『SとX』を観て考えたこと。最終話|見えているものだけが、その人のすべてじゃない
『SとX』を最終話まで観ました。
7話を観終わった今、改めて1話から振り返ってみると、この作品を観ながら自分が考えていたことが、少しずつ一本につながってきました。
1話では、コンプレックス。
2話では、推し活。
3話では、相手から見た自分。
4話では、自分の認知のクセ。
5話では、「普通」という世間の正解。
6話では、自己完結せずに対話すること。
そして最終話で、僕が一番強く残ったのは、
「僕たちは、見えているものだけで相手を判断してしまっていないだろうか」
ということでした。
見えているのは、ほんの一部分
人間って、不思議ですよね。
誰かが怒っている。
誰かが黙っている。
誰かが距離を取っている。
誰かが笑っている。
誰かが泣いている。
僕たちは、その「見えているもの」から、その人の気持ちを想像します。
でも、
怒っているように見えて、本当は悲しいのかもしれない。
黙っているように見えて、本当は何を言えばいいか分からないのかもしれない。
距離を取っているように見えて、本当は大切だからこそ怖くなっているのかもしれない。
笑っているけれど、本当は無理をしているのかもしれない。
つまり、
僕たちが見ているのは、その人の「行動」であって、その人の「内側」そのものではない。
ここを忘れてはいけないんじゃないかと思いました。
「返信がない」だけなのに
例えば、好きな人から返信が来ない。
僕たちは、
「忙しいのかな」
とも考えられるし、
「嫌われたのかな」
とも考えられる。
「何かあったのかな」
とも考えられるし、
「もう興味がないのかな」
とも考えられる。
起きている事実は、
「まだ返信がない」
ただそれだけ。
なのに僕たちは、その先に物語を作ってしまう。
そして、その物語を事実だと思ってしまう。
4話で「認知のクセ」について考えましたが、まさにここにもつながっています。
人間は、
事実 → 解釈 → 感情 → 行動
という流れで動くことがあります。
だから、最初の「解釈」を間違えると、その後の感情も行動も大きく変わってしまう。
相手のことを「分かったつもり」にならない
これは恋愛だけじゃありません。
家族にも。
友達にも。
仕事仲間にも。
そして、自分自身にも言えることだと思います。
「あの人は冷たい」
「あの人は自分勝手」
「あの人は何も考えていない」
「あの人は自分のことなんて大切にしていない」
そう思ったとき、
本当にそうなのか。
それとも、
自分から見えている一部分を、相手の全部だと思っているだけなのか。
一度立ち止まってみる。
もちろん、相手の行動によって傷つくことはあります。
何でも好意的に解釈する必要もありません。
嫌なことをされたら、
「でも本当は優しい人なのかもしれない」
と無理に納得する必要もない。
大切なのは、
「起きたこと」と「その人そのもの」を分けて考えること。
その人が一度、自分を傷つけた。
これは事実。
でも、
「だから、この人は僕を大切にしていない人間だ」
まで決めるには、まだ情報が足りないかもしれない。
人間には「見えない時間」がある
僕たちが誰かと一緒にいる時間なんて、その人の人生のほんの一部です。
自分と会っていない時間。
一人で悩んでいる時間。
過去に傷ついた時間。
誰にも言えなかった時間。
自分でも整理できていない感情。
そういうものを、僕たちは全部見ることができない。
だから、
「この人のことは分かった」
と思った瞬間から、少しずつ相手が見えなくなるのかもしれません。
「この人はこういう人だから」
と決めてしまえば、もう新しい情報を受け取る必要がなくなるからです。
でも人間って、そんなに単純じゃない。
昨日と今日でも違う。
嬉しい日と辛い日でも違う。
安心しているときと、追い詰められているときでも違う。
だからこそ、
「分かった」ではなく、「分かろうとする」
という姿勢を持ち続けたい。
愛することは、想像することでもある
ここまで『SとX』を観てきて、僕は「愛する」ということについても少し考え方が変わりました。
愛するって、
相手のことを全部理解することではない。
むしろ、
理解できない部分があることを知った上で、それでも理解しようとすること
なのかもしれない。
「あなたはこういう人」
と決めつけるのではなく、
「今、あなたの中では何が起きているんだろう?」
と考える。
そして、自分の想像だけで終わらせず、
「どうしたの?」
「本当はどう感じてた?」
「僕にはこう見えたけど、合ってる?」
と聞いてみる。
分からなければ、
「分からないから教えて」
と言う。
それでも分からないことは、きっとある。
でも、
分からないままでも、分かろうとする。
僕は、それが人と深く関わるということなのかもしれないと思いました。
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『SとX』を観終わって
最初は、セックスセラピストの物語だから観てみようと思いました。
でも、最終話まで観てみると、
僕が考えさせられたのは、セックスのことだけではありませんでした。
むしろ、
「人はどうやって、自分と他人を理解していくのか」
という話だったように感じています。
コンプレックスも。
推し活も。
恋愛も。
嫉妬も。
傷つくことも。
「普通」という価値観も。
喧嘩も。
対話も。
全部、
「自分は何を感じているのか」
「相手には何が見えているのか」
というところにつながっている。
そして、人間関係が難しいのは、
自分にも見えていない部分があり、
相手にも見えていない部分があるからなのかもしれません。
だからこそ、
自分の解釈を疑ってみる。
世間の「普通」を疑ってみる。
自己完結せずに聞いてみる。
相手を決めつけない。
そして、
見えているものの向こう側に、まだ何かあるかもしれないと思っておく。
それだけでも、人との関係は少し穏やかになるんじゃないかと思います。
そして、7話を観終わった僕の中に、
一つの疑問が残りました。
もし、
「一緒にいることで、自分のことを少しずつ理解できるようになる」
そんな相手がいたら。
もし、
「相手のことを決めつけるのではなく、一緒に考え続けられる」
そんな二人になれたら。
それって、ものすごく強い関係なんじゃないだろうか。
僕はここから、
「セラピーし合えるパートナーが最強なんじゃないか」
ということについて、もう少し考えてみたいと思います。

