95歳を前に、自分の半生を書いてよ、と頼んだら、95歳超えちゃった。
母は戦前生まれだ。時折戦争の時のことを話してくれる。
自分の生活が苦しかったことだとかいろいろ。
私が1番よく覚えているのは、学校の授業で勉強なんてろくにしなかったって事。
運動場は運動する場所じゃなくて、みんなで耕してサツマイモを植えていたんだとか。
その頃家でも米は作って売るのに置いてたからほとんど食べるのは芋の煮っ転がし。私は肉じゃがや芋の煮っ転がしはほとんど家で食べたことがなかった。何故かと言うと、芋の炊いたのは昔を飽きるほど食べたので、もう二度と食べたくないって思っていたから、で料理しなかったらしい。
他にもよく覚えているのは、体育の時間の話だ。バケツリレーの訓練、テレビとかでみたことあるけど、あれを本当に練習してたんだって。
それから、竹槍訓練。
頭の上をB 29がぐんぐん飛んでいくのに、学校の先生に言われて、竹槍で米兵をつく練習をさせられたとか。
こんなもので、あんなすごい飛行機に勝てるわけないやんかと友達同士ではこっそり いっていたらしい。だけど、先生にバレると叱られる。とにかく大人にそういうことを聞かれると親まで呼ばれて大変なことになるらしい。なので、家では絶対に言うなと口止めされていたらしい。
でも母は今ではこう言っている。
あれね、先生もこんな竹槍訓練を教えてアホらしいと思っていたと思うよ。でもね、逆らえなかったんだよね。あの時代は先生も馬鹿らしいなぁ、阿呆らしいなぁと思ってたけど、それは口にできなかったんだよと。
誰がみたっておかしいんだもの。
子どもでもわかる事だったってことよと。
まぁね。
よくドラマとかでやってるよね。あれを経験してきたのか!と思うと、我が母ながら、凄いなと思う。
そんな人達が、老人ホームでいろいろ語る事なく、記憶が薄れていくって勿体無いなあ。
死んだらわからなくなるから、書いてよって頼んだのに、いくらも書かないうちに記憶も定かでなくなって、ろれつも回りにくくなって、老化ってこんなに進むんだ!と感心してしまうくらい。
もっとはやくから、いろいろ聞いておくべきだったなと、今さらながらに思う今日この頃です。
合掌🙏
