🎥『国別映画史』11 メキシコ
【メキシコ-革命と黄金期、そして越境する映画国家(1896-1960年代)】
メキシコはラテンアメリカで最も早く映画を受容した国の一つである。
そして20世紀前半、世界的に影響力を持つ映画生産国へと成長した。
本章は1896年の初上映から、黄金期、そして1960年代までを扱う。
0|制作本数という前提
※この制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。
制作規模(概算)
1910年代:革命期のため不安定
1920年代:年数十本規模
1930年代:約300本~400本(全期間合計)
1940年代:約600本以上(全期間合計)
1950年代:年間100本超規模(黄金期ピーク)
アメリカやインドほどではないが、
1940年代は世界的にも有数の生産規模となる。
文化的影響力は圧倒的だった。
1|1896年:最初の上映
1896年8月、メキシコシティ。
リュミエール兄弟のシネマトグラフが紹介される。
上映はフランスから派遣された技師によって行われた。
上映は上流階級を中心に受容される。当時の大統領
ポルフィリオ・ディアス
も鑑賞したと記録され、近代化を誇示する象徴でもあった。
映画は最初から政治的文脈を帯びていた。
2|革命国家と映画
1910年、メキシコ革命。
映画は革命を撮影する。
ニュース的記録、戦場の断片、英雄の映像。
革命は映画を記録装置として利用した。
国家は不安定だが、映画はすでに公共的装置だった。
3|音声と国家市場の成立(1930年代)
1931年、メキシコ最初期のトーキーが登場。
スペイン内戦(1936–39)によりスペイン映画産業が弱体化。
ラテンアメリカ市場はメキシコに集中する。
スペイン語圏最大の映画供給国となる。
国家的映画市場が確立する。
4|黄金期(1940年代)
1940年代。
メキシコ映画黄金期。
代表的俳優:
ペドロ・インファンテ・クルス(Pedro Infante)
ホルヘ・ネグレテ(Jorge Negrete)
マリア・フェリックス(María Félix)
ジャンル:
ランチェラ(農村叙情)
メロドラマ
音楽映画
都市犯罪映画
国家アイデンティティを映画が構築する。
農村と都市。伝統と近代。
映画は国民的神話装置となる。
🌟 国家とスター:黄金期の身体
1940年代黄金期を制作本数や市場拡張だけで説明すると、構造の核心を取り逃す。
メキシコ黄金期の中心には、
国家イメージを体現する“身体”
があった。
代表的スター:
ペドロ・インファンテ・クルス(Pedro Infante)
ホルヘ・ネグレテ(Jorge Negrete)
マリア・フェリックス(María Félix)
ドロレス・デル・リオ(Dolores del Río)
彼らは単なる俳優ではない。
革命後の理想的男性像・女性像、農村的誇り、都市的洗練、民族的感情を、
可視化された身体として提示した。
理論国家ではなく身体国家
同時代の国家映画と比較すると構造差が明確になる。
ソ連メキシコモンタージュ理論スターの存在感編集による観念形成身体による感情形成理論国家身体国家
ソ連が革命を編集したのに対し、
メキシコは革命を“演じた”。
スターの姿勢、声、歌、まなざしが国家像を固定した。
音楽映画と大衆文化の結節点
ランチェラ映画は娯楽であると同時に、国家的統合装置でもあった。
歌は:
革命の感情的記憶
農村神話の再演
都市と地方の媒介
を担う。
国家はスターの身体を通して理解された。
スターの身体は風土を背負う
メキシコ黄金期スターの身体は抽象的ではない。
それは
高原の乾いた光
火山の稜線
砂塵の舞う農村
メキシコシティの石畳
を背負っていた。
スターは“演じる”のではない。
風土を持ち込む。
身体が市場を越境する
メキシコ黄金期スターはラテンアメリカ全域で流通した。
スペイン語という共通言語が土台だが、
身体は言語を超える。
歌う姿勢、涙の落とし方、拳の握り方。
それらは字幕を必要としない。
ここでメキシコは、
身体輸出国家となる。
5|ブニュエルのメキシコ
1940年代後半、スペイン亡命監督
ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)がメキシコで活動。
代表作:
『忘れられた人々』(Los olvidados, 1950)
『河と死』(El río y la muerte, 1954)
ブニュエルは黄金期の表面の下にある暴力や階層構造を描いた。
ここで重要なのが女優コルンバ・ドミンゲスである。
彼女は『河と死』(1954)のヒロインであり、後に三船敏郎主演
『価値ある男』(Ánimas Trujano / The Important Man, 1961)でもヒロインを務める。
一人の女優のキャリアが、
メキシコ黄金期
ブニュエルの社会批評
日本映画との国際接続
を横断している。
メキシコ映画はすでに国境を越える装置だった。
6|エイゼンシュタインの「未完」
1930年、
セルゲイ・エイゼンシュテイン
がメキシコで撮影を行う。
『メキシコ万歳』(¡Que Viva México!)
資金問題と政治的事情により未完。
だがこのプロジェクトは象徴的である。
ソ連の理論映画が、メキシコの風土と革命神話に接続した。
メキシコは「亡命と実験の土地」でもあった。
7|都市の洗練 ― 1950年代
1956年、『獣人ゴリラ男』(Ladrón de cadáveres)。
怪奇色を帯びた大衆娯楽映画である。偶然にも、この作品のヒロインもコルンバ・ドミンゲスが演じている。
本作が映し出すメキシコシティは洗練され、近代都市として描かれる。
冒頭には柔道の試合場面が登場する。審判が片言の日本語を話す。
ここにも越境がある。
怪奇映画の中に、日本的モチーフが自然に混在する。
8|国際接続と日本
1961年、『価値ある男』(Ánimas Trujano / The Important Man)。
主演:三船敏郎。
メキシコを舞台にした作品であり、アカデミー外国語映画賞ノミネート。
さらに、
『クレージー メキシコ大作戦』(1968)
はメキシコ五輪の時代空気と接続する。
9|1968年とその後
1968年、メキシコオリンピック。
国家は近代化を誇示する。
しかし同年、トラテロルコ事件が起きる。
映画国家の楽観と、現実政治の緊張。
黄金期は過去となる。
メキシコの意味
メキシコは
革命を記録し
黄金期を築き
ラテンアメリカ市場を支配し
亡命監督を受け入れ
国際共同制作を実現し
日本とも接続した
国家である。
映画はここで
革命装置
国民神話装置
越境装置
となった。
映画は光でできている。
だがメキシコでは、その光は革命と神話と都市の埃を映した。
