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ガチ恋には資格がいる

メンズエステに通っていて、自分がガチ恋になったことはありません。なりそうになったこともない。

自制が効いているわけではないと思います。単純に、要件を満たしていない。

僕には家庭があります。差し出せるものが最初からない。ガチ恋というのは、相手に自分の全部を渡せる前提の上に立つ感情で、渡せるものを既に別の場所に置いている人間は、そもそも参加資格がない。道徳の話ではなく、履行不能という意味です。

我慢しているのとも違います。我慢は、できるけどしない状態を指す。僕の場合は最初から成立しない。だから「ならない」と「なれない」が同じ場所に着地します。

面白いもので、それは意識する前に行動のほうに出ています。連絡先を交換しようと思ったことがない。店外を打診したいと考えたこともない。禁止事項として頭に貼っているわけではなく、気づいたらそういう動き方をしていた、という順序です。自分でルールを作った記憶がないのに、線だけは最初から引かれている。

そうすると、線を引いていない客が視界に入ったときに困ります。Xで他の客の会話が流れてくることがある。予約の取り方、名前の呼び方、店側とのやり取りの距離。ああ、この人は引いていないな、と分かってしまう瞬間がある。軽蔑しているわけではありません。ただ、自分との違いを勝手に確認してしまう。他人の距離感を測ってしまう時点で、こちらも大概だとは思います。

ただ、資格がないと分かっている客と、ガチ恋している客は、席に座っている限り見分けがつきません。同じように指名して、同じように時間通りに来て、同じように会話する。内側で何が起きているかは、施術中の外形には出ない。

これは客の側から見ると、少し落ち着かない話でもあります。自分がどちらに分類されているか、確かめる手段がない。安全な客だと思われているのか、そのうち面倒になる客として警戒されているのか、分からないまま通っている。確かめようとした瞬間に、確かめたがる客になってしまうので、確かめられない。


羨ましいとは思う

なれないと書きましたが、羨ましさはあります。

いい歳をして、人を本気で好きになれる。あれは能力です。

もっとも、羨ましさの向き先は少し違うのかもしれません。好きになる機能自体は、おそらく誰も失っていない。失うのは、それを全部注ぎ込める身軽さのほうです。若い頃の恋が濃いのも、賭けても壊れるものが少ないからで、感情の純度というより持ち物の量の問題な気がします。

そう考えると、僕が羨ましがっているのは若さではなく、身軽さです。

全部を賭けたことが一度もない人間なら、羨ましいとも思わないはずです。思ってしまうということは、覚えがあるということでしょう。ただ、あの状態にもう一度入れるかというと入れない。記憶としては手元にあるのに、再現できない。羨ましさというのは、たいていそういう形をしています。

それでも羨ましいと思う気持ちはあっていいと思っています。羨ましくもないと言い切る人のほうが、何かを止めている。


後ろに何十人いるか

ガチ恋の人が見落としていることが一つあります。

自分が受けている施術と同じものを、後ろに何十人も受けている。

これは情報として知らないわけではないと思います。みんな頭では分かっている。分かった上で、自分だけは扱いが違うという処理を走らせている。

指名の回数を覚えていてくれた。返信が早かった。前回の雑談を続きから話してくれた。誕生日を知っていた。呼び方が途中から変わった。予約の並びが自分に合わせて動いたように見えた。レビューを書いたら反応があった。こういうものが全部、自分は例外だという証拠として回収されていきます。だから事実を足しても効かない。事実が証拠に変換される回路のほうが先に動いてしまう。

それを飲み込める人なら、ガチ恋になってもいいと思います。何十人のうちの一人であることを認めた上で、それでも好きだと言えるなら、誰にも迷惑はかからない。

ただ、飲み込めた時点で、それはもうガチ恋ではない気がします。

ガチ恋の核が独占の要求なら、独占を諦めた愛着には別の名前がつく。敬意か、贔屓か。少なくとも相手の仕事を仕事のまま扱えている。

つまり、耐えられる人は最初からならないし、なる人は耐えられない。条件を出した瞬間に該当者がいなくなる。資格試験としては欠陥品です。

もっとも、該当者がゼロでも困る人はいません。店は回っているし、客は通っているし、セラピストは働いている。誰も資格を確認しないまま、全員が席についている。この試験は、受けても落ちても実生活に影響がない。


自覚していない側

厄介なのは、自分がガチ恋だと思っていない人のほうです。

自覚がある人は、少なくとも自分でブレーキの位置を知っている。自覚がない人は、自分の話だと思わないまま読み流します。

自覚のなさは、好意を否定しているというより、別の言葉に置き換わっていることが多い気がします。自分は技術を評価している。人間性を尊敬している。話が合うだけだ。評価や尊敬という語が、防具として機能する。

ただ、内面は隠せても行動には出ます。予約を入れる間隔が自分の予定ではなく相手の枠の空き方で決まっている。他の客の話題が出たときに反応が固くなる。施術の内容より会話の記憶のほうが多い。返信までの時間を測っている。店を替えられない。

本人は測定していないだけで、外からは見えています。

逆もいます。自分は完全にガチ恋だと認めていて、それでも行動には一切出さない人。指名を増やさず、連絡もせず、感情だけを手元に置いている。こちらのほうが健全だと思います。だから並べた項目は判定表ではありません。当てはまるから危ないのではなく、当てはまるのに気づいていないことのほうが問題だという話です。

自覚のない人が自覚する瞬間は、たいてい指名が取れなかった日に来ます。枠が埋まっていた。出勤がなかった。別の日を提案されて、その日は都合が悪かった。それだけのことで、想定以上に落ち込む。落ち込んでいる自分に驚く。予定が一つ流れただけなのに、なぜここまで応えるのか説明がつかない。取れた日には何も分からないのに、取れなかった日に一気に分かる。自分の位置は、供給が止まったときにしか測れません。

僕もこれを診断として出したいわけではない。指摘されると人は防御に回るので、おそらく逆効果になります。ただ、後から思い当たる人はいると思います。

飲み込めないのが普通です

ここまで書いておいて何ですが、飲み込めないのが標準仕様だと思っています。

好意を向けられて、それが仕事だと分かっていて、なお平気でいられるほうが特殊です。人間の側の欠陥ではなく、そういう設計の場所に入っているだけの話で、設計に負けたからといって責められる筋合いはない。

気にかかるのは、本人が壊れることより先に、負荷が相手側に出る点です。自分だけかと訊く。他の客を意識させる発言をする。返信の頻度を要求する。店の外での接触を持ちかける。どれも本人にとっては好意の確認ですが、受け取る側には業務中の対応事項として届きます。感情そのものは自由でも、相手の職場に持ち込んだ時点で相手の仕事になる。ガチ恋の実害は、最初にそこへ出ます。

ガチ恋になる人が弱いのではなく、ならない人が何かを持っているだけ。僕の場合は家庭で、他の人は仕事かもしれないし、単に別の依存先かもしれません。

資格の話をしましたが、資格がないことを誇っているわけでもありません。ないから安全なだけです。持っていないから落ちない。

しかも、落ちない客というのは、店で受け取れるものにも上限があります。全部を賭けている人が見ている景色を、僕は最後まで見ないまま通い続ける。安全圏から眺めているぶん、たどり着ける濃度はそこまでです。それを損だと思うかどうかは、まだ決めかねています。

資格がないから落ちない。ただ、落ちない客というのは、店から見れば安全でつまらない客でもあります。安全と引き換えに手放しているものが何なのかは、おそらく自分では分からない。


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