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鉄棒:蹴上り

人は再現性のない話を
信じるだろうか?
 
これは14歳の時の
話である。

時代はドラクエ3が
発売された年だ。

そう言えば、
分かるだろうか?
 
もうだいぶ昔だ。
かなり色褪せた
思い出だ。

当時、体育の授業で、
蹴上りがあった。

新体操の選手が
最初にやる基本技だ。

課題として出された。
中二体操の難題だ。

インスタグラムからソマリ嬢が出張

当時、当方は
運動神経がよくて、
蹴上りはすぐできた。

そして誰よりも、
見事に蹴上りした。

クラスの男子で、
ちょっとしたブームとなり、
昼休みや授業の間の休憩時間、
校庭に集まって皆でやった。

最初、
できない者が多かったが、
当方が教えて、
クラスの男子が全員、
できるようになった。

他のクラスでそんな事は
起きていない。
ちょっとした快挙だった。

14歳当時、
大車輪もできたし、
前宙、バク転、側転、
何でもできた。
走れば学年3位だ。
腕相撲も負けない。

中学で運動が強い子は、
圧倒的に影響力がある。

自然、クラスの
女子とも話した。

当方は考えた。
ウチのクラスの女子も
できるのではないかと。

女子の課題ではない。
当時、体育は男女合同だった。
男子の課題は見ている。

それでも当方が、
テスト的に何人か教えたら、
すぐにできた。

逆上がりもできない子が、
蹴上りができるようになった。

ブームに火がついた。
後は勝手に教え合い、
気が付いたらクラスの女子も、
半分以上が蹴上りが
できるようになった。

異常な事態だった。
隣のクラスの男子は、
半分もできない。

ここまでくると、
クラス全員を狙う。

だが難関がいた。
かなり太った女子がいたのだ。
彼女は鉄棒なんかやらない。

一計を案じた。
彼女には嫌いな女子がいた。
かなり痩せて背が低い子だ。

この二人は対立していた。
当方はこの痩せている子から、
蹴上りを教えた。

かなり苦戦したが、
二週間後にはできる
ようになった。

噂は広まった。
かなり太った女子は、
衝撃を受けていた。

あいつはできない
と思っていたのだろう。

だができてしまった。
彼女だけ取り残される。

頃合いを見て、
当方から話し掛けた。

彼女は乗った。
同じ二週間でやると言った。

よし。
本人が乗れば、
半分勝ったようなものだ。

当方はそう考えた。
だがやはり困難だった。

逆上がりはできる
ようになった。

だが蹴上りは、
形にさえならない。

体重があり過ぎた。
だが蹴上りは、
反動とバランスである。
不可能ではない。

力なんか全く要らない。
完璧な蹴上りは、
風に舞う木の葉のように、
ふわりと浮き上がる。

それこそ、
魔女の箒のようだ。
重力に逆らえ。
空も飛べる筈。

何度も手本を見せるうちに、
イメージが掴めたのか、
彼女はやり始めた。

それはふとした弾みだった。
当方がよそ見していた時、
彼女は蹴上りを成功させた。

肝心の瞬間を見ていない。
だが鉄棒に登った状態で、
明らかに静止している。
彼女は快哉を叫んだ。

当方もこれはできたと
信じた。その後、
彼女は何度か挑んだが、
その日はできなかった。

だが一回できたという
感覚は掴んだようで、
彼女は明らかに自信に
満ちていた。

体育の課題当日、
明らかに学校全体が、
期待に満ちていた。

先生たちも知っていた。
だからわざわざ見に来た
他の先生もいた。

クラスの男子全員は、
楽勝だった。
毎日やっていたから、
皆、上手い。

だが当方だけ、
新体操の選手並と言われた。
魔法のように自然に飛ぶ。

男子が全員終わった時点で、
体育の先生は言った。

20年教員生活をしているが、
全員できたクラスは
これが初めてだと。
お前が教えたのか?

いやいや、先生、
まだ女子がいますよ?

女子も半分以上できた。
これも前例がなかった。
下手な男子よりできた。

痩せて背が低い子はできた。
そして真打登場である。
かなり太った子が、
自信がある様子で、
鉄棒に向かった時、
明らかに人々は驚いた。
まさか彼女も?と

あの日

一回目、失敗した。
だが形が見える。

二回目、惜しい。
途中で失速した。

三回目、失敗。
焦りが見えた。

それから何回、
チャレンジしたか、
分からない。
 
皆、見ていた。
明らかに彼女は、
確信を持って、
取り組んでいた。
 
できるという感覚は、
皆にも伝わった。

結局、先生が、
もういい、十分だと
止めに入った。
 
彼女は悔しそうだった。
本番でもできると
考えていたようだった。

再現性はなかったが、
彼女も蹴上りをできた
のだろうと皆思った。
誰も見ていないが、
信じたのだ。
 
それは第三者検証性のない
証明みたいなもので、
信じるしかない世界の話だ。
 
だが誰も彼女ができないと
思わなかった。
あそこまで取り組むには、
理由があるのだろうと、
思ったのだ。
 
だが人生に、
再現性とか、証明とか、
本当に必要なのだろうか?

本人が信じる事、
できた思う事は、
他の人に伝わらなくても、
意味はある。

なぜならば、
意味を決めるのは、
自分だからだ。
他者ではない。
 
再現性とか証明は、
他者との競争で、
必要なものだ。
社会的証明だ。

ビジネスとか、
学問とか、
そっちの話だ。

だが人生は、
他者との競争ではない。
自分との競争だ。
つまり、修行だ。

何でこんな話を
しているのか?
 
幽体離脱の話を、
したかったからである。
 
当方はできない。
だができたらいいなと、
昔から思っている。
 
夜、寝て見る夢で、
自分の魂は掴みかけている。
 
覚醒状態でも、
肉体から魂を、
意識的に出せたら、
どれほど自由だろう。
霊になって、自由に飛びたい。
 
約2300年前、アリストテレスの
『Περὶ Ψυχῆς(霊魂論)』でも
ψυχή(魂)はσῶμα(肉体)から
χωριστός(切り離された、独立した)
ものとして扱われている。
 
『神々の指紋』で有名な
グラハム・ハンコックではないが、
冷蔵庫の漏電で、ぶっ飛ばされて、
強制的に、肉体から魂が放り出された
経験とか、事故でもあるといい。
本質を掴む切っ掛けになる。
 
人間は本当は、
もっと自由な存在で、
霊が本質だ。 
肉体ではない。
 
肉体的な束縛から
逃れた時、
魔女の箒のように、
自由に空が飛べる。
 
夜寝て見る
夢の中であれば、
空も飛べるのだ。
 
覚醒状態で、
現実でも空を飛びたい。
できる筈。
 
それこそ一回でも
できれば、
何度でもトライするだろう。
 
再現性はなくても、
一回でもできれば、
人は追い掛けるからだ。
それこそ夢であるけど。
 
アンチエイジング瞑想で、 
白髪を黒髪に変えるよりは、
遥かに難しい事であるけど。

木の下で安らうアメリカンショートヘア

以上

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