【創作大賞】この恋が叶いませんように〈4.どうして結婚したんですか〉
第4話「どうして結婚したんですか」
〈こんばんは。永原さん、来週の水曜ってシフト入ってる?〉
心臓が滅するかと思った。
藤吉さんからのLINE。荻窪甘味会じゃなくて個別LINE。
あの少し低めのかすれた声が聴こえた気がして、なんだなんだ、とドキドキしながらシフトもろくに確認しないで「入ってます」と答える。入ってなかったとしても入ります。
〈ぼく、月例会でそっち行くから、軽くお茶かランチできへんかなあ。〉
え、これって二人でってことだよね。わざわざ個別LINEに送ってきたってことはそういうことだよね。必死に野中ちゃんのシフトを思い出そうとする。自分のシフトも覚えてないのに人のを覚えているわけがない。
野中ちゃんも来るのかどうか確かめたいけどやぶへびになっても困る。
なんて打とうか迷っているうちに
〈相談したいことあって。〉
次のLINEがくる。藤吉さんはチャットみたいに一行ずつ送るのだ。そして、句読点は必ずつける。
〈他の人には秘密にしといて。〉
「ちょっと、光うるさい。福太が起きる」
福太をはさんで向こうに寝ている夫がそう言って布団をかぶった。あわてて自分も布団にもぐる。暗闇の中、藤吉さんの〈。〉付きLINEが瞬く。
「どうしてわらってるの」
自転車の後ろに福太をのせ、ヘルメットをつけてあげようと顔を寄せたら言われた。
「ママ、笑ってる?」
「うん、わらってる。いつもはやくはやく!ってこぉーんなおかおしてるのに、わらってるよ」
そう言って、眉に指を当て吊り上げた。
「そ、そうかな。ママわりといつも笑ってるつもりだけど」なんだか福太の顔を見られなくて、サドルにまたがり前を向いて自転車を漕ぎだす。
あのLINEが来てから夜中の2時までネットサーフィンしてしまった。ZOZOで着ていく服を探したり、シートマスクの口コミを調べたり、美容院を予約したり、来週の水曜日までにやるべきことが次から次へと見つかった。自分で自分の恋心を焚きつけている。薪をぼんぼんくべている。
「ねーねー」福太がシャツをひっぱる。ちょうど信号に差し掛かり、一旦停止する。
「なあに?」罪悪感からきちんと振り返って優しい声できく。ヘルメットをつけた福太は幼い顔がさらに幼く見えてかわいい。
「どうしてわらってるの、ってきいて」
福太はえくぼを見せてわかりやすくニコニコしている。
なあんだ、さっきのは、自分が聞いてほしかったのか。
「どうして笑ってるの?」すっかりほっとして、また優しい声が出た。
「ママのことがだいすきだから」
「……」
喉の奥になにかが詰まった。やり過ごそうと思うのに、福太があんまりまっすぐ笑うから、目をそらせない。
「ママ、あおになったよ」福太が向こうを指す。
「あ、うん」
漕ぎ出してから慌てて言った。
「ママも福太のことが大好き」
福太の小さな手のひらがわたしの背中をぺたりと押した。
今日も野中ちゃんはかわいい。そして膝は出していない。
太めのジーンズに、6800円はしそうなメンズのLサイズとおぼしきトレーナーを合わせて、黒いベルトを締めている。これは野中ちゃんにだけじゃなくて、最近の若い子たち全般に思うことなんだけど、どうして彼女たちは、わたしよりずっと足が長くてスタイルいいのに、わざわざダボッとした服を着るんだろう。産後ウエストが12㎝増えてウエストゴムのなんちゃってジーンズしか持っていないわたしは忠告したくなる。出せる時に出しておきなよ。
「こないだ、友だちとアフヌン行ったんですけどー」
「あふぬん?」
「やだ、アフタヌーンティーのことですよ~!」
ああ、あの何時に食べるのが正解なのかよくわからないお菓子まつり。
「友だち、去年結婚したんでアフヌン納めしてて。ほら、赤ちゃんできちゃったらホテルのレストランなんて来れないじゃないですか~。そしたら紅茶と金柑のマフィン食べながらボロボロ泣くんですよ。おめでたらしくって。あと3年は子ども作らないって思ってたのにって。でもこれでアフヌンもワインバーも日本酒会も引退だって」
野中ちゃんはクスクス笑う。
「『でもほら、結婚できたんだし』って励ましてあげたら、友だちなんて言ったと思います? 『真奈は結婚するには賢すぎるもんね』って。ひどくないですか?」
待って、待って、解説求む。
「でもたしかに、結婚ってハイリスクのわりにローリターンですよね。私だったら考えすぎちゃってできないかも。永原さんはどうして結婚したんですか?」
その「どうして」はHowではなくWhyで、遠回しにディスられていることはさすがにわかった。
そこでちょうどお客が続けてレジに来て、話は途切れた。けれど、カバーをかけている間も、クリスマス仕様のラッピングをしているときも、クレジット払いの定型トークを機械的に繰り返している間も、少しでも隙間があると舌打ちしそうになる。藤吉さんに誘われたことを言いたくなる。どうどうどう、と自分をなだめながら代わりにこう言った。
「ねえ、野中ちゃん。二木さんって知ってる? もう何年前かな。やめちゃった社員さんなんだけど」
野中ちゃんはキョトンとする。その顔も気に入っているに違いない。
「あ、知るわけないよね。かぶってないもんね。いやさ、ここだけの話、二木さん、藤吉さんと不倫してたんだよ。二木さんには夫も子どももいるのにさ。社内で噂になってすぐ、二木さん会社辞めたんだよ。藤吉さんってさ、社内の人と定期的に噂になって、それで最後は相手が必ず会社辞めちゃうんだよね」
若干、話を盛って伝える。仕方ない。若い者に勝つには歴史を持ち出すしかない。
「うちの会社、そういうの厳しいから野中ちゃんも気をつけてね」
その途端、野中ちゃんの目が鋭く尖る。
「個人の恋愛に会社が口出すの、変ですよ」
そう言って、返品本のISBNコードにスキャナーを押し当てた。
タイトスカートは履かなかった。
理由は2つ。1,お迎えの自転車がこげないから。2,産前に買ったのを履いてみたらチャックがあがらなかったから。
だけど出がけに指毛が生えたままなことに気がついて、あわてて夫のカミソリで剃ったら左手の薬指が切れて血がスゥーッとこぼれて指輪の上辺にライン上に赤が溜まった。指を舐めて血を吸ったけど、吸っても吸ってもやっぱりスゥーッとにじんでくる。時間がなくてばんそうこうを探す。交通安全指導で福太がもらったピーポ君柄のばんそうこうしかなくて、時間もなくて、もうこれでいい、とそれを貼った。
駅までの道はもうすっかりクリスマスの準備をしている。木に巻きつけられたまだ点灯していないイルミネーションは全然きれいじゃない。ママチャリを飛ばしながら、どうせわたしはこんなもんだ、と思っていた。今から好きな人に会いに行くのに、なんでかピーポ君のばんそうこうなんか貼っている。指輪は隠さなかった。結婚指輪を隠したくてばんそうこうをしているって思われたくなかった。結婚指輪の上をピーポ君が輪になって踊っていた。
わたしはずっとそういう感じ。この恋はずっと情けないまま。
パチンコ屋の下の駐輪場に自転車を止めて、階段を駆け上がるとき、急にぜんぶやめたくなった。
藤吉さんに会いに行くのも、福太を迎えに行くのも、誰かのためにきれいになりたいと思うのも。もうぜんぶやめたくなった。
藤吉さんが連れてきてくれたのは、雑居ビルの地下にある純喫茶で、オレンジ色のペンダントライトがぽつぽつと照らす中を、アンティーク家具がセンス良く配置されている。村上春樹が聴いてそうなジャズが微かに流れていて、もう二度と地上に戻れない気がして怖い。
「なんかな、」
向かいの皮張りのソファに座った藤吉さんが、ちょいちょい、とあの美しい手で手招きをした。
「秘密やで」
わたしはうなずいて、その手に吸われる。藤吉さんの顔にわたしの顔が近づく。藤吉さんは無臭だ。透明なにおいがする。その目がわたしの目を覗き込む。
「ちょっと知り合いの女の子からLINE来て、仕事のことで悩んでたから、わかるで~ぼくもそういうことあったわ~って返してたら電話来るようになって。ほんで話聞いてたら、だんだん『藤吉さんには私しかいません』『藤吉さんの孤独を救ってあげる』って言わはるねん。いや、べつにええよ、って言ったんやけど、『素直になったほうがいい』とか『藤吉さんが本当は寂しがり屋ってわかってますから』とか、言ってきて。もう頼むからひとりにしてほしくって。べつにぼくが独身なのってひとりが好きやからやし。日中は会社でべらべらしゃべってるけど、家帰ったらずっと黙ってぼーっとしてんねん。それが僕の最高やねん。夜はひとりで家でじっとしてたいねんなあ」
藤吉さんはそう言うと、ソファにゆっくりもたれかかった。
「あの、それって、その女の子って、わたしの知ってる子ですか」
藤吉さんは、ふふっときれいな二重幅を保ったまま笑って、
「それきく? いや、ちょっと言われんわ」
「それ知ってる子って言ってるようなもんじゃないですか」
藤吉さんは「ちゃうちゃう、ちゃうで」と前前前世みたいな言い方で首を大げさに横に振った。
野中ちゃんにちがいなかった。
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これはフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。
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