🎥『国別映画史』07 イギリス
【イギリス-制度と帝国の映画(1910年代-1940年代)】
映画はイギリスで発明されたわけではない。
だがイギリスは、
映画を制度に組み込んだ最初期の国家の一つである。
本章は1910年代から1940年代末までを扱う。
0|制作規模という前提
※本章の制作本数は長編劇映画(約60分以上)を基準とした概算。
制作規模(概算)
1910年代:数百本規模
1920年代:約800~1,000本
1930年代:約1,200本前後
1940–45年:約700本前後
アメリカほどの量ではない。
ドイツよりは安定している。
イギリス映画は「爆発」ではなく「維持」の歴史である。
1|帝国の映画網
20世紀初頭、イギリスは帝国国家だった。
映画は本国だけで完結しない。
インド
アフリカ
カナダ
オーストラリア
配給網は帝国の交通網と重なる。
映画は文化商品であると同時に、
帝国的視覚装置でもあった。
2|ドキュメンタリー国家
イギリス映画の最大の特徴はここにある。
ジョン・グリアソン。
1930年代、英国ドキュメンタリー運動が始まる。
映画は
娯楽ではなく
公共教育の道具
として位置づけられる。
『夜行郵便』(1936)
公共事業、労働、交通。
国家は映画を通じて自らを説明する。
イギリスはアメリカ型スター産業でも、
ドイツ型美学国家でもない。
公共性の映画国家である。
3|ロバート・フラハティとアイルランド接続
1934年、『アラン』(Man of Aran)。
アイルランド西岸の生活を描く。
半ばドキュメンタリー、半ば演出。
荒波、断崖、労働。
帝国周縁を映すことでイギリス映画は“中心と周辺”を再構築する。
ここでドキュメンタリーは単なる記録ではなく、
国家的風景の編集となる。
4|ヒッチコックとスリラー制度
1930年代、アルフレッド・ヒッチコック。
『三十九夜』(1935)。
スパイ、追跡、無実の男。
イギリスは緊張と理性のサスペンスを制度化する。
ヒッチコックは後にハリウッドへ渡る。
イギリス映画はスターを囲い込む国家ではない。
人材を育て、流出させる国家である。
追補|1936年3月、日本
1936年3月上旬。
『三十九夜』が日本で封切られた。
その広告は二・二六事件を報じる新聞紙面に掲載されている。
クーデター未遂の号外の隣に英国スパイ映画の宣伝。
国家が揺れる紙面に別の国家のサスペンスが並ぶ。
映画は常に、
自国の政治時間の中で
異国の物語として消費される。
5|パウエル&プレスバーガー
第二次大戦期。
『天国への階段』
『赤い靴』
幻想と戦争。
色彩と国家。
戦時下においても、
イギリス映画は露骨な煽動より、
寓話的美学を選ぶ。
ドイツが美学を国家に奉仕させ、
アメリカが市場を拡大したなら、
イギリスは道徳と均衡を保とうとした。
6|キャロル・リード
戦争は都市を変える。
『邪魔者は殺せ』(1947)
『第三の男』(1949)
廃墟と影。
国家の疲労。
戦後の不安。
イギリス映画は勝利国でありながら、疲労を映す。
7|スターは残らない
イギリスは制度を作る。
だがスターは残らない。
ヒッチコックはハリウッドへ。
戦後、オードリー・ヘップバーンも
初期数本をイギリスで出演後、
アメリカ資本で国際スターとなる。
イギリス映画は世界スターの出発点になるが、
最終市場はアメリカに吸収される。
制度国家は人材輸出国家でもあった。
8|戦争と国家協働
第二次世界大戦。
映画は士気維持の道具となる。
だがナチス型の露骨な神話化は行われない。
イギリス映画は
冷静さ
倫理
持続
を強調する。
ここに英国的態度がある。
イギリスの意味
イギリスは
・帝国配給網
・ドキュメンタリー公共性
・サスペンス制度化
・寓話的戦争美学
・人材輸出構造
を持った国家である。
映画は巨大爆発を起こさない。
だが崩れない。
制度を維持する。
アメリカが量で制し、
ドイツが美学で制し、
ソ連が理論で制したなら、
イギリスは均衡で制した。
映画は光でできている。
だがイギリスでは、
光は制度の中で静かに保たれた。
