🎥『国別映画史』19 南アフリカ
【南アフリカ ― 分断国家と三つのスクリーン(1895-2005)】
南アフリカ映画史は制作本数よりも国家の分断構造を見る章である。
0|制作本数
※長編劇映画(約60分以上)の概算
1910年代(10年合計):数十本
1920年代:年間10~20本
1930年代:年間20本前後
1940年代:年間20~30本
1950年代:年間30本前後
1960年代:年間40本前後
1970年代:年間20~30本
1980年代:年間10~20本
量は中規模。
だが観客と制作主体は制度的に分断されていた。
1|1948年以降 ― アパルトヘイト体制
1948年、アパルトヘイト制度化。
映画は
人種別観客管理
国家検閲
白人向け娯楽作品の安定供給
という構造に置かれる。
国家は映画を管理した。
しかし映画が国家を正面から語ることは多くなかった。
2|三つの代表作
🎬 『ミラクル・ワールド/ブッシュマン(The Gods Must Be Crazy)』(1980)
南アフリカ(+ボツワナ)制作。
文明風刺コメディとして世界的ヒット。
政治性は前景化されない。
だが、
分断国家から“非政治的娯楽”が世界市場へ輸出された
という事実は重い。
なお “ブッシュマン” という呼称は
侮蔑的と受け取られることがあり、
後年のソフトでは『コイサンマン』表記に改められた例もある。
🎬 『遠い夜明け(Cry Freedom)』(1987)
監督:リチャード・アッテンボロー。
スティーヴ・ビコ事件を扱う。
南アフリカ体制批判は、
国外制作という形で可視化された。
この作品が体制を直接変えたとは言えない。
だが、
映画という形式で世界世論に問題を提示した
という点で一定の意味はあった。
映画は外交でも声明でもない。
しかし記憶を固定する装置ではある。
🎬 『ツォツィ(Tsotsi)』(2005)
体制後。
黒人主体の都市物語がアカデミー外国語映画賞受賞。(2006年)
初めて、
内側からの物語が世界的評価を得た。
ここで構造が反転する。
3|結論
南アフリカ映画は
導入は早い
制作量は中規模
しかし国家は分断されていた
その中で、
非政治的輸出ヒット
国外からの批判映画
体制後の内発的物語
という三つのスクリーンが並ぶ。
映画が体制を直接倒すことはない。
だが、
体制の時代を記録し、
世界に可視化する力はある。
南アフリカ編は、その証明の一例である。
