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【部活の思い出】社会人になって気づいた「あの高校バドミントン部以上にキツい仕事はない」という話

​「今までで一番、体力的に追い込まれた経験は何ですか?」

​そう聞かれたら、私は迷わず**「高校時代の部活」**と答えます。

​社会人になり、転職や異動も含めていくつかの職場を経験してきました。残業が続く繁忙期の工場や、体力を使う現場など、いわゆる「大変な仕事」もそれなりにこなしてきたつもりです。

​それでも、ふと社会人生活の中で思うことがあります。

**「いや、あの高校の体育館で過ごした毎日に比べたら、大抵のことは乗り切れるな」**と。

​今回は、中学・高校の6年間を捧げたバドミントン部の日々と、そこで培われたちょっとやそっとじゃ折れない体力・メンタルについての振り返りを書いてみようと思います。



​華やかに見えて、実は超ハードな「バドミントン」

​バドミントンと聞くと、公園で打ち合うようなのどかな光景を思い浮かべる方もいるかもしれません。しかし、競技としてのバドミントンは「世界最速の球技」とも呼ばれるほど、過酷極まりない無酸素運動と有酸素運動の連続です。

​私は中学からバドミントンを始め、高校でも競技を続けました。進学した高校はそれなりの強豪校。そこでの練習環境は、中学時代とは比べものにならないほど過酷なものでした。

​放課後、体育館に足を踏み入れた瞬間から練習が終わるまで、息をつく暇もありません。

フットワーク、ノック、ダッシュ、筋トレ、実戦形式のパターン練習……。コートの端から端まで全力でシャトルを追い続け、前後左右へ激しいストップ&ゴーを無限に繰り返します。

​夏場の締め切った体育館はまるでサウナのようで、ウェアは何枚着替えても追いつかず、常に汗だくでした。



​足の悲鳴:シンスプリントと疲労骨折寸前の日々

​強豪校の練習量は凄まじく、私の身体は常に限界ギリギリの警告アラートを鳴らしていました。

​バドミントン特有のハードなフットワークとジャンプの繰り返しによって、すねの内側に激痛が走る「シンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)」は日常茶飯事。歩くだけでもズキズキと痛む足を引きずりながら、アイシングとテーピングでなんとかごまかしつつ練習に参加していました。

​病院でレントゲンを撮った際には、「これ以上無理をしたら完全に疲労骨折するよ」と医師に釘を刺されたこともあります。まさに疲労骨折寸前。文字通り、心身を削りながらシャトルを追う毎日でした。

​「明日の朝、目が覚めたら練習に行きたくないな」

「今日をどうにか生き残ろう」

​当時の頭の中は、部活の過酷さをどう乗り切るかで一杯だったように思います。



​社会に出て気づいた「高校の部活よりキツい仕事はない」という事実

​そんな過酷な学生時代を経て大人になり、社会に出て働き始めました。

​色々な業界や職場を経験する中で、もちろん大変な場面はたくさんありました。連日の残業や立ち仕事、プレッシャーのかかる業務など、社会人なりの厳しさには何度も直面しました。

​しかし、不思議なことに**「体力的な限界」を感じることは一度もありませんでした。**

​どんなに業務がハードでも、

「でも、あの真夏の体育館でシンスプリントの激痛に耐えながら走らされたノック練習よりはマシだな」

「倒れるまで走るわけじゃないし、座って息ができるだけ天国だな」

​と、無意識のうちに高校時代と比較してしまい、限界の基準値が圧倒的に高くなっている自分に気づいたのです。高校時代のハードな練習が、知らず知らずのうちに強固な「体力と根性のセーフティネット」を作ってくれていたのだと思います。



​限界を知っていることは、ひとつの強みになる

​当時の自分に「その経験は将来役に立つよ」と言っても、痛みに耐える渦中では到底受け入れられなかったはずです。怪我と隣り合わせの無茶な練習を美化するつもりもありません。

​それでも、**「自分の身体と精神の限界値を一度知っている」**ということは、大人になって困難にぶつかったときの大きな支えになっています。

​「あのキツさを乗り越えられたんだから、今の状況もきっと大丈夫」

​仕事でちょっと疲れたときや、しんどい場面に出くわしたとき、私は今でも高校の体育館で流した汗と痛みを思い出します。そして、「よし、もうひと踏ん張りするか」と前に進むエネルギーに変えています。

​あの過酷な日々を一緒に駆け抜けたチームメイト、そしてボロボロになりながら耐えてくれた自分の身体に、今では少しだけ感謝しています。

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