「娘が生まれた年 世界は大きく動き始めた」子育てが教えてくれたことー私の原点
ここでは、私がnoteに投稿する背景をお話ししようと思います。
娘の誕生は、私に「世界平和とは何か」そして、「私自身の残りの人生をどう生きていくのか」を、考えるきっかけになるものでした。
娘を迎える直前に起きた事件
その年の6月、私は大きなおなかを抱え、実家でゆったりとした日々を過ごしていました。出産予定日を間近に控え、入院に必要なものをバッグ揃えて、いつ陣痛が来て大丈夫なように準備万端整えていました。
そんなある日、テレビに速報が流れました。大阪の小学校に刃物を持った男が侵入し、子どもたちや先生方が襲われたというのです。
しばらくして、次第に詳細が明らかになっていきました。混乱した現場の様子が生々しく報道されていき、私は思わずお腹に手を当てていました。
安全だと思われていた学校であっても、いつ何が起きてもおかしくないという、信じがたい現実を突きつけられたように感じたのです。
穏やかに思えた日本の社会は、いつのまに日常的に身の危険を感じながら生きていかなければならなくなったというのでしょう。
もうすぐ生まれてくる子どもの未来に、不安を感じずにはいられませんでした。
育児に追われた日々
それから少し経って、無事出産を終えてからというもの、毎日が寝不足と慣れない育児で埋め尽くされていきました。
私は、産院から退院する時に「一カ月間は絶対安静にしてください。授乳とおむつ替え以外は一切やらないように」と、お医者様から強く念押しされるほど、身体が弱っていました。
更には高齢出産と言われる年齢のこともあってか、1~2時間おきの授乳は、体力的にも限界でした。娘は夜泣きがひどく、まとまって睡眠時間がとれないことが、私の体力と気力を容赦なく削いでいったのです。
当時、実家にいたこともあって、私は母に頼りきりでした。
そうでなかったら、私の生活はとっくに破綻していたに違いありません。
なぜなら、私は退院後、二カ月経って、ようやく家事が出来るようになったのでした。
娘が生まれて3ヶ月が過ぎようとしていました。
ある日、それまで娘と一緒に寝起きしていた1階の和室ではなく、2階の自分の部屋で娘と寝てみようと思ったのです。
その方が、自分自身も落ち着いてゆっくり眠れるのではないかなと、勝手な想像をしたのです。
ところが、娘は見たことのない部屋が嫌だったのか、更に夜泣きがひどくなってしまいました。
ミルクを飲んでお腹がいっぱいになっても、おむつを取り替えてさっぱりしていても、とにかく寝付いてくれないのです。
布団も、着替えも、夜に必要なミルクやおむつといった必要な物全てを2階に持って来てしまったので、今更1階に戻して1階で寝る、という気持ちにもなれませんでした。
結局、一晩中、寝たのかどうなのかも分からない状態で過ごした私は、翌日もうすっかり日が高くなってから目を覚ましたのです。
そして娘を抱いて慎重に階段を降りながら、やっぱり1階で寝た方が階段の上り下りがなくて安心だと思う有様でした。
当然、両親はもう起きていました。
いつもは何も言わない母も、さすがに今日は「起きるのが遅すぎる」と、言ってくるだろうと覚悟してリビングに行きました。
すると、両親は、私たち二人には視線を向けず
テレビにくぎ付けになっていたのです。
あの日見た9.11の映像
やっと、ひと言絞り出すように
「これ…」と、父も母も全くの無表情で、テレビ画面を指さすのです。
そこには、「テロ」という文字とともに、米国の世界貿易センタービルにジェット機が衝突する映像や、倒壊するビルから噴出されるすさまじい粉塵、そこから身を守ろうと逃げまどう人々の姿が、繰り返し映し出されていたのです。
私は目覚めたばかりの娘を胸に抱き留め、ゆらゆらと優しいリズムであやしながら、どうにかして心を平静に保とうとしました。
けれども、次々と目に飛び込んでくる映像が、あまりにも自分の理解を越えるものばかりで、どうか私の今の心の衝撃が、幼い娘に伝わりませんようにと、願うばかりでした。
後で、時系列を確認すると、前日の夜遅くに事件の速報は既に出ていたのでした。ただ私も両親も娘の生活リズムを優先して、夜は静かに過ごすようにしていたので、翌朝のニュースを見て仰天したということだったのです。
そして、ここからアフガニスタン紛争が起こり、対テロ戦争が起きていき、世界は一気に不穏な空気に包まれていったのです。
娘は、なんという時代に生まれてきてしまったのだろうか。
当時の私は、ただただ、茫然とすることしかできませんでした。
自分自身が幼い頃に聞かされた、戦争の悲惨さが現実生活に迫りくるものとして感じられてしまったのです。
私の両親は子どもの頃に第二次世界大戦を経験しています。
ですから私は幼い頃、よく戦争の話を聞かされたものでした。
父は東京大空襲に遭い焼け野原のなかを生き延びました。
母も何度も空襲に遭い家も思い出の品も全て失いました。
自分だったらとても耐えられないような当時の話を聞かされ、戦争のない平和な時代に生まれてきた自分は幸せだと思ったものでした。
だからでしょうか、娘のこれからの日々に、明るい未来を描くことが出来なくなってしまったのです。
父や母のように、戦争によって言葉では表現しきれないほどの痛みや苦しみ、そして深い哀しみを経験をしてきた人たちがたくさんいました。
そこから必死に生活を立て直してきた時代があって、私は平和を享受して成長してきました。
だからこそ、いつの日かきっと、日本だけでなく世界中が平和で安心して暮らしていける時代が来るものだと、漠然と思っていたのです。
けれども安心して暮らせる世の中を、私は娘に残していけないかもしれない。そんな底知れぬ恐ろしさに襲われたのです。
ただのひとりの母親にしか過ぎない
何の取柄もない私にできることなんて何もない。
そんな思いで、あきらめて過ごすしことしかできませんでした。
子どもたちが教えてくれたこと
やがて娘が成長し、公園で遊び始めた頃のこと。
まだ満足におしゃべりも出来ないほど幼い年頃の子どもたちが、一緒になって遊ぶ姿をぼんやりと眺めていました。
言葉はなくても何となくお互いに思いは通じているのか、自分のおもちゃを貸してあげたり、相手のおもちゃを借りたり、時には取り合ったりしながらも、みんな仲良く砂場遊びに熱中していたのです。
実を言うと私は、娘が生まれるまでは、子どもが苦手でした。
声が大きく騒がしくて、すぐに泣きだして、言う事を聞かない。
そんな先入観にとらわれて、出来る事なら関わりたくないとさえ思っていたのです。
ところが、自分の娘が生まれ他のお子さんたちと関わり始めた頃、私自身もたくさんの子どもたちと触れ合う機会が増えていき、そんな思いはあっさりと消え去ったのです。
小さな身体にあふれるエネルギーを「今、ここに生きているんだよ!」と、喜びを発散するかのような姿を見て、私は何度、元気をもらったことでしょう。
子どもたちは、本当にかわいらしく、どの子もどの子も、ただただ愛おしい存在なのだと、思えるようになっていたのです。
その時、思いました。
私と同じようなことを感じているお母さんは
世界中にたくさんいるんじゃないかなと。
ぼんやりと考えていると、自然と行ったことも見たこともない地球の裏側にいる子どもたちが、無邪気に遊んでいる姿が、目に浮かんできたのです。
そんな子どもたちを優しく見守るお母さんたちが、今この時も、きっと、世界のあちらこちらにいるんだろうなと思えてきたのです。
そういった子どもたち、お母さんたちのように、私たちは、ほんとうは誰もが愛されて育まれて、命を繋いできているんだなと、そんなことを想像しながら目の前の子どもたちの姿を見ていると、とてもあたたかな気持ちになったのです。
その時、何の取柄もないわけではないよと
背中を押されたように感じたのです。
自分は母親であるということに、ほんの少しだけ、自信のようなものが芽生えたのです。
どうか、世界中の子どもたちが、幸せでありますようにと
私は、自然と心の中で手を合わせていました。
そんな思いになる一方で、その頃の私は、事あるごとに、あの倒壊するビルの映像が脳裏に浮かんで離れませんでした。
あの日、あの瞬間、私は心の中で「どうか私の子どもだけは幸せでありますように」と、とっさに祈っていたのです。
そのことに、私は何年も心が引っかかったままでいました。
そして、この時ようやく、自分の子どもだけが幸せになる事は、あり得ないのだと気づいたのです。
ここにいる子どもたち皆が、幸せだと思える世の中でなくては、本当の幸せとは言えないのだと。
一緒に遊んでいる友だちが、泣いていたとして、そのことに娘が無関心でいても良いとは思わないし、自分ひとりが良ければいいというような、身勝手な心の持ち主になって欲しくありません。
娘には、ひとの心の痛みの分かる、困っている人がいたら手を差し伸べる優しい人になって欲しいと思うからです。
娘にとって、ほんとうの幸せは、周りのお友だち、その家族、そして住んでいる地域や社会…。どれもみんな繋がっていて無関係ではないのです。
では、自分のいる国だけ平和なら、それでいいのでしょうか。
たとえ離れた国にいる子どもだからと、見過ごして構わないとは思えないのです。
私が書く理由
命の危険に怯え涙することなく、笑顔で生きていける世界を子どもたちに手渡したい。
そんな思いが私の中からあふれて来たのです。
幼い頃「みんな仲良くするのよ」と言われて育った、そのままに、子どもたちが笑顔で、お互いに手を取り合って生きていけたら、どんなにか素晴らしいことでしょう。
それが現実になるために、私に出来る事をやっていこうと思いました。
それは、プラカードを掲げてデモをすることではありません。
誰かを批判したり否定することでもありません。
娘が私の元に生まれて来てくれて、これまでたくさんの喜びをもらいました。そこには自分ひとりでは知ることの出来なかった大切なことも沢山あったのです。
そこで感じたこと、気づいたこと、学んだことを丁寧に言葉にして残していきたいと思いました。
それを語ることは意味のある事だと思えたのです。
ひとりの母親として。
できることは、そう多くはないかもしれません。
けれども、娘の存在が、一歩を踏み出す勇気をくれました。
過去の私のように、未来に希望を見いだせない思いを持っている方に、何か少しでも役に立てることがあるかもしれない。
それを一歩一歩、積み重ねていこう。
これが、私が言葉を綴る原点になっています。
noteの世界で出会う皆さまとのご縁にいつも感謝しております。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
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