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気づいてほしい"今日という瞬間の軌跡"

「当たり前の日常と疑わない常識」


何も考えずに蛇口をひねれば、
透き通った水が出る。

どこの家でもスイッチを押せば、
部屋に明かりが灯る。

近くのコンビニに行けば、
いつでも温かいご飯が買える。

私たちは、
そんな"いつも通り"の毎日を、
当たり前のように消費して生きていないでしょうか?


「自分が汗水流して稼いだお金で買っているのだから、当然の権利だ」

「誰の力も借りていない。
私は私の実力でここまで生きてきたんだ」

俗世間の昔のお父さん像は、
「誰の稼ぎで飯食えてると思っているんだ」
が決め台詞のように飛び交っていたように思います。
(※うちの父は、そんなこと一言も言わずに黙々と家族のために夜遅くまで働いてくれていましたが。)

亭主関白。
妻は、夫の半歩後ろを歩く。
そんな価値観で溢れた家族像があった時代もあったと思います。

……もし今、
あなたがそんな風に周囲の世界が自分を中心に回り、
すべてを自分の手柄(あるいは自分の責任)だと、
仮に思い込んでいるようなら。

この途方もない"奇跡の計算式"とも言える真理に、
少しでも触れてみてもらいと願うばかりです。

「あなたの当たり前が、誰かの支えによって在るということ」


朝、目覚めてから家を出るまでの間に、
私たちは一体どれほどの存在に触れているでしょうか?

着ている服の糸を紡ぎ、
縫製してくれた異国の誰かの存在。

朝食のパンを作るために、
夜明け前から小麦をこねてくれた誰かの存在。

あなたが歩くアスファルトを、
汗だくになって平らに舗装してくれた誰かの存在。

そして、
そのすべてを根底で支える、
太陽の光と、
雨と、
土という自然の営み。

お金を払うことで、
「すべて自分で手に入れられる」
と錯覚している人もいるかもしれませんが、
もしこの世界から自分以外のすべての存在が消えてしまったら、、、

どれだけ札束を積んでも、
今日飲むコップ一杯の水すら手に入れることはできないことに気づいていますでしょう?

「どれだけの縁起に、どれだけの期間支えられて生きてきたのか」


これを読んでくださるあなたが今、
何歳なのかはわかりません。

でも、
仮にあなたが今、
20歳だったとしましょう。

365日 × 20年 = 7,300日。
30歳なら、10,950日。
40歳なら、14,600日。
50歳なら、18,250日。
60歳なら、21,900日。

想像してみてください。

この気の遠くなるような長い長い日数の間、
あなたはたったの一日たりとも、
自分ひとりの力で生き延びた日などなかったと思います。

泣いた日も、
怒りに震えた日も、
自分のことしか考えられずに誰かを傷つけてしまった日も。

見えない無数のつながり(縁起)は、
誰も文句ひとつ言わず、
休むこともなく、
あなたを支え、
今日、この瞬間まで生かし続けてくれる手助けをしてくれていたはずなんです。

あたなは、そのことに気づいていますか?

「確かに存在するお陰様という支え」


自分が優れているからでも、
正しいからでもなく、
ただ"無数のご縁によって生かされている"という紛れもない、
疑いようもない現実(事実)。

そのことに気づいた時、
私たちの内側に凝り固まり、へばりついている「傲慢さ」や「わがまま」というエゴの鎧は、
なんと脆く、弱く、ハリボテなものだったのかと気づくと思うんです。

「すべて自分の思い通りにコントロールしなければならない」
という窮屈な想いや欲求は、
「こんなにも支えられているのだから、
もう一人で戦わなくてもいいんだ」
という深い安心感に変化していきませんでしょうか?

私たちが生きているこの世界は、
決して冷酷で孤独なサバイバルゲームなどではないと思います。

この世界を生きる私の人生は、
「お陰様」という、
見えないけれど確かに存在する絶対領域、
最強のセーフティネットに守られた舞台
なのではないかと思うのです。

「何物にもかけがたい、かけがえのない瞬間」


これまでの人生、
何千、
何万という日数を生かしてもらってきたと思います。

私たちが、
心の底からその"縁起の有り難さ"に気づき、
感謝の気持ちで胸をいっぱいに満たせた日は、
果たしてどれだけの日数あったのでしょうか?

「感謝しなければいけない」と、
道徳のように頭で無理に考える必要はないとは思います。

ただそれでも、
今の自分がどれほど途方もない奇跡の上に成り立つのかを、
ほんの少しでも実感し、味わってほしいと思うんです。

経験したことがある人なら思い出せると思うんです。

本当にお腹が空いて、
もう本当にギリギリな状態の時にもらった温かなスープやパン。

電車やバスに乗っている時、
立ちくらみで立っているかもわからない状態の時に、
さっと席を譲ってくれた方の優しさ。

多くの人に悪意に満ちた言動を向けられ、
友達と呼べる人がいない中、
「おはよう」って声をかけてもらえたこと、
そっと教科書を見せてもらったり、
テスト範囲を教えてもらったこと。
その瞬間に、湧き出る感謝と感動の渦。

生きることには直接的には関係ないかもしれないけど、
でも、
あの瞬間がなかったら、
今の私は、私として存在できていなかったかもしれない。

そんなかけがえのない瞬間を、
誰もが経験していると思うんです。

「あぁ、なんて素晴らしい瞬間を生きているんだという実感」


別に明日から無理にいい人になろうとしたり、
すべての人に「ありがとう」と言って回る必要はないと思います。

ただ、
食卓に並んだ一杯の温かいお茶や、
すれ違う配達員のトラック、
窓の外を吹き抜ける風の音を、
本当に少しだけでいいので、
丁寧に五感を通して感じてみてほしいなっと思います。

「あぁ、
今日もこんなにたくさんの存在が、
この瞬間の私を支えてくれている」


本当に少しでも、そんな気づきを心のどこかで感じることができたのなら。

あなたが認識する世界は、
冷たく殺伐とした色の無い戦場から、
優しく温かい場所へと、
確実に舞台を移していっていると思います。

今日、この瞬間、
たったこの一瞬の積み重ねが、
自分たちでは気づかないうちに、
途方もない数(時間や日数)の思い出や経験の山になっています。

塵も積もれば山となる。

本当に一瞬、一瞬を、
縁起の支えの有り難さを実感することが出来たなら、
それは、宝の山のような毎日になるのではないでしょうか?

これを読み終わった後、
外に出て、
大きく深呼吸してみてください。

あなたは、
何かを感じることができると思いますし、
そうであってほしいと願っています。

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