人を呪わば穴二つ、の本当の意味
昔の人は「人を呪わば穴ふたつ」と言いました。ある意味では、今も正しいと思います。
人を呪うということは、相手を傷つけるための行為のように見えます。
しかし実際に消費されているのは、自分の時間と心です。
貴重な時間を使って相手のことを考え、頭の中で何度も同じ場面を再生し、わざわざ不快な気持ちになる。考えてみればこれはかなり理不尽なことです。
こちらが損をしているのに、相手は何も知らない。
そのくせ、こちらがいやな思いをしているあいだに、相手は笑っていたり、おいしいものを食べていたりするかもしれません。
実際問題、こちらが嫌な思いをしようが、相手にはわかりようがないうえに関係がないからです。
相手に対してマイナスの感情を持つ時点で、それはすでに呪詛です。
そして腹立たしいことに、その呪詛は相手ではなく、自分自身に向かっています。
わざわざ不快なものを自分から思い出しているわけですから。
相手の名前を思い浮かべているつもりでも、実際には不快さ、怒り、悔しさを実際に引き受けているのは自分の脳と体です。
人を呪うとできる穴はふたつあると言われますが、先に傷ついてしまうのはたいてい自分のほうです。
ちなみに、相手に対する復讐心もやり方を間違えると、呪詛となります。
記事の後半では相手に対する復讐心を上手に活かしていく方法について解説をしていきます。
呪詛って、想像以上の対価を思ってもいない形で持ってかれるんですよ。
— 汀彬良(ミギワアキラ) (@migiwaakira) August 28, 2026
この世は等価交換なので呪いも願いも等しく対価を支払わないといけないです。
願いを叶えるために1番反動が少ない対価は努力です。…
呪詛は、自分への言葉になる
人を呪うとき、私たちは相手に言葉を投げているつもりです。
頭の中で相手の顔を思い浮かべ、相手の欠点を数え、相手の価値を下げようとします。
しかしその言葉は、相手の耳には届いていません。
届いているのは、自分の心にだけです。
呪詛が厄介なのは、攻撃の向きと、実際に傷つく場所がずれることです。
相手を貶めているつもりでも、その言葉を一番長く聞いているのは自分です。
だから呪詛は、相手にかける行為ではなく、自己暗示となります。
相手に対して「不幸になれ」と思った瞬間に自分に対して呪詛をかけているわけです。
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