突然、中東戦争が始まった。ドバイで私が経験した数日間【前編】
はじめに
はじめまして。めろぺねむです。
私は今年の2~3月にUAEのドバイに滞在していました。
そこで始まった中東戦争、そこから日本へ帰国するまでの数日間について記したいと思います。
突然この記事を書こうと思った理由は、
「自分の中で貴重な体験だったから」
これに尽きます。あとは忘れないうちに書き留めたい。
とは言ってももう4か月経っていますが、まだ記憶が鮮明なうちに。。
本編
ドバイに着くまで
今回ドバイに行った理由は、
・仕事の融通が利く時期で、旅行に行きやすかった
・友人がドバイに住んでいた
この2点です。
せっかく旅行しやすい時期、暑くない時期だし、友人がいるドバイに!と思い、旅行を計画したのが今回の始まり。
日程が決まった後、じつは国内に住む友人の一人に「イスラエルがイランを攻撃するかもしれないよ」と言われましたが、当時の私は戦争の現実味が恐ろしいくらいになく、何とかなるのでは?と思っていました。
後々にこの影響の大きさを体感することとなるのです。
ここから先は完全なる序章中の序章ですので、飛ばしたい方は次の見出しへ…
旅が始まったのは、2026年2月25日
10:45 HND 羽田空港を中国南方航空のエアバスA321-200に乗り出発
15:30 CAN 広州白雲国際空港 到着
3時間55分 乗り継ぎ
19:25 CAN 広州白雲国際空港 から エアバスA330に乗り
翌0:06 DXB ドバイ国際空港に到着する便を利用。
この時の復路予定は
3月2日の深夜(3月1日には空港に入らないといけない)の同じく中国南方航空の便。
往路の便の感想「ほぼ中国人ばかり」
以上、それくらい周りは中国語。
乗り継ぎ時間は広州白雲空港の税関内レストランで、広東料理を食べて中国感を満喫。
このあたりのまだ何も知らない観光旅行記はまた後日書くかも。笑
とかいろいろしていると0時過ぎにドバイに到着、有人の入国審査で10GBのSIMを無料でいただき無事入国。基本私はバックパックスタイルで機内受託荷物はナシなので、サクサク進みます。
現地に住む友人が夜遅くにも関わらず、ドバイ国際空港まで迎えに来てくれた(やさしい)
そんなこんなでドバイに入国することに何ら違和感は感じませんでした。
中東戦争が始まるまで
友人がしばらく有給休暇を取得してくれて(やさしい)ドバイ観光を案内してくれた。
この時のドバイは2月下旬ですが、気候を一言でいうと
「まあ暑い、室内は寒い」
友人いわく「1年のうちで過ごしやすい時期」とのこと。
確かに夏場の砂漠と考えると、この時期で正解だった。
滞在中も友人宅でお世話になり、下記の予定を立ててのほほんと観光した。
2月26日 アルファビティ歴史地区散策 ゴールドスーク
2月27日 アブダビ観光
(シェイク・ザーイド・モスク、カスール・アル・ワタン、
ルーヴル・アブダビ美術館)
2月28日 パームジュメイラ デザートサファリ
3月1日 ドバイモール散策 ブルジュハリファをみる
22時頃には空港へ
プランの通り、まったく中東戦争なぞ感じさせないドバイの日常を感じながら、名所の観光をしていった。
事が大きく動いたのは2月28日。
この日は午前中にパームジュメイラをみるため、ザ・ビュー・アット・ザ・パームへ。
日本では感じれない人工島とそこを行き来する交通、立ち並ぶ住宅に圧巻とします。

この時、11時30分。まだ中東戦争の兆しはない。

しっかり景色を楽しみ、パームを後に。
しかしこの後、この目に焼き付けた景観が変わることになるのです。
動いている世界が変化する
午後は友人と私で、デザートサファリのツアーに参加。
友人宅の近くまでツアーのガイドさんが車で迎えに来てくれた。
車は7-8人くらい乗れる大型車、既にドイツ人観光客4名を乗せていた。
後部座席に座る日本人。
サファリに向かうまで1時間程度、車に揺られる。
途中、トイレ休憩なのかベースキャンプのようなところで降ろされ、休憩していたところだった。
2月28日 14:30頃(UAE時間)
状況が大きく動いた。
この日はそれまで観光に移動にバタバタしていたせいか、まったくニュースを目にしていなかったが、ふとYahoo! JAPANを開くと「イスラエルがイランを攻撃」との記事が。
実際にはもう少し前には始まっていたのだろう。
私「イスラエルがイランを攻撃したんだって」
友人「えっ?イランってすぐ隣だよ」
まだ状況を把握できていない中、次に私のスマホにある通知がきた。
【重要】ご予約便が欠航となりました
ここで事の大きさをようやく理解する。

ただし現地の日常は何ら変わりない。
報道・欠航の通知と現実との乖離があり、違和感があるものの不安は徐々に大きくなっていった。
帰りも中国南方航空であり、3月2日1時55分は欠航になったものの、その後の便への変更が可能であったため、急いで3月4日1時55分の便へ変更した。
帰国後の仕事の予定の調整が必要であったり、いろんなことが頭を過る。
ただしデザートサファリに来たので一旦はサファリを楽しみ、帰りに考えよう。また状況が変わるかもしれない。
友人とそのように話したのは覚えている。
そのあと、夕方のサファリを絶景を肌で感じた。


頭の片隅では「果たして無事に帰国できるのか?」「仕事の調整が必要であることは何と伝えようか」といった不安もある。
ただ今しか感じられないものを感じ、日が暮れる頃に帰路についた。
ただ、往路ではあれだけ楽しそうにしていたドイツ人旅行客4人組もザワザワとしている。
言語はわからないが、一部理解できたのは航空会社の話題を話していること、表情は明らかに緊迫し笑顔がみられないことだ。
恐らく、同じ状況なのだろう。UAEに滞在している以上、帰路を予定している人々の道がリアルタイムで塞がれているのだ。
不安な気持ちなまま、夜中の高速道路を走っていると、ドイツ人たちがしきりに左側を指さしている。
何かあるのかと思い、左側遠くの空を見ると、何やら光を放っているものが見えた。
流れ星にしては大きくないか?またいつまでも消えることなくゆっくり落下しているようにも見える。
今考えるとミサイルだったのかもしれない、戦争の「せ」の字も感じられなかった日常で、ここで初めてその現実味が大きくなっていった。
2月28日 夜間、友人宅に無事戻ったが気持ちは落ち着かない。
3月1日に予定していたドバイモール観光等は一旦キャンセルとして、友人宅でおとなしく過ごすこととした。
ただし28日深夜、床につくも寝られず。気持ちはずっと落ち着かない。
そんな中、外から鈍い音がした。
聞いている限りだと距離は遠く、ただ明らかに大きな何かが落ちた、もしくは爆発したのか、と連想される音だった。
友人も不安を抱えており、この日はあまり寝れなかった。
今後への不安
翌日。
外は晴れており昨日のような大きな音は聞こえず、外を見ると車やバイクが行き交い、普段よりも交通量は少なそうだが、日常といえば日常ではあった。
また友人宅近くのコンビニも通常営業していた。
そんな中、再度あの通知がきたのだ。
【重要】ご予約便が欠航となりました
デザートサファリに行く前に変更した、3月4日1:55 中国南方航空 広州行きの便だ。
愕然とした。ただよく考えれば早いうちに判断し、通知してくれるのはありがたい。
果たしていつまで待てば帰れるのか、それとも帰れないのか、いろんなシチュエーションが頭の中を駆け巡った。
同じ便を再度変更することも可能だったが、また同じことが起きそうだと思ったこと、X(旧Twitter)を見ていると、ドバイを拠点としているエミレーツ航空は比較的運航されていそうであることから、ここで中国南方航空の帰路便はキャンセル(不可抗力のため復路分は払い戻し)することに。
その後、3月5日発 エミレーツ航空 ドバイ発シンガポール行きを予約したが、エミレーツ公式Xで3月7日まで全便の欠航が発表された。
完全に目途が立たない状況となった。
友人はそれでも出社をしなければならない日もあり、しばらく部屋にいさせていただき(ありがとう)動けない日を過ごす。また、友人も今回のことから退避を検討し始めた。
相変わらず外からはミサイルと思われる音が聞こえるようになり、特に夜間に多い印象だった。
航空券が確約されないこと、外では戦争が起こり始めている現実、この二つが相まって、気持ちが休まらない日が続く。
次回
突然、中東戦争が始まった。ドバイで私が経験した数日間【中編】を公開します。
日本外務省・日本領事館から退避についてのアナウンスが来ます。また実際のドバイの状況についてもお伝えできたらと思います。
