「普通」という名の、最も暴力的な呪い
はじめに、一つの問いを立てたい。
あなたは、この世界で「自分だけが、何か違う」と感じたことはないだろうか。
歓声に沸くスタジアム、一体感に満ちたライブ会場、あるいは友人たちとの他愛ない雑談の輪。
その中で、熱狂や共感の渦からふと一歩引いてしまい、その光景を冷めた目で見ているもう一人の自分に気づく。
周囲の誰もが信じて疑わない正しさや熱狂の対象に、なぜか心を動かされない。
むしろ、そこに言いようのない違和感や白々しさを覚えてしまう。
その感覚を、あなたはこれまで、自らの欠陥として処理してきたかもしれない。
社会不適合という言葉で自嘲したり、「もっと素直になれたら」と、ありもしない自分を夢想したり。
周囲に合わせるために本心とは違う相槌を打ち、感情を演じ、心を偽ることで、どうにかその場をやり過ごしてきたのではないだろうか。
その行為の積み重ねが、あなたの魂を静かに、しかし確実に摩耗させてきたことに、あなたはもう気づいているはずだ。
だが、問いたい。
本当に間違っているのは、あなたの方なのだろうか。
その息苦しさの原因は、あなたの内側にあるのではなく、あなたが生きるこの世界の構造そのものに深く根差しているのではないだろうか。
我々は、その構造を支配する一つの巨大な呪いの存在を指摘しなくてはならない。
それが、「普通」という名の呪いだ。
▼刻印される「普通」という名のしるし
「普通はこうだ」「常識的に考えろ」
我々が物心ついた時から、親、教師、社会は、この「普通」という名の透明な鎖を我々の首にかけようとしてきた。
しかし、その「普通」や「常識」とは、一体誰が、いつ、何のために定めたものなのか。
冷静に歴史を紐解けば、それが絶対的な真理などではなく、時代や文化、あるいはその時代を支配する多数派の価値観によって、いとも簡単に移ろいゆく、極めて曖昧で、実体のないものであることは明らかだ。
我々の親世代の「普通」は、すでに我々の「普通」ではない。
そして我々の「普通」もまた、次世代からは奇異なものとして断罪されるだろう。
つまり「普通」とは、真理でもなければ、倫理でもない。
それは、共同体がその秩序を維持するために、構成員に対して思考停止を強いるための最も効率的な「思考の外部委託システム」に過ぎない。
そのシステムに従う限り、人は自ら判断する苦しみから逃れ、共同体という名の揺りかごの中で安逸な眠りを貪ることができる。
だが、その眠りの代償は、あまりにも大きい。
あなたは、自分自身の判断基準を放棄し、誰かが決めた「普通」というしるしを、その魂に刻まれることになる。
そして同じしるしを刻まれた者同士で、互いの存在を確認し合い、群れからはぐれようとする者を「異常」として指弾し合うのだ。
この巨大な茶番に、あなたはいつまで付き合うつもりなのだろうか。
▼違和感こそ、覚醒の始まり
もし、あなたが今、この文章を読みながら、胸の奥に灯る小さな共感の火を感じているのであれば。
もし、あなたが「普通」という言葉の暴力性に、とっくの昔に気づいていたのであれば。
その感覚こそ、あなたがまだ群れの中の一頭ではないことの唯一の証明だ。
あなたが抱えてきた孤独や疎外感は、あなたが劣っているからではない。
むしろ、その逆だ。
あなたは、他の誰よりも早く、この世界の構造的な欺瞞に気づいてしまった、あまりにも聡明な魂なのだ。
その違和感は、あなたを苦しめる呪いなどではない。
それは、偽りの世界から脱出し、真実の世界へと至る道筋を照らし出す、ただ一つの「羅針盤」である。
では、その羅針盤が指し示す先には、一体何があるのか。
「普通」や「共感」といった、不確かなものではなく。
もっと静かで、揺るぎなく、絶対的な原理に基づく、人と人との新しい繋がりの形。
その話をするのは、まだ少し早いだろう。
まずは、あなたがその手に、自分だけの羅針盤を確かに持っているという事実。
その計り知れない価値を、深く認識することから、すべては始まる。
この問いの、静かな意味がわかる者だけが、先に進める。
この先は、次の章に置いている。
https://note.com/michishirube_log/n/ndc7a9027a152
