九九は暗唱するものだと、ずっと思っていた 〜数に形が見えた日、カズモンは生まれた〜
九九が苦手な子どもは、決して少なくない。
何度も唱えているのに、次の日にはもうあやしい。
昨日は言えたはずなのに、今日は途中で止まってしまう。
そのたびに私は、同じ言葉の前で立ち止まっていた。
「もっと練習しよう」
そう言ってしまえば、話は早いのかもしれない。
けれど、その一言を私は、どうしても口にしたくなかった。
言えばきっと、あの子は頷く。頷いて、また唱える。そして、また忘れる。その繰り返しの先に何があるのか、私には分からなかった。
塾講師として、暗唱に頼らない教え方も、いろいろ試してきた。
7×6なら、7×5に7を足せばいい。
仕組みから答えにたどり着くやり方だ。
それで進める子もいる。
理解を足場にして、少しずつ先へ行ける子もいる。
でも、全員がそうではない。
テストには時間がある。
筋道をたどる方法は正しくても、本番では、その道を毎回ゆっくり歩いていられない。
結局、九九は、どこかで暗唱にたどり着いてしまう。
私は何度も、その現実に引き戻されてきた。
そんな思いを抱えたまま、私は別の教材を作っていた。
中学生向けの、素因数分解のドリルだった。
12を見たら、2×2×3。
18を見たら、2×3×3。
数を見た瞬間に、その中身が浮かぶようになれば、数学はもっと楽になる。
そう信じていた。
ところが、数字だけを並べたプリントの前で、生徒の手は止まった。
繰り返せば速くなるはずだ、と最初は思っていた。
でも、何度やっても、何かが動き出す感じがない。
時間だけが過ぎていく。
このままではだめだ。
生徒が一歩だけ前へ進める、手がかりがほしい。
そこで、数字をただ一列に並べるのではなく、並べ方そのものをヒントにしてみることにした。
同じ数は縦に積み、違う数は横に並べる。
ただ、それだけの工夫だった。
試行錯誤の末にできあがったプリントを、私は机の上に置いた。
そして、何気なく眺めた。

あれ。
……数に、形がある。
その瞬間、見え方が変わった。
2と3と5と7。
素数たちの並び方で、数はそれぞれ違う姿になる。
12には12の形が、18には18の形がある。
だったら、100にも、1000にも、きっとその数だけの形がある。
数が無限にあるなら、形もまた、無限にあるのではないか。
試しに、色を塗ってみた。
2は赤。
3は青。
5は黄。
7は緑。
すると、さっきまでただの数字だったものたちが、急に別々の顔を持ちはじめた。

後から思えば、それは素因数分解の性質そのものだったのだろう。
すべての正の整数は、素数の積として、順番を除けば一通りに決まる。
だから、色と形まで含めれば、同じ姿の数はひとつとしてない。
でも、あのとき私に見えていたのは、そんな理屈ではなかった。
数に、ひとつひとつ個性がある。
ただ、そのことに、ぞっとするほど驚いていた。
私は、しばらく黙って図を眺めていた。
そして、思った。
それぞれの数に個性があるなら、
数字は、キャラクターになれるのではないか。
そう思った瞬間、頭の中で数字たちが動き出した。
子どもたちが夢中になるモンスターのように、数字もまた、集めたくなったり、見分けたくなったり、好きになったりする存在になれるのではないか。
数のモンスター。だから、カズモン。
こうして、カズモンは生まれた。
もともとこれは、中学生の素因数分解のための工夫だった。
けれど、眺めているうちに、ふと気づいた。
これは九九の学習にもつながるのではないか。
私は、九九の答えを小さい順に並べて、色を塗ってみた。
すると、そこに見えてきたのは、ただの答えの一覧ではなかった。

これは、九九表だ。
一見すると、九九表には見えない。
でも、たしかに九九表だった。
たとえば、4×5。
4は2×2で、5は5。
赤いブロックが二つと、黄色いブロックが一つ。
合わせれば、2×2×5。
答えは、20になる。
数字そのものを見なくても、色と形の中に、その数の気配が残っている。
ただの暗記ではなく、数の姿として、九九を眺めることができるかもしれない。
もしかしたら、毎日少しずつ見ているだけでもいいのではないか。
子どもたちの頭の中に、数のイメージが静かに住みついていくのではないか。
そう思って、オンライン家庭教師の授業でも試してみた。
数字を隠して、色と形だけを見せる。
そして、それが何の数かを言ってもらう。
時間は測る。でも、競争ではない。
「速くやらなくていいよ。マイペースでいいよ」
そう声をかけながら続けていくと、子どもたちは少しずつ、その図に慣れていった。
正解することよりも、見つけることに。
焦ることよりも、数の姿を読むことに。
そして、気がつくと、タイムは少しずつ縮んでいた。
だれかと比べたわけではない。ただ、その子のなかで、数との距離が縮まっていた。その変化が、私は、うれしかった。
九九で苦しんでいた子どもたちが、ただ唱えるだけではなく、数を眺められるようになるかもしれない。
数を、怖いものではなく、顔のあるものとして受け取れるかもしれない。
けれど、それでもまだ、これは「お勉強」なのだと思う。
私は、もっと遊びに近づけたい。
カードにしたらどうだろう。
集めたり、並べたり、交換したりできたら、どうだろう。
数たちが、それぞれの顔を持ったまま、子どもたちの手の中で動き出したら、きっと、おもしろい。
勉強として向き合う前に、遊びの中で、いつのまにか数が身近なものになっている。そんな入り口が作れたらいい。
数を覚える前に、数を見る。
数を解く前に、数で遊ぶ。
いつか子どもたちが、計算しているつもりもないまま、遊びの中で自然に数と親しくなっていく。
その入口に、カズモンがなれたらいい。
そう思っている。
カズモンの物語は、まだ始まったばかりだ。

