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ある一族の「百年の歴史」を軸に、朝鮮半島での「闘争の系譜」を見事に描いた大河小説~黄晳暎(ファン・ソギョン)「マテニ10号(上・下)」(白水社)


2025年12月刊

かなり久しぶりにこの現代韓国を代表する作家の小説を読んだ。いかにも稀代のストーリーテラー黄晳暎らしい、想像と現実が一体となった素晴らしい大河小説だった。日本では昨年末刊だが原著は2020年刊で原題は「철도원 삼대(鉄道員三代)」(英語版タイトルは"Mater2-10")。この「マテニ10号」というタイトルは、帝国日本による植民地支配期に山岳部が多い朝鮮北部で運行されていた山岳型機関車「マウンテン2型(マテ2型)」の日本式略称によるもので、当時米国の機関車をモデルに川崎重工業によって製造された車両計33両が導入されたという。そして、現存するこの「マテニ10号」は朝鮮戦争時に破壊され長年非武装地帯で廃物のように打ち捨てられていたが、2004年に韓国国家登録文化財78号に登録され、補修作業を終えた後に現在は臨津閣に展示されているという。

この上下2巻計600ページ以上にわたる長大な作品は、1910年韓国併合前からのある朝鮮人鉄道員一族を主要人物としながら、当時の朝鮮半島の状況・植民地支配下での独立運動~それが労働運動とも繋がり民族運動と階級闘争が一体となって朝鮮各地で展開していく様や、それら運動への朝鮮総督府からの苛烈な弾圧などと、現代韓国でのある鉄鋼会社の売却・不当解雇とそれに抵抗するこの一族4代目の男の「工場内煙突籠城闘争」~この二つの時間軸が行ったり来たりしながら、物語は多くの人々の生き様を包み込みながら大きな流れと共に進んでいく。

著者や二人の翻訳者も指摘しているように、鉄道敷設というのは近代化の象徴であると同時に帝国主義国家による植民地支配の要のようなもので、帝国日本も朝鮮・釜山から大陸の「満州国」新京などへの武器・兵士の輸送を主目的としたこの事業をことさらに重視した。その帝国主義支配の象徴である機関車という存在や機関士をテーマに小説を構想するようになったのは、この作家が1989年に北朝鮮を訪問した際のある老機関士との出会いがきっかけだという。その機関士の故郷がソウルの永登浦(ヨンドゥポ)であり、黄晳暎氏も幼少期をそこで暮らしたことから意気投合し、様々な思い出話に浸ったという。それから30年余りが経過し、こうした個人の歴史と民族・国家の苦闘の歴史が重ね合わされた大作に結実した訳なので、つくづくこの作家の想像力の逞しさに感嘆する。

この中では李載裕(イ・ジェユ)、朴憲永(パク・コニョン)、呂運亨(ヨ・ウニョン)といった実在の独立運動家・社会主義者たちが数多く出てくるし、実際の独立運動の流れや1945年8月15日「解放」以後の米軍政庁による朝鮮総督府の施政をそのまま引き継いだような非道な圧政ぶりなどが、非常にリアルに描写されている。特に40年代後半からの筆致はかなりそうした時代状況の解説に力点が置かれていて、ちょっと小説というより歴史論説のような趣きさえある。しかし、あくまで架空の物語として書かれたこの作品は、著者自身のあとがきでも述べられているように、「産業労働者の闘い」を前景化して百年の歴史を描いたという点が、最も重要な特長なんだろう。黄晳暎氏は著名な作家であると同時に若い頃から現場での労働運動・民主化運動にも深く関与してきた人なので、こういう物語を紡ぐのにまことにふさわしい作家でもある。

さらに私はこの大河小説を読みながら、韓国女性作家チョン・ジア(鄭智我)の「父の革命日誌」「資本主義の敵」や高媛(Gao Yuan)による優れた歴史研究書「帝国と観光:「満洲」ツーリズムの近代」など様々に思い起こした。優れた作家や研究者が書いたものは、思わぬところで共鳴し見事なハーモニーを奏でる。そういうものだ。じっくり本を読むことによって得られるのは、単なる知識・認識の増量やその場限りの感情などではなく、もっと深いところに刻み込む「価値の刻印」ではないか?そんなことも感じる今日この頃である。

最後に作家のことばから~「膨大な宇宙の時間の中にあって、私たちが生きてきた時代と私たちの人生の痕跡はちっぽけな塵に過ぎないかもしれない。しかし、世の中はのろのろと、非常にゆっくり変わっていくのだろうが、それでも少しは良くなるだろうという期待は捨てたくはない。」

<付記>全然関係ないが、今ネトフリドラマ「百年の孤独」シーズン2を観ている。ガルシア=マルケスの原作を読んだのはもう40年以上前なので、原作がどうデフォルメされているのかさっぱり分からないが、このドラマも相当面白い。


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