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『阿修羅のごとく』を観て、妹と私は違う母に育てられたのだと思った。




家族は、同じ家に住んでいても、同じ家族を見ていない。

『阿修羅のごとく』を観ながら、ずっとそれを考えていた。



四人の姉妹が、父の不倫に気づいて大騒ぎする。

問い詰める。泣く。黙る。それぞれのやり方で荒れる。

娘たちの傷は、よく見える。

でも、最後にわかる。

一番前から知っていたのは、母だった。

何も言わず、誰にも相談せず、新聞の投書欄にだけ、名前を出さずに気持ちを吐いていた。

娘たちが大騒ぎしているあいだ、母はもう何年も前から、ひとりでその重さを持っていた。

これ、知ってる。

うちの母も、そういう人だった。

傷ついていた人が、いちばん静かな場所にいた。



同じ家。

同じ食卓。

同じ父。

なのに、四人の娘は違うものを受け取って育った。

長女は長女の分だけ。

末っ子は末っ子の分だけ。

わたしには、年子の妹がいる。

たった一年しか違わない。

言い訳ができないくらい、近い年齢だった。

なのに、母から受け取ったものは同じじゃなかった。

わたしは長女として、先に期待を受け取った。

妹には、妹の順番で渡されたものがあった。

年が近いから、同じように育てられたはずだと思っていた。

大人になってから、妹と話して初めて知った。

妹が見ていた母は、わたしが見ていた母と別人だった。

一年しか違わないのに。

同じ家に、同じ時期にいたのに。



家族は、同じ家に住んでいても、同じ家族を見ていない。

同じ出来事の中で、それぞれが違う役を生きている。

娘は娘の孤独を。

母は母の孤独を。

誰も、隣にいる人の孤独までは見えていない。

妹には、今のわたしがどう見えているんだろう。

一年しか違わない人のことも、わたしはまだ、全部は知らない。


#Netflix感想文

妹について、以前こんな話も書きました。
▶︎短編エッセイ|妹は、私を姉にしてしまう

▶︎妹とは違う、私から見えていた母のこと。

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