マイケル・ジャクソンが最後まで手放さなかった恩義 ボディーガード、ビル・ブレイとの絆
映画マイケルを見た人の中でも話題になっている
あの人。
マイケル・ジャクソンには
長年「父親代わり」と呼ばれた人物がいました。
それが、ボディーガードのビル・ブレイです。
元ロサンゼルス市警察官だった彼は
1971年からジャクソン5の警備を担当し
その後20年以上にわたりマイケルの側で彼を守り続けました。
単なる警備員ではなく、ビジネスの相談に乗り
体調が悪ければ病院へ連れて行き
ツアーでは常に同行する存在でした。
周囲からは「マイケルにとって父親のような存在」と
語られるほど信頼されていました。
マイケル自身も、ビルへ宛てた手紙の中で
「あなたは私にとって父親でした」と感謝の気持ちを綴っています。
しかし、その二人の関係は永遠ではありませんでした。
1990年代半ば頃から、二人は疎遠になったと伝えられています。
理由は現在も公表されておらず
確かなことは誰にも分かりません。
側近が入れ替わったことや
マイケルが人間関係を大きく変えていった時期と重なっていることから
さまざまな憶測はありますが
真相は本人たちしか知りません。
ただ、一つ興味深い事実があります。
交流がほとんどなくなったあとも
マイケルはビルへの医療費の援助を続けていたと
複数の関係者が証言しています。
ビルは晩年は経済的にも
決して豊かな生活ではありませんでしたが
マイケルは少なくとも医療費などの支援を続けていたと伝えられています。
ここで考えさせられるのは、当時のマイケル自身も
決して経済的に余裕があったわけではないということです。
1993年以降の裁判や示談、ネバーランドの維持費
莫大なスタッフの給与、そして資金繰りの問題など
晩年のマイケルは「世界一売れたアーティスト」という
イメージとは裏腹に、常にお金の悩みを抱えていました。
それでも、長年自分を守ってくれた人物への援助を打ち切らなかった。
私は、この事実にマイケルらしさを感じます。
もちろん、最後まで会いに行かなかったことについては
「なぜなのだろう」と思います。
ビルの家族は、晩年の5年間ほど
マイケルから連絡がなかったと語っています。
マイケルが様々なゴシップで苦しんでいる中
ビルは一度もマイケルを悪く言う事もなく
取材なども頑なに断っていたそうです。
人間関係というものは、外から見えるものだけではありません。
会わなくなったから恩を忘れたとは限らない。
会えなくても、責任だけは果たそうとする人もいます。
ビル・ブレイが2005年に亡くなったとき
マイケルは「長年の友人であり、良き助言者を失った」と
追悼のコメントを発表しました。
人は、別れ方だけで関係のすべてを判断しがちです。
しかし、長い人生の中では
言葉を交わさなくなった相手への感謝や恩義を
別の形で返し続けることもあります。
ビル・ブレイとマイケル・ジャクソン。
そこには、長年積み重ねた信頼
複雑になってしまった人間関係
そして最後まで消えなかった恩義があったように私は感じています。
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