WW2跡地を巡る旅② ポーランド・ワルシャワ編
ベルリンを後にし、次の目的地はポーランド・ワルシャワ。
オランダやドイツと比べると、日本ではあまり馴染みのない国かもしれない。
公用語はポーランド語。
ヨーロッパの中では比較的物価も安く、旅人にとっては過ごしやすい国だ。
しかし同時に、WW2ではナチス・ドイツによって最も大きな被害を受けた国の一つでもある。
今回の旅では、その歴史を自分の目で確かめたいと思っていた。
ベルリンから高速列車で約6時間。
指定席は6人掛けのコンパートメントだった。
途中、ポズナンという街で列車が停車すると、一人のポーランド人マダムが隣へ座ってきた。
満面の笑みで何か話しかけてくれる。
しかし、当然ながらポーランド語はまったく分からない。
とりあえず笑顔で相槌を打っていると、向かいに座っていた若いポーランド人女性が見かねて英語で通訳してくれた。
「あなたが孫にそっくりなんですって。」
さすがに私はポーランド人には見えないだろうと思いながらも、車内は一気に和やかな雰囲気になった。
気付けばワルシャワまでの長い移動時間もあっという間。
今でも旅の中で印象に残っている出来事の一つだ。

ワルシャワへ到着して最初に感じたのは、街の静けさだった。
首都にもかかわらず人通りはかなり少なく、空はどんよりと曇り、冷たい風が吹いている。
ベルリンやアムステルダムとはまったく違う空気。
どこか重たく、張り詰めたような印象を受けた。
街へ出てまず目に入ったのは、どこか無機質で寂しげな建物だった。
華やかな近代建築とは違い、直線的で装飾は少なく、重厚感だけが際立っている。
後から知ったのだが、それらは第二次世界大戦後、ソビエト連邦の影響下にあった時代に建てられた社会主義建築だった。
その象徴が、街の中心にそびえ立つ文化科学宮殿。

1955年、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンからポーランドへ贈られた超高層建築で「スターリンからの贈り物」とも呼ばれている。
WW2が終われば、すぐに平和が訪れたわけではない。
ポーランドはその後も長くソ連の影響下に置かれた。
街並みを見ているだけでも、この国が歩んできた歴史の複雑さを感じた。
ホテルへチェックインすると、部屋は綺麗だったが冷蔵庫がない。
その代わり窓には「飲み物は外へ置いてください」というシールが貼られていた。
寒い国の冬ならではの知恵なのだろう。

そんな小さな違いにも、新しい国へ来たことを実感した。
翌朝、朝食を済ませこの旅最初の目的地へ向かった。
ワルシャワ・ゲットー跡である。


壁があった場所の地図

ゲットーとは、特定の民族や宗教の人々を一定の区域へ隔離して住まわせた地区のことを指す。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは占領した各地に数多くのゲットーを設置した。
その中でも最大規模だったのがワルシャワ・ゲットーだった。
現在では街並みはすっかり変わっている。
しかし、当時ゲットーを囲っていた壁の一部は今も保存されていて、地面にも壁の跡が残っている。
普段なら見過ごしてしまうようなレンガの壁。
だが約80年前、この壁は「自由」と「隔離」の境界線だった。
そのまま歩いていくと、ユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグが見えてくる。

Synagogue

首都とは思えないほど静かな街を歩いていると、壁際に小さなロウソクが並べられている場所を何度も目にした。
後で知ったのだが、これは亡くなった人を偲ぶユダヤの風習の一つだという。
80年以上経った今でも、この街には静かに祈りが残されていた。

続いて訪れたのは、ウムシュラークプラッツ。

ここはワルシャワ・ゲットーのユダヤ人たちが貨車へ乗せられ、トレブリンカをはじめとする絶滅収容所へ移送されていった場所である。
現在は慰霊碑が建ち、当時の出来事を静かに伝えている。
オランダやドイツでも数多くの慰霊碑を目にした。
しかし、ワルシャワではその数が桁違いだった。
街を歩けば至るところで戦争の記憶に出会う。
それだけ、この街が受けた傷の深さを物語っているのだと思う。



その後は、パヴィアク刑務所跡を訪れた。
1835年に建てられたこの刑務所は、WW2中、ナチス・ドイツによって政治犯やレジスタンス、ユダヤ人などを収容する施設として使用された。
多くの人々がここから尋問を受け、処刑場や強制収容所へ送られていった。
現在は博物館となっているが、敷地内には当時を伝える遺構や慰霊碑が残されている。
中でも印象的だったのが、「囚人の木」と呼ばれる一本の木だった。
収容されていた人々は、この木の幹に自分や家族、大切な人の名前を刻み、生きた証や再会への願いを託したと言われている。
現在立っている木は戦後に植え替えられたものだが、幹には当時の刻印が再現され、犠牲者たちの記憶を今へ伝えている。
派手な展示は何一つない。
それでも、その場所に立つだけで胸が締め付けられるような空気が流れていた。



ワルシャワの歴史を語る上で外せないのが、1944年のワルシャワ蜂起である。
ドイツ軍に対し、市民やレジスタンスが武装蜂起したが、女性や若者まで多くの犠牲者を出し、街の大部分は破壊された。
63日間の市街戦、当初予定していたソ連軍の支援を受けられず降伏。
後の情報ではソ連がポーランドの弱体化を図った策だったらしい。
悲劇的な歴史である。
そして、この街には世界中に知られるもう一つの出来事がある。
1970年、西ドイツ首相ヴィリー・ブラントは、ワルシャワ・ゲットー英雄記念碑の前で突然ひざまずいた。
ナチス・ドイツが犯した罪への謝罪と、犠牲者への哀悼を示したその姿は「ワルシャワの跪き」として世界へ報じられ、翌年、ブラントさんはノーベル平和賞を受賞している。


ワルシャワを歩いていて感じたのは、この街は歴史を隠さないということだった。
悲しい出来事も、失われた命も、その痕跡も、街の中に静かに残し続けている。
だからこそ、この街には他のヨーロッパの都市とは違う空気が流れているように感じた。
そして、この旅はここで終わらない。
次の目的地は、ワルシャワ旧市街。
ショパンに会いに行く。

かき揚げうどん

ASAHI
