。
ここまで魂と時間を削って書いたのに、ビューワー数が伸びないと、対価として見合わないと勝手に落ち込んでしまう時もある。
それでも、もう書くのを辞めようと思ったことはこの半年で一度もない。
公募に出して佳作にも引っかからなかろうが、投稿サイトで本棚に入れて貰えなかろうが、一度たりとも筆を折ろうと思ったことはない。
何故か。
多分私は、もう言葉そのものの魅力に取り憑かれ、書くことに魂を、時間を簒奪されているから。
何かしらアイディアが浮かび小説を書きだすと、7時間くらいはノンストップで書いてしまう。
途中休憩することはあっても、常に意識はデスクトップに向かい、物語の世界から完全に意識が抜け出すことはない。
周囲の音が聞こえなくなり、何も見えなくなって、書くことだけに全ての神経が集中して気づけば何時間も経過していることは良くある。
読まれなくてもいい。
フォロワーが増えなくてもいい。
ただもう書かずにはいられない。
そして自分が紡いだ言葉の威力に、一読者として情緒や倫理が激しく揺さぶられ、安全帯にいられなくなる。
これは自分の筆力に陶酔しているのではなく、言葉そのものの威力や破壊力に畏敬の念さえ抱いているのだと最近気づいた。
私はきっと、私の一番の読者で、最前列で新しい言葉の連続が古くなった私自身を破壊するのを待ち望んでいる。
そこから産まれた傷跡が、また未だ見つけられていない新たな地獄の螺旋への入口になるのだと分かっている。
その円環が、私を作家でいさせる、一つの煮え立った業のようなものになっているのだと思う。
言葉を読むと伝わるんです。
その人の情念や覚悟や憤怒や悲愴が。
そして本気の覚悟があるかどうか。
活字中毒とはまた違って、言霊に近いというか、心にそのまま流れ込んでくる。
言葉の巫女がかつて存在したなら、まさにこういうその言葉の連なりから滲み出るその人の性や命を見ていたのではないかなと思う。
私は性格よりも、その人がどんな言葉を紡ぐのかの方が知りたいから。
私も言葉を扱う者として、最大限の敬意と覚悟を持って、魂を時間を削りながら、これを書けたら死んでもいいという気持ちで毎作向き合っていきたい。
茉莉花🦋.*˚
