文学フリマ東京42 新刊試し読み
文学フリマ東京の新刊を入稿しました~~!🙌🙌
と思ったらスペースナンバーもでてましたね。
詳細はまた改めてお知らせしますが、南1・2ホール(アルファベットのほう)のN-12でスペースいただけました。
掌編・ショートショートスペースに座っております。

そしてそして。
今回の文学フリマ東京は新刊が!ある!のです!
新刊「さようならを召しあがれ」

「さようなら」と「ご飯」をテーマにした短編集です。
例えば引っ越すとき、友人との同居生活を解消するとき、髪の毛を切るとき、家族が亡くなるとき、人外をやめるとき。
何かと「さようなら」した人たちが「さようなら」を噛み締めつつ食事をするような短編集。
もちろんハッピーエンド保証です。
下記にそのうちの一本をサンプルとして載せておきます。
こんな感じの長さの(少し長めのお話もありますが)お話、8本詰め合わせセット。
ページ数は104ページになります。
食べることが好きな人、ショートショートがお好きな人、お気軽にお越しくださいませ~。
新刊の試し読み

「髪の毛、本当に切っちゃっていいんですか」
美容師は遠慮がちにそう言って、そのくせ嬉しそうに私の髪の毛をじっと見つめた。
時の流れは不可逆的で、前に進んでしまえば後には戻れない。覆水盆にかえらずだ。
髪にハサミが当てられた瞬間、私はそんなことをぼんやりと考える。
目前の鏡には、腰まで届くストレートの髪が存在している。でもそれは今、この瞬間までのこと。物心ついた頃から長かった髪は、はさみの音とともに私から失われていく。
胸の奥がきゅうっと痛くなったのはその一瞬だけだ。
自分でも驚くくらい冷静に私は鏡に映る姿を見つめ続ける。
外は真っ暗、店内は真っ白。流れる洋楽とハサミのリズミカルな音。
そんな場所でケープにくるまれて座る私は、まるで調理される食材のようだった。
「……さっき、ちょっと嬉しそうでしたね」
「さっき?」
「髪をみじかく切ってくださいって言ったとき」
右へ左へ動き回る美容師は、私の言葉を聞いて照れるように笑った。
「いやあ。やっぱ、長い髪を切るってなかなかなくって、ちょっと嬉しいっていうか」
彼はまだ残る右側の髪をそっと持ち上げる……そして、切る。
「綺麗だから余計に」
「サイコパスみたいですよ」
「あれっ。そう聞こえちゃいましたか~」
そう言って笑う彼はまだ若い。それでも初回の客に対して自然に笑えるのは、やはりプロだ。
鏡の中でゆらゆら動く彼の髪の毛が天然なのか、それとも天然に見せかけた人工パーマなのかをぼんやりと考えながら私は無意識のうちに呟く。
「……失恋したんです」
軽く言葉にできたのは、きっと彼が知らない人だからだ。
「で、切ってやろうと思ったんです」
失恋という衝撃を受けた私は、気がつけば見知らぬ駅にいた。
最近はカード一枚でどの駅で降りることもできる。それが逆に良くない。知らない電車に乗って、知らない駅に降りてしまった。
改札のすぐ目の前にあったのがこの美容室だ。私は虫のように引き寄せられ扉を開いていた。
カットのオーダーが通り、椅子に座ると流れるように真っ白なケープがかけられる。
鏡に映る私は、どこか不安げだ。長い髪がいつものように揺れているのがなんとなく気に食わなくて、私はつい言ってしまったのだ。
……切ってください。思い切り。
「失恋して髪を切るとかベタすぎでしょ」
苦笑したつもりなのに、鏡に映る私は真顔だ。美容師は何も答えず、ただ黙々と髪を切る。
鏡の中の私から髪が切り離されて、床にくろぐろとした毛が落ちた。
「まあ、その人がロングヘア好きだから伸ばしたようなものなので」
「お相手のこと、何年好きでした?」
突然、美容師が口を開く。
慰めの言葉でもなければ、励ましの言葉でもない。意外な言葉に私は一瞬口ごもる。
あの人に出会ったのは、入社式。それから1年が経ち、2年が経ち、そして3年目の昨日。
彼は私の同期と婚約した。
「……3年。かな」
彼と未来の約束などしていない。好きだと言われたこともなく、好きだと言った記憶もない。
ただ未来があるような、そんな素振りをお互いにしていただけだ。彼は私の態度に疲れたのかもしれないし、そもそも私は補欠だったのかもしれない。
気がつけば彼は、私とは別の手を取っていた。それだけのことだ。
そのことを知った昨日から、私の中にちりちりとした痛みがある。それは認めたくないけれど、憎しみの痛みだった。
恋に破れヘビになった女の話を聞いたことがある。それを聞いたとき、嫌な女だと思った。次を探せばいいのに。とも。
それなのに、私も今、そんな女になろうとしている。
「じゃあ、この辺かな」
とん、と美容師が私の肩口に手をおいた。その衝撃に、私ははっと顔をあげる。
気がつけば私は、鬼のような顔で鏡を睨んでいた。
「……この辺?」
慌てて表情を戻す。が、美容師は私の表情など気にもしていない風に、髪を持ち上げる。
「ここの髪の毛まで、相手のことを覚えてますよ」
そして彼はそこにハサミを当てた。
ざくり。そんな音とともに、彼の記憶を持つ髪の毛が地面に散っていく。
髪の毛は、のたうつヘビのように床に落ちた。
それを見て、私ははじめて一粒涙をこぼす。
「……やっぱりサイコパスだ」
「ですかね~」
しかし美容師は相変わらずの口調のまま、やはり淡々と髪を切るのである。
やがてハサミの音がぴたりと止まり、私はそっと目を開けた。
そして鏡に映る自分を見て、思わず大きく目を見開く。
「……綺麗」
そこにいる私は、全く知らない女だった。
まるで男の子みたいな、ぱっつりショートカット。少しだけ横髪は残してあるけれど、襟足はバリカンでまで剃られてすっきりしている。
物心ついたときから、髪の毛は肩より下だった。こんなに短い髪型は初めてのことで、軽さとあけすけさにドギマギとする。
戸惑うような表情を浮かべる短髪の女。それは確かに自分自身なのに、まるで知らない……とても綺麗な人だ。と、何故か自然にそう思えた。
私は熱を持った頬を押さえ、美容師を見た。
「あ、変ですよね。自分の顔を綺麗とか」
「綺麗って言ってもらえるとめっちゃ嬉しいっす。すげえ綺麗にしようとして切ってるし」
誘導されて椅子から降りると、床に落ちた髪の毛にぎょっとする。
私はこれほどの髪に覆われて、包まれて生きていたのだ。
昨日まで慈しみながら櫛を通し、オイルを塗って。丁寧に優しくドライヤーをかけてあげていた髪の毛が、今は物のように落ちているのが不思議だった。
同時に、先程まで心に絡みついていた彼という存在が、髪の毛といっしょに消え去っているのも不思議なことだ。
「何か、こんなに綺麗にしてくれてるのに。まっすぐ帰るのが勿体ないです」
「うーん。自分なら、どこ行くかなあ」
会計を済ませコートを羽織る私を待って、美容師が入り口のドアを開けてくれる。
一歩出ると、びゅっと冷たい風が顔を打ち付けた。
強い風が吹いても髪の毛が舞い上がらない。当たり前だけれど、そんなことに驚いてしまう。
「あ、そうだ。僕なら、ラーメン食べに行くかなあ」
「ラーメン?」
「長いと食べにくいでしょ。特に髪にあとつくの嫌がって結ばないくらい、気にする人なら」
長かった頃の癖で思わず肩のあたりに手を伸ばす。が、もうそこに掴むものはない。
「そんなことまで、分かるんですか?」
「分かりますよ。僕、人の心はよく分かんないけど、髪の毛のことは分かるんです」
と、サイコパスな美容師はやはりへらりと、笑ってみせた。
ラーメン屋に行こうと思ったのは、美容師の言葉に惹かれたからではない。
(……寒かったから)
と、自分に言い訳をして、私は美容師が教えてくれた豚骨ラーメン屋の自動ドアを押す。
中に入るとむっと顔を包むような脂の匂い。スープから溢れた脂が店中に充満している。
食券を差し出せば、美容師おすすめのチャーシュー麺があっという間に運ばれてきた。
目の前に置かれたその丼を見て私は思わず、歓声を上げそうになる。
とろりとしたスープの中に、黄色の麺が沈んでいた。上には大きなチャーシューに、半分に切られた味玉。あふれる黄身が、スープに落ちそうで落ちない。絶妙なバランスで揺れている。
上にかけられたネギは新鮮で、切り口までぴかぴかに輝いている。
そっと箸を手に取り、黄色の麺をひと啜り。レンゲを手にして、頭を下げてスープも一口。
その瞬間、私はハッと目を開く。
(……ほんとだ。食べやすい)
頭を下げても、髪の毛は落ちてもこない。邪魔にもならない。そのせいで、余計なことは何も考えられない。世界には私とラーメン、それだけしかない。
(ああ、美味しい)
脂に覆われた豚骨のスープは、ゆっくり食べても冷めそうもない。
熱々のスープを慎重にすすり、もっちりとした麺を噛みしめる。滑らかな麺は、あっという間にお腹の底に沈んでいく。
湯気と一緒に麺もスープも夢中にすすり、私はしみじみと考えた。
思えば、私が好きだった人はラーメンが嫌いな男だった。ラーメンを食べるような不健康な女性は嫌いだと常々公言する人だった。
だから私は、実に3年ぶりにラーメンを口にしたのだ。
口いっぱいにねっとりと広がる脂の味も、鼻をくすぐる濃厚な香りも。そして湯気に顔が撫でられる心地よさも、3年ぶりに味わった。
ラーメンの邪魔をしない髪の毛に感謝をしながら、私は柔らかいチャーシューをがぶりと噛み締める。そしてぎとぎと輝く豚骨スープを思う存分、呑み干してやる。
(美味しいなあ)
そうする間に私から離れていった男と髪の毛のことは白い湯気の中に紛れて消えていく。
さようならで支配されていた頭の中は、気がつけばラーメンの味だけに置き換わっていた。
