桜桃忌と猫と私と
今日6月19日は
作家太宰治の誕生日でもあり、遺体が見つかった日でもあります。
太宰は私が作品集を持っている唯一の作家です。
桜桃忌は彼の作品「桜桃」から名付けられました。
「グッドバイ」が未完のまま玉川上水に身を投げたので、「桜桃」が最も死に近い時期に、発表された小説です。
なぜわたしが桜桃忌について書こうと思ったのかは、
Yahoo!ニュースで上の記事を見たからです。
1909年(明治42年)に生まれた彼は
生誕115年を過ぎ、亡くなってからも70年になります。
それなのに今でも三鷹の彼の眠る墓には
全国から多くのファンが集まり、
市が注意喚起をしなければいけないほどの状態だと知ったからです。
確かに、わたしも大好きな作家には違いないのだけれど、
何がこうも人を惹きつけるのでしょう?
直接店員さんから話を聞こうと、4カ月ぶりに書店に行きました。
書店には、ライトノベル・新NISA・株・趣味の本が目立ちます。
小説にしても、ミステリーやホラー小説などエンターテインメント系のが多く、純文学は芥川賞の候補になった小説くらいしか売れていないようです。
今の一押しは「成瀬は天下を取りにいく」の新シリーズ。
読んだこともありません。時代の流れに付いていけません。
noteの文学大賞にも純文学のジャンルはないので時代の流れですね。
ところがどうでしょう。ありました。新潮文庫それも平積みで。
太宰治の「人間失格」「斜陽」「晩年」「ヴィヨンの妻」
もしかして、桜桃忌が近いから?
あんなに欲しかった芥川賞を獲らなくても
あなたの小説は今も書店に平積みで堂々と並んでいました、

何も買わずにお話を聞くのは憚られて
無駄遣いをしてしまいました。539円「ヴィヨンの妻」。
時間帯は平日の朝で、まだ人は少ない状態です。
本ならネットで買う方が早いようにも思いますが、
本屋さんで本を選んでいると、思わぬものが目に留まることがあり
そんな時、私は本に呼ばれていると感じます。
まず外れたことがありません。それこそ奇跡的な出会いだと思えるのです。
今のうちにと本をもってレジに向かいました。
丁度ブックサンタを担当してくれた可愛い店員さんだったので、
少し安心しました。
「太宰さんの本は今でも売れるのですか?」
レジは自分で支払方法を押すタイプで目が離せませんが、
何とか聞くことができました。
「はい、ご年配の方から学生さんまで幅広い年代に人気がありますよ」
「へぇ~そうなんですね。どの本がよく売れますか?」
「それはやはり「人間失格」でしょうか?
いまでもこの言葉はTVなどでも使われますからね」
「そうですか。ありがとうございました」
今日は朝の早いうちから
食事も朝は食パンを焼くだけ、昼はお湯を注ぐだけ、夜は湯せんするだけ
掃除はしない。洗濯物も干したままです。
とこんな具合に、家事の手を抜き、
私は若いころ何度も読んだ、太宰の全集を読み始めました。
積み上げた全集を、猫は尻尾でなでてゆきました。
私が相手にしないので何度かやってきて様子を見ます。
「ごめんね。今日だけお父さんと遊んでいてね」
そう言いながら撫でてやって
自分の好きだった作品、
今でも若者に人気のある「人間失格」などいくつかを読みました。
猫も夫もおそらく呆れています。
でも、ときどきこういうことはあるから、夫は何も言いません。
丸一日、太宰の小説を読みながら、桜桃忌を過ごした私が出した答えは、
彼の晩年に書かれた小説は、決して古びないということでした。
太宰は常に、人間が誰しも持つ、弱さや、生きにくさ、家族のもめごとなどを平易な言葉で書き散らし、いつしか読み手の心の中まで入り込む。
人間は、基本的に孤独なのです。どう足掻いても他の人の心の奥まで知ることはできない。
だから彼の作品たちは、
どんな時代にも、
どんな場所にも、
どんな人生にも当てはまる普遍的なものがあるのかもしれません。
誰だって、一度や二度は、
本気で生きていることから逃げたいと思ったことがあるでしょう。
当の自分だって何度も生きることから逃げたいと思ったことがあります。
「桜桃」の始まりはこうです。
「子どもより親が大事」と思いたい。子どもためになどと古風な道学者みたいなことを、殊勝らしく考えてみても、何、子どもよりも、その親の方が弱いのだ。少なくとも、私の家庭に於いてはそうなのである。(中略)この親は、その家庭に於いて、常に子どもたちの機嫌ばかり伺っている。子ども、といっても、私のところの子どもは、皆まだひどく幼い。長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。既にそれぞれ、両親を圧倒しかけている。父と母は、子どもたちの下男下女の趣をていしているのである。(中略)桜桃が出た。私の家では、子どもたちに、ぜいたくなものを食べさせない。子どもたちは桜桃など、見たことも無いかも知れない。食べさせたら喜ぶだろう。父が持って帰ったら喜ぶだろう.蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚の首飾りのように見えるだろう。しかし父は、大皿に盛られた桜桃を、きわめてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そして心の中で虚構みたいに呟く言葉は、子どもよりも親が大事。
この作品はほぼ私小説だと思われます。
太宰の長男はダウン症で15歳までしか生きられなかった。
のちに次女の津島裕子「我が父たち」に書かれていた。
子どもたちの成長を気にしながらも、
長男の障害のことを案じながらも、
己の卑怯さを恥じながらも、
酒に逃げ、死ぬしかなかった彼のことを、
先日の祖母の祥月命日の時と同じように偲びながら、
夜までかかってこの記事をかいた。
人は二度死ぬ、一度は体が死んだとき。二度目は記憶から消えた時。
でも、彼の作品は永遠かもしれない。ということは彼もまた永遠ということだろう。多くの作品の中に、誰かの心から離れない言葉が、ひとつや、ふたつはあるように思うのです。
わたしは中学3年生の夏
「苦しみ多ければ、それだけ報われること少なし」
この言葉に心をわしづかみにされました。
その理由は、一言では語れないので、またの機会にいたします。
午後からまた雨になった。
鳥もチョウも来ないので、
猫はマッサージ器の上で、寝たり、起きたりしていた。


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